ぺん遊ぺん楽


懐かしい風景

松谷 初美
(まつたに はつみ)


<2004年06/26掲載>
 私はカザンミ(下地町高千穂)という部落で生まれ育った。
 そのカザンミ部落の真ん中あたりに、あまり見かけない形をしたコンクリートの建物がひっそりと建っている。今では誰も使う人もいないし、若い人たちは、それが何であるかも知らないだろう。

 ばんたがやーや(我が家は)葉タバコ農家である。作り出してからかれこれ40年くらい経つ。今は機械化が進み、だいぶ楽になっているようだが、昔は大変だった。

 30数年前、まだ私が子どもだった頃、この時期になると、家族総出で葉タバコの仕事をした。子どもの仕事は、タバコの葉っぱを長い竹に針金をつけたものに1枚1枚刺していくことだった。遊びたかったけれど、1本につき1セントのおこづかいがもらえたので一生懸命やった。時には近所の子供たちもアルバイトに来たりして賑やかだった。

 葉っぱには裏表があり、それを交互に刺していく。竹は1メートルくらいあり、これをいっぱいに詰めるには、相当時間がかかる。1本でも多くやりたくて、あわてて指を つぁんきたり(刺したり)、交互に刺すところを間違えたりした。ズルをしてあまーあま(ゆるゆる)やると、「くりゃーとーがすったーむぬりゃー?(これは誰がしたものかー?)」と言われ、やり直しをされた。

 そして、全部が終った頃、どこからともなく チャリンチャリンという音が聞えてくる。「アイスケーキだ!」子供たちは一目散に、自転車で売りにきているおじさんのところまで走り、もらったばかりのお金で買うのだった。仕事を成し遂げた充実感とアイスケーキの甘さが何ともいえない幸福感をもたらしていた。

 さて、竹に吊るされた葉タバコは、あのコンクリートの建物のところに運ばれる。そうそこは、タバコの乾燥場だったのだ。同じカザンミ内でタバコを作っている農家5〜6軒で作ったものだ。中は空洞で2階建てくらいの高さがある。ここに全部の農家のタバコを吊るし、乾燥させるのだ。一番高いところに吊るすのは大変な作業で、それをテキパキと連携作業する大人たちをすごいなーと眺めていた。乾燥場には、2つのかまどがあり、そこで たむぬ(薪)を燃やし、熱でタバコを乾燥させる。3日3晩(時にはそれ以上)、火を絶やしてはならず、交替で、寝ずの番をした。そこには粗末だけれど、ちゃんと仮眠が取れる場所もあって、私は両親にくっついていっては、燃えたぎる火を見ながら、眠りについていた。

 あれから幾年月、今ではタバコを1枚1枚、竹に刺すこともない。バーのようなものにたくさん並べて挟むだけだ。乾燥場もいつの間にか、機械化されそれぞれの自宅に設置されるようになった。本当に便利になったものだと思う。

 現在は用をなさなくなった昔の乾燥場だけれど、ここにカザンミの小さな歴史があったことを静かに物語っている。

   (宮古ペンクラブ会員・みゃーくふつメールマガジン主宰)

top.gif (811 バイト)