ぺん遊ぺん楽

ピルマス主婦のヤマノミー便りふたたび

アレルギーの息子から教わったこと


相田 恵美子
(あいだ えみこ)


<2004年06/02掲載>
  昨年、「2003年道標」で「ピルマス主婦のヤマノミー便り」を書かせていただきました。今回は、「宮古ペンクラブ」の方にお誘いをいただき、ふたたび、かげから応援してくださった読者の方々にお会いできるようなこそばゆい嬉しさとともに、「ペンクラブ」の質を下げてしまうのでは、という不安もよぎります。

 私が住む東京西部の山あいの町は、宮古でいうヤマノミー。旧家の多い土地の中で、私たちのように他郷から入ってきたファミリーは珍しい存在です。ほとんどの家で自家用畑があり、季節の野菜を作っています。以前は、私も近くに畑を借りて、お百姓さんのまねごとをしてみましたが、こまめに手入れが出来ず挫折。今ではもっぱら、ご近所からのおすそ分け野菜を、口を開けながら待っているナマケモノ。

 「身土不二」という言葉をご存知ですか。「人の命は食べ物で支えられ、食べ物は土が育てる。つまり、人の命と健康はその土と共にある」という考え方のことです。私がこの言葉の意味を実感するようになったのは、長男が「食物アレルギー」の診断を受けてからのことでした。
 長男が乳幼児の頃、アトピー性皮膚炎が、食べ物によるアレルギー反応であることを告げられてから、我が家の食卓から、卵、牛乳製品が一切消えました。主治医からは「重症」であると言われ、一時は、米、小麦、肉、油なども制限され、雑穀と野菜だけの「厳格食」も経験しました。また、農薬や食品添加物にも反応するので、無添加の食品を探し求めると、一般のスーパーではほとんど買い物ができないという現実に愕然としたものでした。

 「食物アレルギー」という言葉さえ珍しかった15年前、まわりの人たちの偏見、奇異の視線がつらかったものです。「親が神経質なのよ」と、ときには正面から言い切られてしまい、「私だって好きでやっているんじゃない」と叫びたくなったり、「どうしてうちの子だけが」「私が悪いの?」と自分を責め、子どもや周りを責めていました。

 しかし、それまで自分たちのことだけを考えて生きてきた私たち夫婦に、息子は次々とテーマを与え続けてくれました。アレルギーの延長上にある環境問題や、食物汚染等々。その背後にあるさまざまな問題を知り、学ぶことを教えてくれたのです。それは、自然に対する感謝を知ることでもあり、突き詰めれば、私たちの親たちが培った自然への畏敬の念を見失ったことへの戒めでもあったのではないか、と思うのです。

 この春、長男は高校へ進学しました。保育園、小学校と、給食を食べることができないので、お弁当を持って通いました。人が集うところには、食べ物がつきものです。皆と同じものが食べられないことや、アレルギーによる体調の不振でつらい思いもたくさんしてきたことでしょう。それだからこそ、人々の心の痛みがわかる大人になってほしいと思うとともに、人一倍たくさんの方に支えられていることの感謝を忘れないで生きていってほしいと思います。
 「飽食のなかの飢餓」を経験した私には、何が一番おいしいものか、知ることができます。お隣さんからいただいた、山盛りのさやえんどう。とりたては、甘みがあって美味。その土地でとれた旬のものをいただく、何よりのごちそうであると。「身土不二」は、息子から教わった宝物なのです。

(宮古ペンクラブ会員・主婦)

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