ぺん遊ぺん楽


根 ―下地勇の魅力―

近角 敏通
(ちかずみ としみち)


<2004年04/30掲載>
 4月16日に伊良部島のきび刈りが終わった。18日の下地勇のコンサートに家族で行った。マティダ市民劇場には親子室があるので、6カ月の悠と共に、無理なく聴く事ができて、ありがたかった。下地勇の歌は、宮古方言で歌う声も、内容も深い。天地とともに、人とともに、家族とともに生きる、昔ながらの暮らしの豊かさが伝わってくる。昨年の伊良部公演の時は、老若男女が泣き笑いして、涙をぬぐいに席を立つおばーの姿もあった。

 初めのアルバム「天」からは、自分を見失ってはいけないという言葉が心に残っていた。
 『ウヴャーマスムヌ』…標準語訳歌詞「アガイタンディ 君の心は君の心の中にあるのだから。人は人 君は君なりに歩いて行けばいい」
 『ワイドー』…標準語訳歌詞「君は自分の道自分の足で力強く前に歩いて行くんだ」

 今回のアルバムが「Nee(根)」。道を求める宮古に、世界に向けた祈りがさらに深く太くなっていると感じた。宮古方言は本人も言うように、いろいろな外国語に聞えた。特に、言霊が切ないほど胸に迫ってきた曲について書く。

 『豊満世』…チベット・アラブ・イラク語に通ずるような、たたみかけるうなりの祈り。標準語訳歌詞「争いは終わりにできないの? 僕らは同じ空の下にいるのに…同じ大地の上にいるのに」「1人が2人分も3人分も富を望むから、隣の人が歩けないって、泣いていても知らない振り…」

 『魚売りの少年』…フランス語のような、心のうめき。標準語訳歌詞「(魚を)売り疲れて…くたびれきった僕の心を家族がいつも癒してくれたんだ」「もっと儲けよう…家族の目が金に、どんな時も金に向かうようになった。僕の話をゆっくり聞いてくれたのはもう昔の事さ。…遠くへ行きたいって 今は思っているんだ」

 『狭道小からぴらす舟』…スペイン語のような、深い願い。標準語訳歌詞「幼いころは…両親が…家の石垣が…友達が…天の神が 里の神が 先祖の神が僕を守ってくれた」「…来る日も来る日も這いつくばって歩いていた。…どこまでもどこまでも落ちていく…」「君が僕に手を伸ばしてくれるなら 僕はまた一から力を出して君といっしょに歩いていけるんだ」

 『パリんかい』は、家族そろって、1日、きび刈りをする情景をうたった歌だ。私は宮古に来て、7年目、きび刈りで大切な事を教わってきた。1つは、文字通り根を見つける事である。根を見失うと難儀する。腰をすえて、根元を刈り、根をそろえて、ザッと、積む事である。それから、人と気を合わせて、ひと畑をやりきる事である。来た頃は、刈り取る時、人と競い合ってしまう嫌な所が自分にはあった。その気持ちが消えた。今年、きび刈り終盤は、連日、激しい労働だったが、自分の畑も、おじーや先輩の畑も、家族や人と力を合わせてやりきることができた。93歳のおばーもすばらしく働いていた。

 『Happy我が子day』…新しい命への歓びに満ちる。標準語訳歌詞「忘れない 今日の美しい日を 忘れない 今日の嬉しさを 胸は高なり 君を抱き 歩いていこう 一緒に」

 下地勇がうたう歌は、宮古の深い根から発しており、それは、日本の、世界の人々の心の奥底に届くことと思う。人々が自分の根を自覚し、お互いを尊重してつながっていく事こそ、今、大切な事なのだと思う。勇、世界中で歌い、また、伊良部にも来てほしい。

   (宮古ペンクラブ会員・農業)

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