ぺん遊ぺん楽


名 犬 ぽ ち

与那覇 武治(よなは たけじ)


<2004年04/16掲載>
 小学生のとき、コロコロした仔犬が我が家の一員に加わった。ポチと呼んで厳しく訓練した。座れ、立て、歩け、止まれなどの基本は早々とマスターした。ポチは家族と同じ物を食べ、家族に愛されてすくすく育った。

 ポチは雑種であったが、逞しい顎、鋭い牙、ピンと立つ耳にはシェパードの血が混ざっていて、成長するにつれ精悍な面がまえとなった。彼は何時も行儀よくお座りして家族を見上げていた。何が食べたいのか? NOのときは目をしょぼつかせて横をむいた。遊びに行きたいのか? YESのときは目を輝かせ、尻尾を振ってはしゃいだ。ポチはあくまでも番犬に徹し、家を空けてうろつき回るようなことはしなかった。

 父武祥はブローカーでしこたま儲けたが、これにはポチが一役かった。庭一面に干された鰹節を1人で監視した。普段は道行く人に吠えつくこともなく、猫や野良犬などは相手にしなかったポチだが、ひとたび任務を命じられるや、獰猛な本性を剥き出して唸り声を上げ、侵入者を追い払った。

 ムサオジは、自転車に手をかけた途端、ガブリと足首を噛まれた。毎日のように出入りするブローカー仲間だった「ポチ! 俺だ、ムサだよムサ」と叫んだが、声を発する度に牙に力がこもった。オジは「わかった、自転車は戻すから放してくれ」と謝って解放された。飼い主の言い付けを守るためには、知人といえども容赦しなかった。

 中学生になると、ポチは立派な大人に成長していた。彼の凛々しいたたずまいは名犬の風格を備え、我が家の自慢であった。そんなポチが仔犬のような仕草で甘えたことがあった。なんだ大人気ない、と言いかけてハッとした。ほとばしるセックスフェロモンに翻弄されて、ポチのことを邪険にしていたのだ。思い余って全身で抱きしめ頬ずりした。彼は身をよじって嬉しそうに目を細めた。

 高校生のとき祖母が他界した。その頃からポチの老衰が目に見えて進んだ。床下のねぐらで、老人のような寝息を立てて寝てばかりいた。ポチご飯だ、出てきてくれ! と哀願するとフラフラと顔を出した。しかし食欲はなく、付き合い程度に食べるとすぐ横になった。ポチもそろそろ寿命がきた、と母に言われた。ボクは「畑に墓をつくって埋める、インシャには絶対渡さない、イヤダ」と号泣した。人間に食べられて、人の命の役に立つのがポチにとって幸せなのだ。昔からそうだった。母の説得は続いた。

 女子高の運動場でキャンプファイヤーなるものを体験して翌日帰宅した。静まり返った家のなかで母は寝込んでいた。母はポチの最期の様子を話した。この犬に縄をかけないでくれと頼み、ポチを抱擁して彼について行くよう、うながした。ポチは商人の後ろをトボトボと歩いて行ったが、一度だけ立ち止まってふりかえった。その姿があまりに哀れで… 母は嗚咽して再び臥せてしまった。名犬ポチは2人のやり取りを、一部始終理解した上で覚悟を決めていたのだ。以来我が家では、犬汁を食することはあっても犬を飼うことはしなくなった。

 (宮古ペンクラブ会員・会社役員)

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