ぺん遊ぺん楽


豊島貞夫氏の写真

仲地 清成
(なかち・きよしげ)


<2004年03/26掲載>
 例えば、夕日の写真を撮りたいと思うのだが、水平線のあたりには雲がかかっていることが多く、シャッターチャンスはなかなか訪れない。時に、空中状態が良くて見事な落日の瞬間を見ることがあるが、その感動を1枚の写真に収めることはきわめて難しい。
 技術があれば、刻々と変化する時間の流れや、すべての生き物の活動の後の憩いの豊かさをとらえて、「太陽讃歌」をうたいあげるのだが。
 写真はまた、被写体があって、それを写しとるものだが、同時に撮影者の美意識や世界観の反映でもあることを、優れた作品は教えてくれる。

 豊島貞夫氏の写真集『風雪の記録』(復帰前・沖縄の教育)が感銘を呼ぶのは、優れた技術と、確かな教育観や歴史観をベースに対象に向けられる暖かい眼差しの故であろう。この写真集は、著者が長年にわたって撮影してきたフィルムを通して、風雪に翻弄された復帰前の沖縄教育の諸相を記録したものである。氏のレンズは先ず辺地のこどもたちに向けられている。真剣な眼差しを教師に向ける子供たち。草花を慈しむ子供たち。子供たちの姿には素朴なひたむきさが感じられる。島へ帰る竹馬通学の生徒、それを見守る分校の女教師、島の人におんぶされて海を渡って分校へ向かう校長先生。荷物を背負って仕事から帰る母親の後ろ姿、生徒の家に声を掛けている校長。そこでは、みんなが強い信頼で結ばれている。

 1965年、風疹によって聴覚に障害を受けたこどもが多数生れた。そして、その教育には早期教育が必要だということで、親も教師も必死になっていた。対面指導の様子や幼児を背負って自らも学ぶ母親の姿がある。「親の熱意で先生を鞭打て」と書かれた親の会の貼り紙も状況の切実さを物語っている。

 その他にも、色々な問題があり、その時々の県民の動きがとらえられている。度重なる米軍人による児童生徒の被害問題や教員の政治活動の制限等を盛り込んだ「教公二法」問題があり、激しい抗議行動のうねりがあった。「教公二法」問題については次のような解説がなされている「日本復帰という民族悲願への民衆のエネルギーの高まりの中で発生したこの問題は、異民族支配の構図に内包される矛盾が尖鋭的(せんえいてき)に現れたものである」

 沖縄の苦悩と不屈の意志の刻まれた屋良朝苗氏の顔と、しがらみの中でも、無垢なこどもたちと触れ合って開放された坂田道太文部大臣の笑顔が印象深い。
 戦後のある時期まで、今の首里城守礼門の近くの道端に戦災で焼け枯れたアカギの大木が立っていた。この木は、文化の薫り高い戦前の首里と、すべてを焼きつくした戦争の惨禍を見てきた。戦後は復興への使命感に燃える学生たちがその下を急いだ。今は何事もなかったようにあたりを観光客の群れが通り過ぎる。この木の姿が写真集の表紙を飾っていて、すべてを象徴している。
  (宮古ペンクラブ会員)
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