ぺん遊ぺん楽


私 の 旅

石垣 義夫(いしがき・よしお)


<2004年03/10掲載>
 旅行にでかける時、必ずといっていいほど運動靴とトレーナー、寒い時期にはヤッケを持っていく。
 これまでの旅行は、仕事関係の団体だったから、自分の行きたい所を選んでというわけにはいかず、私の見付けた旅≠ヘ、団体行動の空いた早朝にあった。
 長崎で朝市を見て、ぶらりと歩いていた時、街並みのまったく違う場所に出た。思いがけないことに、ここは、あの有名な出島跡であった。
 宿泊先の下調べをしてなかったため、出島跡の近くであることを知らなかった。今では、出島まで埋め立てられていて、もう出島≠ナはなくなっているものの、かつての出島を偲べる石垣や広場、旧跡があった。
 思いがけない形で出島≠ノめぐりあうことができただけに、胸をワクワクさせ数々の記念館を見て歩いた。
 宍道湖に、嫁(よめ)が島と、その伝説を聞きながら訪ねた水の都、松江の印象は、今でも鮮やかに残っている。
 古い家並み、美しい緑が水面に映る風景と影が織りなす美しさは何ともいえないものだった。そう長くない橋を渡ってみたり、水辺の公園をジョギングしたりした思い出に、今でも心地よく、ひたることがある。
 東京を、ただの散歩のつもりで歩いていた時、大江戸日本橋にたどりついた事があった。時代劇に出てくる日本橋を忍ばせるものは今はなく、その大江戸日本橋は、高速道路の下に痛々しく、もぐり込んでいた。
 かつての江戸城である皇居の堀めぐりは好きなコース。近くで宿泊すると朝早くでかけ、時間の許す限り歩きまわり堀のまわりの松やヤグラ、城壁などをながめたりカメラに収めたりすると時間を忘れてしまう。
 東御苑あたりも1人で奥深く歩いたし、桜田門外の変で知られる井伊家跡と事件のあった周辺を歩くと歴史が身近に感じられる。
 厳寒の北海道を訪ねた時、ホテルは阿寒湖の、すぐ側だった。ホテルから眺める光景は、南国育ちの私にとって、まるで夢物語の世界であった。
 例のごとく早朝、阿寒湖をひと歩きしたあと村の方に足を伸ばした。雪におおわれた山林に、どうやら道らしいのが伸びており、行ける所まで行ってやれと歩きだした。
 山道の視界が急に開けたと思ったら、そこも湖、阿寒湖そのものだった。
 ところが、そこは今、見たばかりの湖と違って、水面には水泡が吹きあげ、煙がモウモウとたちこめた荒々しさで「立ち入り禁止」の立て看板まであった。
 逃げるように立ち去るしかなかったが、そこに「神のごと遠く姿をあらわせる 阿寒の山の雪のあけぼの」との啄木の歌碑があった。
 「君の名は」の美幌峠から、来たばかりの北の大地を眺めた。私の『旅』は満足感に満ちていた。

  (宮古ペンクラブ会員・平良市史編さん委員)
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