ぺん遊ぺん楽


ディズニーランドにて

長堂 芳子



<2004年01/14掲載>
 去年の年末にディズニーランドに出かけた。カウントダウンは、かなり込むというのでずらしたつもりだったが、やはりすごい人込みだった。まさに見渡すかぎり人ばかり。入園までも入園してからも、ただひらすら並び続ける。沖縄で人が並ぶといっても、これほど並ぶことはないだろう。宮古の人が全部集まったら、こんな感じかなあと思ったりしたものだ。
 ディズニーランドを訪れる大半は家族づれである。だから、アトラクションで待っている間(少なくても30分、長いと1時間以上)は前後左右に同じ家族が並ぶことになる。そうなると、自然に周りの家族の様子が見るともなく聞くともなく目や耳に入ってくる。
 自分の足元にうずくまり、泣き叫んで鼻水をたらしている子を、抱き上げようともせず無関心の如く携帯電話に夢中になっている母親。突然泣き出した子どもに、「泣いている子はディズニーランドに入れないよ」と笑いながらおどしすかしている父親。
 ご主人とはぐれたのか、「何処にいっているのよ! 早くこっちへ来なさいよ」と携帯電話で辺り構わず怒鳴り散らしている女性。いやはや、その家族のほんの一部にすぎないだろうが、全体像を想像するに難しくない場面の数々だ。
 そうかと思えば、ずっと手を握りあったまま、お互いの目をじっと見つめ合って話している2人づれもいる。周りの騒騒しさも気にならない感じで、完全に2人だけの世界に入り込んでいる。私たちも恋人同士の時は、こんなだったはず。最近、夫と私はこんな風にきちんと目と目を見つめて話していたっけ、とちょっと考えさせられたりもした。
 極めつけは、ある家族だ。私の背中越しに会話が聞こえてきた。どうやら家族3人づれと推測される。会話が面白かったが振り向いて顔を見るのは失礼かと思い、ぐっとがまんした。
 「はい。写真撮るからお父さん笑って」と母親らしき声。「何で笑わんといかんねえ」と子どもの声。「だってね。ほら2年前におじいちゃんが死んだでしょう。あの時、遺影に使う写真を捜すのが大変だったんよ。笑っている写真がなくってねえ。やっと見つかったと思ったら、かなり昔のものだったりしてなあ。だからいつでも笑っている写真を撮っておいた方がいいと思ったんや」「何や、じゃあこの写真俺の葬式につかうつもりか?」「別にそういうつもりやないけど…何でもいいやん。ほら笑って笑って。あっ、お父さん、今のいい顔いい顔」
 自分が死んだ時の遺影の心配をするわけではないが、私も出来るだけ、カメラの前では笑っていよう。

 (宮古ペンクラブ会員・歯科医師)

 top.gif (811 バイト)