200平成19  319 月曜日

本社主催 第29期宮古本因坊戦 /宮里6段 本因坊返り咲き
  4期ぶり4度目の獲得/決定戦で石垣6段振り切る

優勝杯を手にする宮里6段=18日、こすみ囲碁教室
優勝杯を手にする宮里6段=18日、こすみ囲碁教室

 第二十九期宮古本因坊戦(主催・宮古毎日新聞社、主管・日本棋院平良支部、協賛・こすみ囲碁教室)の決勝リーグが十八日午前十時から、平良の同囲碁教室で行われた。現本因坊の平良博彦6段、予選を勝ち抜いた宮里光雄6段、亀川実6段、石垣信秀6段の総当たりリーグ戦を行った結果、宮里6段が四期ぶり四度目の優勝を果たした。

 開会式では、松原清吉宮古毎日新聞社編集局顧問と池間博美名誉宮古本因坊が「悔いのないよう、持てる力を十分に発揮してください」と参加者らを激励。この後、熱戦が展開された。
 一回戦の組み合わせは抽選で行い、平良−石垣、宮里−亀川の対戦となった。平良−石垣は石垣の中押し勝ち。宮里−亀川は宮里が中央の大石を取り勝った。
 二回戦は一回戦の勝者と敗者が戦った。平良−宮里は宮里、亀川−石垣は亀川がそれぞれ中押しで勝った。
 二回戦を終わった時点で宮里二勝、亀川と石垣が一勝一敗、平良が二敗。優勝争いは宮里、亀川、石垣の三人に絞られた。
 三回戦は宮里−石垣、平良−亀川のカードとなり、平良−亀川は平良の勝ち。宮里が勝てば宮里の優勝が決まる宮里−石垣は、石垣が序盤からリードし、二目半差で逃げ切った。
 三回戦を終わって宮里と石垣が二勝一敗で並び、優勝は両者によるプレーオフに持ち込まれた。
 大一番は宮里の黒番で始まり、じっくりした展開の碁は、宮里が中盤までのリードを保ち四目半差で勝ち優勝を決めた。
 優勝した宮里は「宮古本因坊が取れるとは、思わなかった。予選を何とか勝ち抜き、頑張ったら良い結果が出た。来年も頑張りたい」と喜びを語った。
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量・質とも昨年を上回る/沖縄製糖搬入終了
  平均糖度15・22度 3000d増の11万4304d搬入

2006−07年産のサトウキビの搬入を終了した=18日、沖縄製糖宮古工場
2006−07年産のサトウキビの搬入を終了した=18日、沖縄製糖宮古工場

 沖縄製糖宮古工場は十八日、二〇〇六−〇七年産サトウキビの搬入を終了した。一月十日の製糖開始から六十八日間の搬入量は十一万四千三百四dで昨年同期比で三千dの増産。平均糖度は一五・二二度で昨年を〇・〇一度上回った。トン当たりの農家手取り額は二万一千四百五十五円。同工場では「量、質とも昨年を上回る素晴らしい出来だった」としている。操業はきょう十九日まで。
 糖度の内訳は基準糖度帯(一三・一−一四・三度)以上が八〇・二一%、基準内が一七・三二%、基準以下は二・四七%だった。品質取引においては高水準の成績を収めた。最高糖度は一九・三〇度、最低は一〇・六〇度。
 沖糖は当初、昨年実績と同じ十一万一千三百dの搬入を見込んでいた。大きな台風被害を受けなかったことなど気象条件に恵まれたことが要因に挙げられている。
 品種別の搬入は「宮古1号」が五八%、「農林15号」が一四%、「農林8号」が九%、「ナーナシ」が八%だった。
 搬入終了は当初十五日を予定していたが、二月後半からの悪天候でハーベスターの稼働率が低下。このため、十八日まで延長していた。
 同工場の搬入終了により、宮古製糖城辺工場の九万四千三百五十五dと合わせた宮古本島内の生産量は二十万八千六百五十九dとなった。宮古製糖の伊良部工場と多良間工場の搬入は四月上旬までを予定している。
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大浦住民「県責任」求め控訴決める/産廃火災訴訟
  
「ここで引き下がれない」

臨時総会で控訴を決めた瞬間、原告団らから拍手が起こった=18日、平良の大浦公民館
臨時総会で控訴を決めた瞬間、原告団らから拍手が起こった=18日、平良の大浦公民館

 那覇地方裁判所で今月十四日に判決が言い渡された宮古島市平良字西原の産業廃棄物処分場火災で、県の監督責任が認められなかった判決を踏まえ、大浦自治会(大浦敏光自治会長)は十八日、大浦公民館で臨時総会を開き、控訴することを決定した。控訴と併行して、北海岸の環境保全運動を進めていくことも決めた。

 臨時総会には、原告団八十八人のうち、二十人余が出席した。自治会では、原告団一人ひとりから控訴についての委任状を取得する方針。全員が控訴に賛成するかどうかは現時点では不明だ。
 十四日の判決で田中健治裁判長は「県に職務上の注意義務違反はなかった」として、県の監督責任を求めた原告側の主張を退けた。一方、業者には原告一人当たり十万−三十万円、総額で約二千五百万円の支払いを命じた。
 この日の総会で、大浦自治会長は「控訴するのか、控訴しないのかは、一人ひとりの意見を集約して決めたい。控訴するしないは、全員の意思統一が望ましい」とあいさつした。
 出席した原告団長の下地博和さんは「控訴裁判は一年ほどかかる。当初の方針を曲げないで控訴した方が良い。判決は、県の責任を認めないで、大浦住民の人間性を踏みつぶした。ここで泣きべそかいて引き下がったら、今後の大浦部落の発展はない」と訴えた。
 原告団からは「裁判に掛かる資金面が心配」「控訴で県の責任を認めさせる可能性はあるのか」「県が控訴で負けたら上告するのでは」などといった意見が出された。
 総会では、控訴の賛否について採決を取らなかった。大浦自治会長の判断に任せ、控訴する結論に達した。控訴手続きの期間は今月二十八日までとなっている。
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本体工事着工へ/伊良部大橋
  
県が橋台・橋脚を発注

橋台と橋脚は仮桟橋左側に整備される=18日、平良久松側
橋台と橋脚は仮桟橋左側に整備される=18日、平良久松側

 県は伊良部大橋の橋台一基と橋脚一基の計二基の工事を十八日までに、発注した。一九七四年の当時の伊良部村(現宮古島市)が沖縄開発庁に伊良部架橋を初めて要請以来、夢の架橋は三十三年目にして本体工事に着手する。
 橋台と橋脚は、現在平良久松地区の海岸から建設が進められている仮桟橋左側に整備する。陸地側に橋台、海側に橋脚を建設する。事業費は橋台が約千九百万円、橋脚が約二千三百万円。現在仮桟橋工事が先行しており、その仮桟橋を追い抜くように順次橋脚が整備されていく計画。橋脚間の間隔は七十bで、全橋脚数は四十八基となる。
 久松側からの仮桟橋は全長二千三百b、一方、伊良部島側からの仮桟橋は全長百三十b。
 伊良部大橋は、伊良部島と宮古本島を結ぶ離島架橋。総延長四・三`で、このうち、本橋部が三千五百四十b、取り付け橋梁が百七十b、海中道路が六百b。大橋と取り付け道路を含めた総事業費は約三百二十億円を見込む。完成は二○一二(平成二十四)年を予定。
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酒井さん 余命半年の末期ガン克服/琉球國祭り太鼓のメンバーと再会
「生き延びて もう一度太鼓を聞きたい」

末期がんを克服し、メンバーらと共演する酒井さん(前列左)。前列右は多良間さん=18日、響和楽器ホール
末期がんを克服し、メンバーらと共演する酒井さん(前列左)。前列右は多良間さん=18日、響和楽器ホール

 「太鼓は魂の響き。宮古は命の島。また宮古に帰って来られるように頑張りたい」
 余命半年−。三年前に末期がんと宣告された酒井胡呂(ころ)さん(41)=川崎市=。二年前、「死ぬ前にもう一度宮古に行きたい」という思いを胸に来島。そのときに見た琉球國祭り太鼓宮古支部の演舞をきっかけに、「生きて再び大好きな宮古島で太鼓の音を聞きたい」と目標を掲げた。苦しいリハビリと闘病生活の末、がんを克服したという。今回、酒井さんは支部メンバーらと再会を果たし、エイサーを共演。「すっごく楽しい。今度はもっと跳ねて足上げて踊れるようになりたい」と元気な笑顔を見せた。
 脊髄、リンパ節にまで転移したがんは、酒井さんに「生きられる期限」を突き付けた。「医師から新しい年を越せないと言われた。死ぬ前に、大好きな宮古に行きたいと思った」と、八年前からダイビングで訪れていた宮古島に車いすで来島。酒井さんの動けなかった体と魂を揺り動かしたのは、同支部のエイサーの演舞だった。
 太鼓の力強い響きから鼓動を感じた。メンバーの笑顔から勇気をもらった。会場で同支部の多良間優子さんからパーランクーを受け取ったとき、酒井さんは「絶対に生きて、また太鼓を聞きたい」と感じたという。その思いを胸に、リハビリに取り組み続けた。
 以来、多良間さんとの手紙のやりとりや、メンバーらの姿を励みに、闘病生活を送ってきた酒井さん。今では車いすなしで歩けるほどに回復した。
 メンバーらとの共演では、パーランクーを片手にジャンプしたり抱き合ったりと、元気ぶりをアピール。多良間さんも「完治したと話は聞いていたが、実際に元気な様子を見ることができて感激です。祭り太鼓で元気になったと言ってくれて、私たちもすごくうれしい」と顔をほころばせる。
 酒井さんは、太鼓の音色を「死んだ細胞が再び生まれてくる治療薬」と表現。「太鼓を心と体で聞くと、命が生まれて元気になる。今度はみんなに恩返しがしたい」とほほ笑んだ。練習中のオカリナをマスターし、セッションを組むことを新しい目標に掲げ、来島を約束していた。
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伊良部が2連覇/小学新人バレー/女子は平一が初優勝

男子で優勝した伊良部クラブ=18日、下地小学校体育館
男子で優勝した伊良部クラブ=18日、下地小学校体育館
 

女子で優勝した平良第一JVC
女子で優勝した平良第一JVC

 バレーボールの城辺スポーツ杯第四回宮古地区小学生新人大会は十八日、下地小学校体育館で男女の決勝までを行い、男子は伊良部クラブが二連覇、女子は平良第一JVCが初優勝を飾った。チームプレー賞には男子は砂川広大(東ドリームズ)、女子は上地真理子(佐良浜クラブ)が、六年生対象の年間最優秀賞には友利風胡(下地クラブ)がそれぞれ選ばれ表彰された。
 四チームが参加した男子は、攻守に安定した伊良部クラブが三戦全勝で優勝、準優勝は二勝一敗で宮古南クラブAだった。
 十チームが出場した女子は、決勝で平一JVCと下地クラブAが対戦。前半は互角の戦いを見せたが、平一は中盤から終盤にかけて、下地のサーブレシーブの乱れに乗じ、連続得点を重ね、セットカウント2−0で下地を退けた。下地は四年生主体で、平一の先発メンバー全員が五年生というチームに挑んだが力及ばなかった。
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