200平成18  1127 月曜日

数々の名曲演奏/金井喜久子生誕100周年記念
「金井音楽」で観客魅了/日本初の女性作曲家に思いはせる


金井さんが生前に残した名曲二十曲を独奏やオーケストラで演奏した=25日、マティダ市民劇場

 宮古島市平良出身の女流作曲家金井喜久子さん(一九〇六−八六)の生誕百周年記念演奏会(主催・宮古島市、市教育委員会など)が二十五日夕、マティダ市民劇場で開催された。金井さんが生前に残した名曲二十曲を独奏や独唱、沖縄交響楽団によるオーケストラで演奏。会場に訪れた大勢の観客は「金井音楽」に魅了されながら、宮古島市が生んだ偉大な作曲家に思いをはせた。

 金井(旧姓川平)さんは一九〇六年、平良間切東仲宗根村に生まれ、日本音楽学校を経て東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業。「沖縄音楽の普及こそが自らの使命である」と自分自身に言い聞かせ、日本初の女性作曲家として交響曲を書き、沖縄音楽をベースにオペラ、管弦楽器など数多くの作品を世に送り出した。
 開催に当たり、同演奏会実行委員会の委員長を務める伊志嶺亮宮古島市長は「金井さんが多くの素晴らしい楽曲を残すことができたのは、本人のアララガマ精神と家族の力が強かったからだろう。きょうは最後まで金井喜久子の世界を十分お楽しみください」とあいさつを述べた。
 演奏会は本土復帰記念のために作曲された祝典序曲「飛翔」を県立宮古高校吹奏楽部が演奏し、壮大に幕を開けた。
 第一部のゲスト演奏ではピアニストの高良仁美さん、フルート奏者の宮本明恭さんが独奏。テノール歌手の平良栄一さんは「東西東西」や「めでたい節」を手拍子に合わせて歌い、会場を盛り上げた。
 第二部では、みやこ少年少女合唱団が「てぃんさぐの花」、宮古島混声合唱団が「ひめゆりの塔」などを合唱。会場に詰め掛けた聴衆も時折、民謡を口ずさみながら、郷土音楽に親しんでいた。
 フィナーレは沖縄交響楽団による「沖縄舞踊組曲」のオーケストラ演奏で盛大に幕を閉じた。
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野球、バスケ男子 優勝/県民体育大会/宮古島市
ラグビーは初の決勝、準V/陸上では仲間が2種目制す


仲間正彦

 第五十八回県民体育大会(主催・県体育協会)は二十五、二十六の両日、沖縄本島で十五競技が行われ、宮古島市は軟式野球が五年ぶり三度目の優勝。バスケットボール男子は初優勝を飾った。陸上競技では一般男子で仲間正彦が五千bと一万bの二種目を、三十代男子の友利徳郎が走り高跳びを、五十代男子の城間義隆が百bを、それぞれ制した。ラグビーフットボールは初めて決勝まで進み準優勝。剣道が三位、バスケットボール女子とサッカーが四位。男女総合成績は九位で昨年の十一位から二つ順位を上げた。

3度目の優勝を達成した軟式野球の選手ら=26日、宮古空港

 このうち、五年ぶり三度目の優勝となった軟式野球の狩俣勝彦監督は、「四試合で失点1と守りが上出来だった。投打の歯車がかみ合った。一回戦の浦添市に勝てたことが大きかった」と勝因を分析。「中・高校生が頑張っている中で、大人の意地を見せられたと思う。まだ連覇がないので、チーム一丸となって2連覇を目指したい」と喜びをかみしめた。
 豊見山真主将は「ピンチでも雰囲気良くできた。投手をはじめ守りでピンチをしのぎ、攻撃につなげた」と振り返り、「宮古地域全体で野球への取り組みを頑張っていけるのではないか。子どもたちがあこがれるような一般チームにしたい」と話した。
 初優勝を飾ったバスケットボール男子の下地秀隆監督は、「感無量。ディフェンスの勝利だ。昨年は一回戦で負けて悔しい思いをしたので、勝ちたいという気持ちが強かった」と語った。
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腕前競い交流深める/サントピアGゴルフ宮古島大会
県内外から680人が参加


青空の下、グラウンドゴルフで交流を深めた出場者ら=26日、宮古島市前福多目的運動場

 第十九回サントピア沖縄「南部忠平杯」グラウンド・ゴルフ宮古島大会(主催・宮古島市)の本大会が二十六日、宮古島市前福多目的運動場で行われた。県内外から約六百八十人が参加。夏を思わせるような強い日差しの下、練習の成果を競い合いながら、交流を深めた。競技の結果、団体の部はアトム(石垣市)が優勝した。競技終了後には市内のホテルで表彰式とふれあいパーティーが開かれた。
 大会は団体、男女ペア、個人総合の各部門で行われ、八ホールを三ラウンド行い合計打数を競い合った。
 午前八時三十分から行われた開会式で前回の団体優勝チーム「石川パン」(石垣市)から優勝旗が返還された後、大会会長の伊志嶺亮宮古島市長が「暖かい宮古島で楽しくプレーし交流の輪を広げるとともに、宮古島の市民とも親しく語り合い、思い出に残る大会にしてください」とあいさつした。
 県グラウンド・ゴルフ協会の金城宏武会長の祝辞や秋田太田南部忠平杯大会優勝者の太田毅さんのメッセージが披露された。
 東京都から参加した中村恭俊さん、眞知子さん夫妻が「日本全国、世界に触れ合いの輪を発信できるよう努力していきます」と力強く選手宣誓を行った。
 この日は、青空が広がり最高気温は二八・二度まで上昇。選手たちは、額に汗をにじませながら、プレーを通して交流を深めていた。
 今大会には、宮古島市から四百十七人、それ以外の県内から百七十一人、県外から九十四人の計六百八十二人が参加。最高齢者は男性が八十七歳の山城清有さん(石垣市)、女性は八十二歳の下地千代さん(宮古島市)だった。

に耳を傾けた。講演会に引き続き、懇親会もあり、互いの親睦を深めていた。
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日焼け顔で乾杯/サントピアGG表彰式
健闘たたえ再会誓う


乾杯で交流を深め合い再会を誓い合う参加者ら=26日、ホテルアトールエメラルド宮古島

 第十九回サントピア沖縄「南部忠平杯」グラウンド・ゴルフ宮古島大会(主催・宮古島市)の表彰式とふれあいパーティーが二十六日夜、宮古島市内のホテルで行われた。日焼け顔の参加者たちは、料理を囲みながら泡盛で乾杯。「また来年お会いしましょう」と再会を誓い合っていた。団体の部はアトム(石垣市)、ペアの部で下地春二・下地スミ子さん(平良)個人総合の部で南風原英昭さん(石垣市)、ばっしらいん大会は浅野祐一さん(鳥取県)がそれぞれ優勝。大会長の伊志嶺亮宮古島市長から賞状やトロフィーが贈られた
 伊志嶺市長は、「百歳になるまで元気にグラウンドゴルフを続け、宮古島に来られるよう期待しています」とあいさつした。
 会場には参加者が一堂に集い、熱気むんむん。
 友利恵祥さん(55)=宮古島市=は、「毎年、県外の人たちと再会できるのが楽しい」と笑顔。ホールインワンも二回マークし、個人総合でも二位に入る活躍だった。
 大盛清子さん(72)=石垣市=は初参加。「関係者のもてなしに感動した。忘れることのできない大会になりました」とうれしそう。竹田和子さん(70)=岡山県=は、「とても天気が良く、岡山との温度差にびっくりしました。他府県の人たちとの交流が楽しかった。また参加したい」と話した。

「昨年のリベンジだ」/団体の部優勝「アトム」(石垣市)


団体の部で優勝した「アトム」チームのメンバー

 団体の部で優勝した「アトム」チームは、石垣市に住むグラウンドゴルフ愛好者らの集まりだ。昨年は上位入賞できずに悔しい思いをした。今回はその「リベンジ」と意気込んで大会に臨んだという。
 チームで最年少だが監督を務める新城透さん(46)は「優勝するという強い気持ちが勝利に結び付いた」と大喜び。城辺出身の荷川取茂忠さん(66)は「われわれの監督は世界一だ」と優勝旗を手に終始ご機嫌だった。
 個人総合でも優勝し、アトムチームの優勝に大きく貢献した南風原英昭さんは、ホールインワンを三度も出すなど絶好調。
 「監督に昨年のリベンジをすると明言し、それに向けて練習に励んだ結果」と胸を張った。

「この日を待っていた」/ペアの部優勝 下地さん夫妻


ペアの部で優勝した下地さん夫妻

 ペアの部で優勝したのは宮古島市平良に住む下地春二さん(67)とスミ子さん(65)夫妻。「優勝できて良かった。この日をとても心待ちにしていた」と夫婦で力を合わせて勝ち取った栄冠を喜んだ。
 おととしは準優勝。それだけに今回の優勝には喜びもひとしおだ。
 スミ子さんはホールインワンを二回もマーク。「普段はお父さんが上手だけどね。きょうは私がちょっと調子が良かっただけ」と春二さんを気遣った。
 春二さんは「きょうは妻に助けられました」と笑顔。「グラウンドゴルフは、和気あいあいと楽しくできるので、健康にも良い。これからも続けていきたい」と話した。

個人総合Vは南風原さん(石垣市)


南風原英昭さん

 個人総合の部で優勝した南風原英昭さん=石垣市=は、「こんな大きな大会で頂点に立てるとは。涙が出るくらいうれしい」と感動しきり。団体の部でも、チームが優勝し、二重の喜びに浸った。
 グラウンドゴルフ歴は八年。宮古島大会には昨年に続き二度目の出場だ。
 昨年は団体、個人とも上位入賞できずに悔しい思いをした。「今年は昨年のリベンジ」と監督や自分自身に言い聞かせて大会に臨んだという。
 出だしは悪かったが、後半はホールインワンを三度も出すなど実力を発揮。二位に二打差をつけて逃げ切った。
 「最高の気分です。これからもずっと続けていきたい」と力強く語った。

ばっしらいん大会は浅野さん(鳥取)制す


浅野祐一さん

 島外からの参加者で競う「ばっしらいん大会」では浅野祐一さん=鳥取県=が優勝した。
 表彰式ではマイクに向かって「宮古島大好き」と大声で叫び会場を沸かせた。
 今回で五回目の出場。「起伏に富んだコースも楽しい。しかし、なんと言っても宮古の人たちがいつも温かく迎えてくれるのがうれしい。友達もたくさんできました」と日焼け顔をほころばせた。
 「もちろん来年も出ます。宮古島は最高ですから」

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暑さにも負けず196人が完走/たらま島一周マラソン
Aコース、下里・関さん1位


号砲一発で、元気よくスタートを切った参加者ら=26日、多良間村役場前

 【多良間で具志堅千恵子】「楽しく走ろう 歴史が見える島 多良間島」をテーマに、第九回たらま島一周マラソン大会(主催・多良間村)が二十六日、同村役場前スタート、多良間小学校をゴールに行われた。島を一周するAコース(二三・三`)など計四コースに島内外から合わせて二百五人が出場。十一月とは思えない暑さの中、ランナーたちは沿道の声援を受けながら多良間路を走り抜けた。Aコースでは、下里勝和さん(29)=宮古島市=が四年ぶり三度目の男性一位に輝き、関貴代さん(33)=東京都=が初出場で女性一位を飾った。
 沿道では、多数の住民らが大きな声援と拍手を送り、疾走する参加者たちを後押し。同村伝統行事「八月踊り」の演者の格好をした子どもが舞を披露しながら応援するなど、ランナーの疲れを癒やす場面もあった。百九十六人が完走を果たし、完走率は九五・六%。今大会にはAコースに五十四人、Bコース(十`)に二十四人、Cコース(三`)に六十五人、Dコース(五`)に六十二人が参加、出場した。
 各コースとも号砲一発でスタートした。沿道の声援を背に、選手たちはフクギ並木やサトウキビ畑が広がる農道を快走。ヤギや牛の姿を遠目に潮風を受けながら、島に残る自然や景観を楽しんでいた様子だった。
 一方、気温の高さでリタイアする選手もいた。二十六日の多良間村の最高気温は二八・五度(午後一時二十分)。宮古島地方気象台によると、多良間の過去二十二年間同日平均値が二三・八度のため、平年に比べると高い気温だったという。
 次々とゴールする中、会場は歓声と健闘をたたえる声が広がった。大勢のボランティアらが、完走者や応援者に対しヤギ汁や豚汁などを振る舞い、ねぎらった。午後五時からは「ふれあいパーティー」が村中央公民館で開かれ、参加者は互いの健闘をたたえて交流を深めるなど、来年の第十回記念大会で再会することを誓い合っていた。
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南静園 半世紀ぶりに校歌斉唱/宮高生の演奏に合わせ
「宮古稲沖小中学校」卒業生ら


宮古高校吹奏楽部の演奏に合わせて校歌を高らかに歌う卒業生と関係者ら=26日、宮古南静園公会堂
 国立療養所宮古南静園の公会堂で二十六日、「稲沖(いなおき)小中学校思い出の調べ」(主催・同実行委員会)が開かれた。今から五十二年前の一九五四(昭和二十九)年に、同園内で校名を「琉球政府立宮古稲沖小中学校」と改めた際に作詞・作曲された同校の新しい校歌が約半世紀ぶりに斉唱された。一期生や関係者らは、宮古高校吹奏楽部の演奏に合わせ、熱く心に残る思い出の校歌を高らかに歌い、公会堂いっぱいに響かせた。


伊波義一さん

 同園内では、三五(昭和十)年に聖書を十分に読めるだけの国語力の向上を目的に寺子屋式の特殊学校「八重菱(やえびし)学園」が開設され、園内教育の始まりとなった。
 五四年に「琉球政府立宮古稲沖小中学校」に改称。七二年には「琉球政府立那覇養護学校稲沖分校」に改められた。その後、沖縄県立宮古養護学校設立に伴い、「沖縄県立宮古養護学校稲沖分校」と改称されたが、同年十二月に生徒二人の退園を最後に休校。八一年三月三十一日付で閉校となった。
 稲沖小中学校校歌の作詞者は、当時二十七歳の伊波義一さん(78)=伊良部字前里添出身=。作曲者は、当時二十四歳の富浜定吉さん(77)=同仲地出身=。この日は、伊波さんと、富浜さんの長男芳克さん(48)が出席した。
 開式で、一期生で同実行委員会の野原忠雄代表は「きょうは、宮古高校吹奏楽部の高校生たちが、若さを与えてくれるので大変うれしい。これからも交流を続けてほしい」と礼を述べた。
 同園の入園者自治会の宮里光雄会長は「当時の子どもたちは入園生活を送りながら勉学に励み、友情をはぐくんだ。みんな立派な人生を送り、大変喜ばしい」と述べた。
 作詞した伊波さんは「半世紀ぶりに聞く校歌には、胸がドキドキする」と興奮気味に話した。
 「青い山脈」などが演奏された後、約半世紀ぶりに「稲沖小中学校校歌」を演奏に合わせて斉唱。卒業生らは、万感胸に迫る様子で歌い上げた。
 当時十九歳で中学校に入学した知念正勝さん(73)は「当時の中学生は十三人いた。今でも元気な人が多い」と語り、青春時代を懐かしんでいた。
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