2006年(平成18年)
9月25日 月曜日
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きずなの大切さ再認識/ふるさとまつり
九州の郷友一堂に/泡盛酌み交わし再会喜ぶ
2年ぶりの開催を喜び祝杯を挙げる参加者ら=24日、博多区の博多シティーホテル |
【福岡市で洲鎌恵仁】第九回九州宮古ふるさとまつり(主催・宮古市村会、九州宮古郷友会)が二十四日夜、福岡県博多区内のホテルで開かれた。同県を中心とする九州の郷友約百人が一堂に集い、宮古から参加した行政や経済、観光関係者と泡盛を酌み交わし、互いの発展に期待を寄せた。フィナーレはクイチャーを全員で踊り、大いに盛り上がった。
九州宮古郷友会の砂川勝廣会長が「二年ぶりの開催。皆さんと、ふるさとまつりを楽しめることをうれしく思う」と歓迎した。同会の仲宗根玄忠名誉会長は「宮古について語り合い、和気あいあいとした祭りにしましょう」と呼び掛けた。
宮古市村会を代表して伊志嶺亮宮古島市長は、市町村合併や伊良部大橋の着工を報告し「郷友の皆さんが誇れるような故郷づくりをしていきたい」と述べた。
多良間村の下地昌明村長は「郷友の元気な顔を拝見できうれしく思う。縦横のネットワークづくりを大事にし、この祭りを続けていきましょう」と郷友会の発展を願った。
宮古島市議会の友利恵一議長による乾杯の音頭で祝杯を挙げた後、各種余興が繰り広げられた。仲宗根名誉会長は宮古民謡を披露し祭りを盛り上げた。その他、宮村みつおさんの歌謡ショーも開催されるなど祭りは最後まで大盛況だった。
平良出身の下地重三さん(51)は「この祭りを楽しみにそして、励みにしている。郷友と再会できてうれしい」と満面の笑みで話していた。
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企画・「宮古島市」の誕生から1年
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陰陽の世界を表現/西平安名崎にモュメント
野呂さん(愛知県芸術大学非常勤講師)制作
制作者の野呂さんとモニュメント=23日、平良の西平安名崎 |
愛知県芸術大学非常勤講師の野呂有里さん(28)=三重県出身=が、宮古島市狩俣地区の西平安名崎で制作を進めていたモニュメントが二十四日、完成した。野呂さんは、陰陽の世界を表現。表側が妊婦、裏側は見る人によって男根を想像させる神秘的な造形美で、子宝に恵まれる縁起の良いモニュメントになりそうだ。
野呂さんは、モニュメントが建つ近くの展望台を今年整備したマルサンテック(砂川盛三代表)から委託を受け、一週間前から制作に取り組んだ。
モニュメントの高さは二・五b。材料は、宮古産の砂に白色セメントを混ぜて仕上げた。宮古の海岸から採取した緑色や青色のガラスの破片を使って「風の公園」の文字を埋め込んだ。またガラスの破片では、三日月や星などを作り、宇宙や天天体の世界を繊細に表現。宝貝をいくつも使った円形は首飾り。
野呂さんは「材料の収集の時は、地域の皆さんが協力してくれたので、感謝でいっぱい」と語った
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乳がん乗り越え熱唱/声楽家の伊志嶺克子さん
故郷宮古で初のリサイタル
「80歳まで歌い続けたい」/夫・茂さん、裏方で支える
力強い歌声で聴衆を魅了した伊志嶺克子さん(右)=23日、椿ホール |
平良出身で声楽家の伊志嶺克子さん(56)のソプラノ・リサイタルが二十三日夜、椿ホール(平良字下里)で開かれた。伊志嶺さんは乳がんを乗り越えて、故郷宮古島で初めてのリサイタルを実現。体の芯から繰り出すような歌声で多くの聴衆を感動に包み込んだ。伊志嶺さんは「八十歳まで歌い続けたい」と目標を新たにしていた。
伊志嶺茂さん |
伊志嶺さんは五年前に乳がんを患い、絶望感に陥った時期もあったが、歌い続けることで病と闘っていこうと故郷でのリサイタル開催を決意。学生時代に声楽家を目指していたが、結婚し子育てに専念し始めてからは音楽活動からは遠ざかった。でも「いつかは舞台に立ちたい」との思いを胸に、再び声楽家への道を歩み始めた。
伊志嶺さんの挑戦を全面的にバックアップしたのは夫の茂さん。故郷でのリサイタルを成功させる会の実行委員長を務め、パンフレット作製や宣伝、チケットの販売などあらゆる業務をこなし、裏方として克子さんを支えた。
リサイタルは伊志嶺さんの独唱「この道」で幕開け。伊志嶺さんが再び声楽を始めたきっかけをつくったバス歌手の伊江朝明さんも賛助出演し、アンコール以外の全曲を独唱で歌った。
一部では「宵待草」や「小さい秋」など日本歌曲八曲を熱唱。楽しい話などを交えながら、会場を温かい雰囲気で包んだ。二部ではイタリア、アメリカ、ロシアの歌曲九曲を、三部ではオペラ五曲を披露。フィナーレは会場の客らも一緒に「旅愁」「ふるさと」を合唱し、壮大に幕を閉じた。
伊志嶺さんは「会場に来ていた友人たちから『勇気やパワーをもらった』と言われとてもうれしかった。病気になってもやりたいことを見つければ前向きに過ごせる。故郷で歌い、生きている証しを感じた」と充実感をにじませた。
最後に「家族の協力無しでは(リサイタルの開催が)できなかった。協力してくれた周囲の皆さんにも心からお礼が言いたいです」と笑顔を見せた。
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全国生涯フェスに参加へ/木村流大正琴支部が合同練習
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故郷を花でいっぱいに/在八重山狩俣郷友会
ブーゲンビレア270本寄贈
くわ入れをした池間義則郷友会長(前列左から)と池間等志自治会長=23日、狩俣駐在所前 |
故郷を花でいっぱいにしたいと在八重山狩俣郷友会(池間義則会長)は二十三日、ブーゲンビレア二百七十本を狩俣自治会(池間等志会長)に寄贈した。このうち五本は郷友会員らが同地区内四カ所に植樹した。池間等志会長は「大切に育てて街中を花でいっぱいにして恩返ししたい」と喜んだ。
同郷友会員は狩俣出身者ばかりでなく、祖父・祖母や配偶者などが狩俣出身者という人も多いという。池間義則会長は「狩俣は宮古の中でも文化の香りが漂う美しい地区。何か事業を通して狩俣とつながりが持ちたかった」と話した。
ブーゲンビレアは狩俣小・中学校、狩俣駐在所に各五本、各家庭にも咲かせてほしいと自治会に二百五十本を寄贈。元公民館跡地や狩俣入り口(三差路付近)、野田部落、狩俣駐在所前には郷友会員らが計五本を植樹した。うち、約七十本は池間義則会長と交友のあるユートピアファーム宮古島の上地登代表からの協力でもらったものだという。
池間義則会長は「五年、十年後が楽しみ。日本中で『宮古島の狩俣はきれいな所だね』と言われれば最高」と話し、木の成長を願った。
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