200平成18  925 月曜日

きずなの大切さ再認識/ふるさとまつり
九州の郷友一堂に/泡盛酌み交わし再会喜ぶ


年ぶりの開催を喜び祝杯を挙げる参加者ら=24日、博多区の博多シティーホテル

 【福岡市で洲鎌恵仁】第九回九州宮古ふるさとまつり(主催・宮古市村会、九州宮古郷友会)が二十四日夜、福岡県博多区内のホテルで開かれた。同県を中心とする九州の郷友約百人が一堂に集い、宮古から参加した行政や経済、観光関係者と泡盛を酌み交わし、互いの発展に期待を寄せた。フィナーレはクイチャーを全員で踊り、大いに盛り上がった。

 九州宮古郷友会の砂川勝廣会長が「二年ぶりの開催。皆さんと、ふるさとまつりを楽しめることをうれしく思う」と歓迎した。同会の仲宗根玄忠名誉会長は「宮古について語り合い、和気あいあいとした祭りにしましょう」と呼び掛けた。
 宮古市村会を代表して伊志嶺亮宮古島市長は、市町村合併や伊良部大橋の着工を報告し「郷友の皆さんが誇れるような故郷づくりをしていきたい」と述べた。
 多良間村の下地昌明村長は「郷友の元気な顔を拝見できうれしく思う。縦横のネットワークづくりを大事にし、この祭りを続けていきましょう」と郷友会の発展を願った。
 宮古島市議会の友利恵一議長による乾杯の音頭で祝杯を挙げた後、各種余興が繰り広げられた。仲宗根名誉会長は宮古民謡を披露し祭りを盛り上げた。その他、宮村みつおさんの歌謡ショーも開催されるなど祭りは最後まで大盛況だった。
 平良出身の下地重三さん(51)は「この祭りを楽しみにそして、励みにしている。郷友と再会できてうれしい」と満面の笑みで話していた。
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企画・「宮古島市」の誕生から1年

自立への道のり(1)
見えない「合併効果」
補助金、行革など課題山積

合併協定書に署名・調印を終え、笑顔で握手を交わす(左から旧市町村の)川満省三下地町長、川田正一上野村長、浜川健伊良部町長、仲間克城辺町長、伊志嶺亮平良市長=2005年3月15日、マティダ市民劇場

 「宮古島市」の誕生から、来月一日で満一年を迎える。国の先行き不透明な財政支援などを背景に、生き残りを懸けて選択した合併だが、現状からその効果をうかがい知ることはできない。合併に伴う住民感情、宮古島市の現状と課題を検証しながら、合併から一年を振り返る。

 ◇見えぬ合併効果
 「合併のメリットなんて一つもない」。こんな声が、特に旧町村部に住む住民の間から聞こえてくる。揚げ句、「合併しなければよかった」との言葉が続く。合併効果が目に見えない現実を踏まえれば、当然の住民感情とも言える。
 補助金や負担金の削減に加え、今後実施される家庭ごみの有料化や公共施設使用料の増額など住民にとっては苦しい現実が立ちはだかる。頼みの宮古島市は組織固めすら道半ばで、具体的な行財政改革は二年目以降の取り組みであることを強調する。「混乱は、一年目は予想された」と市の幹部は明かす。だが「一年がたとうとしているのにまだ先が見えない」と指摘する市民への答えにはなっていない。
 ◇「低下」する行政サービス
 行政サービスの低下を叫ぶ声は、その多くが旧町村部の住民から聞こえる。その中でも農業補助の「低下」を挙げる。旧町村時には手厚く保護されてきた補助だが、合併とともにサービスの区域が旧平良市を含む宮古全域に拡大。これに伴い補助金も一律の支給に変更された。予算は基本的に旧市町村の合算を計上しているため、必然的に旧町村部住民に対する補助は減額、旧平良市や旧伊良部町の住民は増額という補助構図になった。
 下地に住む農業の五十代男性は「旧平良市の市民が得をしているのではないか」と強調。「旧町村部において、農業関係補助金がどれだけ大きな役目を果たしていたのかを今の行政は理解できていない」と憤った。
 農業面だけでなく福祉面でもサービスの低下が懸念される。下地では今年、敬老会の対象者に案内情が配布されなかったという。旧下地町は毎年出してきたものだ。当時の町の関係者は「あまりにも寂しい。招待されることにお年寄りは喜びを感じているのに」と肩を落とした。
 市は来年度、敬老祝い金の減額見直しの検討に入る方針だ。
 ◇合併の弊害
 八月中旬、城辺のある農家が経済部の上野庁舎を訪ねた。農業補助金に関する説明を求めるつもりだった。だが、旧城辺町と違い、顔見知りの職員がいない。仕方なく別の職員に事情を説明したが「その担当は別の場所だから」などと冷たくあしらわれたという。
 こんな例が「旧町村部にある庁舎ではよくあることだ」とある市の議員は言う。「市民をばかにしているとしか思えない態度を取る。農家、特に高齢者には一から説明してあげないと分からないことが多いんだ」と批判を続けた。
 市職員の公僕としての責任はもとより、宮古島市民にとってサービスの拠点となる役所が今、市民から遠ざかっている現状がある。この事実もまた、市民から見れば合併による弊害とも言えるだろう。
 ただ、旧市町村が選択した合併は、迫り来る財政危機を回避するための生き残りの策だ。故に市民への負担も増す。宮古島市として「自立」するためには、行政だけでなく市民にも意識改革が求められる。その意識改革に向け、宮古島市がどのように市民と接していくのか、市民が納得できる行財政改革を断行できるのか、決断と説明責任が問われている。      (山下誠)
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陰陽の世界を表現/西平安名崎にモュメント
野呂さん(愛知県芸術大学非常勤講師)制作


制作者の野呂さんとモニュメント=23日、平良の西平安名崎

 愛知県芸術大学非常勤講師の野呂有里さん(28)=三重県出身=が、宮古島市狩俣地区の西平安名崎で制作を進めていたモニュメントが二十四日、完成した。野呂さんは、陰陽の世界を表現。表側が妊婦、裏側は見る人によって男根を想像させる神秘的な造形美で、子宝に恵まれる縁起の良いモニュメントになりそうだ。
 野呂さんは、モニュメントが建つ近くの展望台を今年整備したマルサンテック(砂川盛三代表)から委託を受け、一週間前から制作に取り組んだ。
 モニュメントの高さは二・五b。材料は、宮古産の砂に白色セメントを混ぜて仕上げた。宮古の海岸から採取した緑色や青色のガラスの破片を使って「風の公園」の文字を埋め込んだ。またガラスの破片では、三日月や星などを作り、宇宙や天天体の世界を繊細に表現。宝貝をいくつも使った円形は首飾り。
 野呂さんは「材料の収集の時は、地域の皆さんが協力してくれたので、感謝でいっぱい」と語った
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乳がん乗り越え熱唱/声楽家の伊志嶺克子さん
故郷宮古で初のリサイタル
「80歳まで歌い続けたい」/夫・茂さん、裏方で支える


力強い歌声で聴衆を魅了した伊志嶺克子さん(右)=23日、椿ホール

 平良出身で声楽家の伊志嶺克子さん(56)のソプラノ・リサイタルが二十三日夜、椿ホール(平良字下里)で開かれた。伊志嶺さんは乳がんを乗り越えて、故郷宮古島で初めてのリサイタルを実現。体の芯から繰り出すような歌声で多くの聴衆を感動に包み込んだ。伊志嶺さんは「八十歳まで歌い続けたい」と目標を新たにしていた。


伊志嶺茂さん

 伊志嶺さんは五年前に乳がんを患い、絶望感に陥った時期もあったが、歌い続けることで病と闘っていこうと故郷でのリサイタル開催を決意。学生時代に声楽家を目指していたが、結婚し子育てに専念し始めてからは音楽活動からは遠ざかった。でも「いつかは舞台に立ちたい」との思いを胸に、再び声楽家への道を歩み始めた。
 伊志嶺さんの挑戦を全面的にバックアップしたのは夫の茂さん。故郷でのリサイタルを成功させる会の実行委員長を務め、パンフレット作製や宣伝、チケットの販売などあらゆる業務をこなし、裏方として克子さんを支えた。
 リサイタルは伊志嶺さんの独唱「この道」で幕開け。伊志嶺さんが再び声楽を始めたきっかけをつくったバス歌手の伊江朝明さんも賛助出演し、アンコール以外の全曲を独唱で歌った。
 一部では「宵待草」や「小さい秋」など日本歌曲八曲を熱唱。楽しい話などを交えながら、会場を温かい雰囲気で包んだ。二部ではイタリア、アメリカ、ロシアの歌曲九曲を、三部ではオペラ五曲を披露。フィナーレは会場の客らも一緒に「旅愁」「ふるさと」を合唱し、壮大に幕を閉じた。
 伊志嶺さんは「会場に来ていた友人たちから『勇気やパワーをもらった』と言われとてもうれしかった。病気になってもやりたいことを見つければ前向きに過ごせる。故郷で歌い、生きている証しを感じた」と充実感をにじませた。
 最後に「家族の協力無しでは(リサイタルの開催が)できなかった。協力してくれた周囲の皆さんにも心からお礼が言いたいです」と笑顔を見せた。
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全国生涯フェスに参加へ/木村流大正琴支部が合同練習


全国大会に参加する皆さん。当日は心を一つにして演奏する=24日、宮古島市中央公民館

 十月に茨城県で開催される第十八回全国生涯学習フェスティバル(主催・文部科学省)に、宮古地区代表として参加する木村流大正琴宮古支部(砂川峰寿支部長)の会員らによる合同練習が二十四日、宮古島市中央公民館で行われた。全国各地から参加する大規模なフェスティバルに、会員らは「練習にも力が入る。演奏を大事にしながら、出会いや交流を楽しみにしたい」と意気込んだ。
 フェスティバルには同支部から四十人の大正琴愛好家が参加。二十人ずつの二グループに分かれ「恋の町札幌」「涙くんさよなら」を演奏する予定だ。この日のために半年前から練習を積み重ねてきたという。
 砂川支部長は「北海道から宮古まで一堂に会するこのフェスティバルを、会員一同とても楽しみにしている。全国の皆さんに大正琴を通して宮古島をPRするとともに、私たち会員も楽しく演奏したい。これまで一生懸命に演奏して自分の『宝物』となった一曲一曲、心を込めて披露します」と話した。
 参加平均年齢は六十歳。練習歴十五年から一年未満までの愛好家が心を一つにして、当日は宮古島の思いをハーモニーに乗せて届ける。
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故郷を花でいっぱいに/在八重山狩俣郷友会
ブーゲンビレア270本寄贈


くわ入れをした池間義則郷友会長(前列左から)と池間等志自治会長=23日、狩俣駐在所前

 故郷を花でいっぱいにしたいと在八重山狩俣郷友会(池間義則会長)は二十三日、ブーゲンビレア二百七十本を狩俣自治会(池間等志会長)に寄贈した。このうち五本は郷友会員らが同地区内四カ所に植樹した。池間等志会長は「大切に育てて街中を花でいっぱいにして恩返ししたい」と喜んだ。
 同郷友会員は狩俣出身者ばかりでなく、祖父・祖母や配偶者などが狩俣出身者という人も多いという。池間義則会長は「狩俣は宮古の中でも文化の香りが漂う美しい地区。何か事業を通して狩俣とつながりが持ちたかった」と話した。
 ブーゲンビレアは狩俣小・中学校、狩俣駐在所に各五本、各家庭にも咲かせてほしいと自治会に二百五十本を寄贈。元公民館跡地や狩俣入り口(三差路付近)、野田部落、狩俣駐在所前には郷友会員らが計五本を植樹した。うち、約七十本は池間義則会長と交友のあるユートピアファーム宮古島の上地登代表からの協力でもらったものだという。
 池間義則会長は「五年、十年後が楽しみ。日本中で『宮古島の狩俣はきれいな所だね』と言われれば最高」と話し、木の成長を願った。
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