200平成18  28 金曜日

平良雅景さん、砂川光子さん受賞第10回平良好児賞
「はぐれ鷹」と「時間の川」

 第十回平良好児賞(主催・宮古毎日新聞社)の選考結果が二十七日発表され、平良雅景(本名賀計)さん(84)=那覇市、平良出身=の句集「はぐれ鷹」と、砂川光子さん(68)=那覇市、城辺出身=の歌集「時間の川」の受賞が決まった。松原清吉選考委員長は「選ばれた二作品は候補の中でも傑出していた。平良さんの句集は鋭い感性で書かれ、砂川さんの大胆な歌に驚いた。宮古の人の誇り」と評した。表彰式・祝賀会は五月二十日午後七時から市内のホテル共和で行われる。  

 平良好児賞は、長年宮古の文学界をリードした故平良好児さんの遺志を引き継ごうと平良さんが亡くなった翌年の一九九七年から始まり、毎年、宮古関係の優れた文学活動をした個人や団体を表彰してきた。昨年、平良好児顕彰会から引き継ぎ宮古毎日新聞社が主催となった。選考委員は松原委員長のほか伊志嶺亮、仲宗根將二、友利昭子、菊地優子の計五氏。
 今回は十二点の作品が候補になり今月二十二日夜、市内のホテルで行われた選考会では、絞り込まれた七点の中から、平良さんと砂川さんに決まった。
 平良さんについて伊志嶺委員は「一九四六年三月に平良好児氏が『文化創造』を創刊、十二月には宮古文芸協会が発足し、その中で平本魯秋氏を中心に宮古俳句会が結成され、それが本格的な俳句の出発点になった思う」とし、句集については「宮古吟と思われる句も数多く見られ、実に伸びやかで優雅な句格を持つ」と講評した。
 砂川さんの歌集について友利委員は「初めはその繊細で深く品性のある心象詠の数々に心地よく引かれ、その後、ある種の軽い衝撃を受け、しんと静かな感動にとらわれる。作者が自己の生をじっと見据え詠んでいるため、読者も自然と自己の内面を振り返させられる。今後も読者を感動と思索へ導く歌を生み出し続けることを期待する」と講評した。

 平良 雅景(たいら・がけい、本名賀計)1922(大正11)年12月1日生まれ。平良出身。44年台北帝大医学専門部卒。慶応大学医学部神経科教室を経て59年那覇市で天久台病院設立。現在同病院会長。現代俳句協会沖縄支部長。
 砂川 光子(すなかわ・みつこ)1937(昭和12)年6月8日生まれ。城辺出身。58年平安女学院短期大学英文科卒。日本歌人クラブ会員。「時間の川」で日本歌人クラブ九州ブロック優秀歌集受賞。  (恩川順治)

 写真説明 上・左 平良雅景さん、右 砂川光子さん
 写真説明 中・左  句集「はぐれ鷹」、右  歌集「時間の川」
 写真説明 下・第10回平良好児賞の受賞者を発表する選考委員ら(左から3人目が松原委員長)=27日、宮古島市役所


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「シィー、シィー」、ミヤコニイニイ鳴く

 初夏を控え、ミヤコニイニイが二十七日までに、宮古各地で鳴き始めた。
 ミヤコニイニイは宮古諸島固有種。テリハボク(方言名ヤラブ)などの樹木でしがみつき「シィー、シィー」と鳴いている。体色が樹皮の色のような保護色のため、鳴き声を頼って探さないと見つけにくい。体長二−三a。
 宮古にはセミは、既に出現しているイワサキクサゼミ、ミヤコニイニイ、クマゼミ、ツマグロゼミが分布。クマゼミとツマグロゼミは梅雨の時期に現れる。
 宮古島地方気象台によると、この日の最高気温は二四・三度(午後零時五十七分記録)で、平年値の四月上旬並み。

 写真説明・テリハボクで鳴くミヤコニイニイ=27日、平良(撮影・伊良波彌記者)

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羽田、那覇、石垣好調な伸び/沖縄ブームにのり旅客増
JTA、RAC05年度輸送実績

 日本トランスオーシャン航空(JTA、市ノ澤武士社長)と琉球エアーコミューター(RAC、山田有社長)の二〇〇五年度輸送実績によると、宮古関係路線ではJTAの宮古−羽田、那覇、石垣で計七十六万八千三百四十五人が利用。羽田と那覇を結ぶ路線が好調に推移し、各便ともに前年度を上回った。RACは計四万八千三十四人が利用したが、宮古−多良間、多良間−石垣で減少した。JTA宮古支社の小浜勝弘支社長は「宮古発の便は厳しいが、県外からの観光客が増えている。特に関西、関東からの団体が目立ち全体的に好調に推移した」と述べ、今後も沖縄ブームに興じた旅客数増に期待した。
 JTAの宮古関係路線別では、羽田−宮古は九万八千百七人(前年度比五・八%増)が利用。那覇−宮古は五十七万七千九百五十七人(同四・六%増)、宮古−石垣は九万二千二百八十一人(同三・三%増)が利用するなど、順調な伸びを見せた。
 RACでは、宮古−石垣が一万二千六百九人で前年度比四・一%増となったが、宮古−多良間で三万三千六百二十一人(前年度比二・六%減)、〇五年度で廃止となった多良間−石垣では千八百四人(同〇・一%減)となり利用率はわずか三二・三%にとどまった。
 JTA全路線の年間旅客数は二百七十四万九千八百六十三人で、過去最高を更新。地方都市と那覇を結ぶ本土−沖縄路線が顕著に推移し、本土−離島直行路線も高い利用率を維持した。県内路線では、那覇−宮古、那覇−石垣をはじめとする四路線が好調に推移した。RAC全路線の旅客数は二十三万八千七百十三人たった。
 〇六年三月はRACの宮古−多良間以外のすべての路線で前年比を上回り、特にJTAの羽田−宮古、宮古−石垣がそれぞれ一四%増と伸び、三月で最後のフライトとなったRACの多良間−石垣は二〇%増の二百四十四人が利用した。

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初夏の空にこいのぼり/上野保育所園児が掲揚

 宮古島市役所上野庁舎(砂川正吉支所長)は二十七日、こいのぼりを掲揚した。掲揚式には上野保育所(砂川隆子所長)の三歳、四歳の園児たち約四十人が参加し、こいのぼりを空高く掲げた。こいのぼりは五月十四日の母の日まで掲揚される。
 砂川支所長は「こいのぼりは皆さんが元気に頑張っていることをお祝いするためと、これからもたくましく強く成長してほしいことをお願いするために揚げます。先生やお母さん、お父さんのいうことをしっかり聞いてこいのぼりに負けないように頑張ってね」とあいさつ。
 園児たちは大きな声で「こいのぼり」の歌を歌いながらこいのぼりを掲揚。力を合わせて揚げたこいのぼりに、拍手や歓声を上げて喜んでいた。
 参加した砂川あかりちゃん(四つ)は「楽しかった。こいのぼりが空を泳いでいた」と笑顔で話した。

 写真説明・園児たちは願いを込めてこいのぼりを高く揚げた=27日、上野庁舎

 
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我が道一筋に歩む春の褒章
宮古出身2人

 政府は28日付で2006年春の褒章受章者を発表した。29日に発令される。宮古出身では元下地郵便局郵便集配受託者の上地茂男さん(72)=下地字来間=が業務精励の功績で黄綬褒章、行政相談委員の仲宗根定榮さん(78)=平良字西里=が行政相談功績で藍綬褒章を受章する。沖縄関係者では、12人が受章する。

 35年間郵便集配に尽力 黄綬褒章(業務精励郵便集配業務)
 
上地 茂男さん(下地字来間) 

 「受章には驚いた。こんなにうれしいことはない。これまでの努力が報われた。大変ありがたく思っている」と謙虚に話す。上地茂男さんゥュは、三十五年間、来間島での郵便集配業務に従事した。
 同業務は父の故清良さんも行っていた。父は一九七四年に青色桐葉章を受章。親子二代で受章となった。
 島民の足となるフェリーの船長を息子に任せ、郵便集配を始めたのが三十七歳のとき。船が着く前浜漁港から上地にある下地郵便局まで、郵便物を担いで片道約二十分の距離を歩いた。日曜日と台風の日以外は毎日行った。
 来間の世帯数は約八十。長年の配達で各世帯に誰が住んでいるのかすべて覚えている。「小さな子供でも私の顔を覚えている」とうれしそうに語る。
 一番の思い出は受取人からのねぎらいの言葉。「ご苦労さん」「ありがとう」。何気ない一言に喜びを感じた。
 今年の三月末に業務を引退。現在は農業に精を出している。「辞めたときは寂しかったが今は新しい生活を楽しんでいる」と白い歯をこぼした。
 上地 茂男(うえち・しげお)1934(昭和9)年1月21日生まれ。下地字来間出身。64年、来光丸(渡し船)を操業。後にフェリー来光となる。95年、3月17日、来間大橋の開通によりフェリー来光が操業終了。05年4月3日で集配業務の契約終了。

 住民の声、行政改善に反映 藍綬褒章(行政相談功績)
 
仲宗根定榮さん(平良字西里)
 
仲宗根定榮さん(78)が行政相談委員となって十九年。現在も活動を続けている。「受章の知らせには驚いた。もらってよいものかと迷ったが今では喜んで頂きたい」と感想を語り「しかられることが多いからその褒美かな」と笑顔を見せた。
 行政相談委員は市民からの苦情を受け付け、解決策の助言や市や県、国に通知することが仕事だ。最初は「政治的なことは分からないから無理だ」と断った。しかし、当時の支部長に説得され結局、引き受けることに。活動を続ける上で最もうれしいことは、相談者の要望がかなえられたときだ。「相談して良かった」。感謝の言葉が胸に染みた。
 「宮古病院の夕食の時間が早過ぎる」と苦情を受けたことがあった。仲宗根さんが病院側と話し合い、勤務体制などが改善され、相談者も喜んでくれた。
 現在は、沖縄行政相談委員協議会の理事および宮古支部長として活躍。他の委員の模範として行政相談制度の発展、向上に努める。
 委員の任期は来年三月末まで。「二十年の節目に引退」と決め集大成となる年に意気込む。
 仲宗根 定榮(なかそね・ていえい)1927(昭和2)年9月20日生まれ。鏡原出身。48年、鏡原小に教員採用。87年3月、鏡原中教頭で退職。同5月に行政相談委員を委嘱。93年、沖縄行政相談委員協議会理事および宮古支部長を務める。

  写真説明 上・黄綬褒章(業務精励・郵便集配業務)を受章した上地さん=下地字来間の自宅で
 写真説明 下・
藍綬褒章(行政相談功績)を受章した仲宗根さん=平良字西里の自宅で

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   ラン「誤審」受け緊急会議5選手へおわび状発送
トライ競技委

 宮古島トライアスロン実行委員会競技委員会(安谷屋豪一委員長)は二十七日、宮古島市役所平良庁舎で第二十二回全日本トライアスロン宮古島大会ラン種目における「誤審」問題を協議する緊急会議を開いた。誤審の内容については運営方法に不備があったことを改めて確認。その上で、関門制限時間の十五分前にタイムアップ宣告を受けた五人の選手に対し、おわび文書を発送することで決定した。きょう二十八日付で発送する。文書には判定に不服がある場合に再考を申し立てられる上訴の内容も記す。
 事務局によると、誤審によりタイムアップ宣告を受けた選手は五人。大会翌日の二十四日には四人と把握していたが、二十六日に新たに一人から抗議があったという。
 緊急会議で安谷屋委員長は「今回、競技役員の思い込みで大きなミスを犯してしまった。私たちはこの事実を謙虚に、素直に受け止め該当する選手に謝罪したい」と文書で謝罪する意向を各専門部長に伝えた。
 村山正三マラソン部長は「あってはならない事態を招いてしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱい」とわびた。今回の誤審について各専門部長から異論はなく、文書で謝罪することを全会一致で決めた。
 また、判定に不服がある場合に再考を申し立てる上訴については競技規則第三二条(抗議)を引用し、その内容を記すことも決めた。
 今回の誤審はランの三十五`地点で発生。本来の関門制限時間は午後九時だが、この時間より十五分も早い午後八時四十五分に五人の選手にタイムアップを宣告した。五人のうち、四人が事務局に抗議している。
 
 写真説明・ラン種目の誤審について協議したトライ実行委競技委員会=27日、宮古島市役所

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