200平成18   木曜日

大阪直行便 11月廃止/全日空・路線を「那覇拠点」にシフト

 全日本空輸(ANA)の宮古―関西(大阪)直行便が今年十一月から運航廃止となることが八日、分かった。同社では「全体のネッ
トワークの再検討の中で那覇を拠点に、那覇と本土間、那覇と先島間を増便することで全体の輸送量は増える」と説明している。これに対し、宮古島市の伊志嶺亮市長は「観光入域客数が四十万人に届こうとする中で、関西直行便を廃止されては困る」と述べ、存続を求める方針だ。
 八日、ANA営業推進本部ネットワーク戦略部の藤村修一部長らが、宮古島市役所に伊志嶺市長を訪ね、同社航空路線の検討内容を報告した。それによると、宮古、石垣と関西を結ぶ直行便が運航休止となる一方、那覇と宮古、石垣間はそれぞれ一往復二便ずつ増便となる。また、那覇と東京、関西、福岡間の各路線も増便し、那覇―名古屋で機材を大型化するなどして、本土と那覇の輸送力を向上させる。これにより全体の輸送力が向上すると、同社は想定する。
 藤村部長は「宮古―関西が大幅な赤字ということではなく、宮古―那覇、那覇―大阪の増便とのパッケージ。宮古―那覇の増便で接続は良くなり、那覇からは関西、伊丹に加え、新設の神戸空港へ向かうことができる」と強調した。
 宮古と本土を結ぶ直行便は、宮古市町村会を中心として官民一体となった要請活動の結果、南西航空(現・日本トランスオーシャン航空=JTA)が一九八九年七月に、宮古―東京路線を就航したのが最初。その三年後の九二年七月には、エアーニッポン(現・ANA)の宮古―大阪(関西)路線が就航した。次いで、九七年八月にはエアーニッポンが宮古―福岡間にも路線を開設した。また、石垣から宮古を経由し伊丹へ向かう便はJTAが運航している。
 しかし福岡路線に関しては、「利用率が低迷し、採算性の確保が困難」との理由で、九八年十一月に運航が休止された。この際、当時の宮古市町村会(伊志嶺亮会長)は、将来の再就航の検討を条件に了承した経緯がある。
 この間、本土直行便就航が追い風となり、宮古の観光入域客数は九三年に二十万人、九九年に三十万人を突破。二〇〇五年は四十万人にわずかに及ばなかったものの、順調に伸びれば、〇六年の四十万人突破は確実と見られている。それだけに宮古―関西路線が廃止となれば、関西地区と宮古を直接結ぶ路線を失うことになり、その影響は大きい。


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市議会が存続要請/宮古支庁組織改編

 【那覇支局】宮古島市議会の友利恵一議長、議会運営委員会の豊見山恵栄委員長と宮古選出の砂川佳一、奥平一夫の両県議会議員は八日、県庁と県議会を訪れ稲嶺恵一知事と外間盛善議長に対し、宮古支庁の組織見直しを撤回し、総合調整機能を現行のまま存続させるとともに、部長級の支庁長配置継続を要請した。
 稲嶺知事に代わり要請書を受け取った上原昭総務部長は「これまでの支庁が果たしてきた役割を否定しているわけではなく、むしろ宮古のための事業執行について効率化、迅速化を目指している。支庁長ポストについても懸念はあると思うが、県庁全体の流れの中でこれから議論していきたい」と、これまでと同様の見解を示した。
 要請では砂川県議が「沖縄のために国が総合事務局を配置していると同様に宮古においても支庁機能が充実することが離島振興計画の推進にもつながる。行革を進めることは理解できるが、支庁長の部長級の人事配置は必要。支庁の機能縮小は離島軽視につながる」と指摘した。
 宮古支庁の機能について上原部長は「今回の行財政改革プランの中で、二〇〇八年までに宮古支庁の組織については見直すということを提案している。当初、廃止という形で示されたが与党、地元からも提案があり、廃止ではなく組織の改編ということになっている。まだ二年間あるので皆さんの話を聞きながらどういう形がいいのか職制や職責についても議論していきたい」と述べた。
 さらに奥平県議から「合併した宮古島市の自立のためには県の協力も必要であり、支庁機能は充実すべき」との要望も示された。
 これに対して上原部長は「県の出先機関としてはこれから従来以上に地域の振興発展のために力を入れる必要がある。現在の宮古支庁は企画部の中にあり、ワンクッション置いた形になっていた。これからは迅速な事業執行を目指して各部長の下で、事業執行部門の出先機関も一元化しようとしている。県民センターという形で調整機能を持った部門もつくりたいと思っているので支庁長が果たしてきた役割もこれまで同様に取り組めるようにしたい」と述べた。
 そのほか、外間県議会議長への要請には宮古出身の池間淳県議も同席し、同様の要請を行った。外間議長は「離島が遅れを取らないように県議会として取り組みたいと思っている。今回の要請についても今議会の委員会で協議もしていきたいと思う」と述べた。
 宮古支庁の改編などを盛り込んだ県行財政改革プランは、三月下旬までに決まる予定。計画案には「〇八年の支庁廃止実施」「同年、四組織に改編」の項目が示されていたが、県は支庁見直しでは支庁機能が残るため「廃止」ではなく「改編」の表現が適切として計画案から「廃止」の文言を削除する方向で協議を進めている。


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今期原料搬入を終了/宮古製糖城辺工場

 宮古製糖城辺工場は八日、二〇〇五―〇六年産サトウキビの搬入を終了した。一月十一日の操業開始から五十七日間の搬入量は八万三千九百八十二dで当初予想より六千d以上の減産。一方で平均糖度は一五・一一度と過去四番目に高い数字を残した。トン当たりの農家手取り額は二万一千四百四十三円。操業はきょう九日までを予定。沖縄製糖宮古工場は十一日に今期のキビ搬入を終了する予定だ。
 宮糖城辺工場農務部によると、当初は九万七百五十dの搬入を見込んでいたが、六千d以上の減産となった。要因は海岸沿いのサトウキビが潮害を受けたことや地下害虫による被害が予想以上に大きかったため。
 ただ、品質面は取引当初から好調だった。累計を見ると基準糖度帯(一三・一―一四・三度)内が一七・五六%、基準以下は二・九一%、基準以上は七九・五三%に及んでいる。期間中の最高糖度は一八・四度だった。
 品種別の糖度内訳はナーナシが最高の一五・三三度、これに次いで宮古1号が一五・二四度、農林15号一五・〇七度、農林8号一四・九三度と、いずれの品種も基準糖度帯を上回る高品質取引が続けられた。
 今期同工場における取引は収量の減産を品質面でカバーした形。品質上昇の要因には、大きな台風被害を受けなかったことや年末年始の冷え込みなど、気象条件が挙げられている。

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真栄里さんの詩に決定/「みんなの愛唱歌・宮古島の歌」

 「みんなの愛唱歌・宮古島の歌」として同実行委員会(委員長・久貝勝盛教育長)が募集していた新生・宮古島市愛唱歌の歌詞が、真栄里飛鳥さん(18)=市上野字新里=の作品「みやこじま」に決定した。八日、同実行委員会が報告した。真栄里さんは「宮古の自然と人が大好き。この気持ちが伝われば」と、喜びの表情を見せた。歌詞には、合唱組曲「海のまほろば」作曲者として知られる黒澤吉徳氏が曲を付け、六月二十三日のマティダ市民劇場開館十周年記念合唱祭で披露される。
 「みんなの愛唱歌・宮古島の歌」は、宮古島市の文化交流の一端を担う市のイメージソング。宮古島市、同市教育委員会、宮古合唱連盟で構成する同実行委員会が、昨年十二月から今年二月までの期間、島内の小・中・高校生を対象に歌詞を募集。三十七点の応募があり、先月の審査委員会(與儀千寿子委員長)で真栄里さん(応募当時宮古高校三年)の作品を優秀作品に選出した。
 歌詞の採用について真栄里さんは、「力を抜いて作ったが、テンポ良くなるように気を付けた。物騒な世の中だが、島の平和が続いてほしいという願いも込められている」と話した。
 與儀委員長は「宮古島の文化風土を築いてきた人々の息吹が、若人へ受け継がれていく希望に満ちている」と講評した。佳作には、南小学校五年の加島美奈子さん、宮古高校二年の新里友恵さんの作品が選ばれた。
 歌詞の決定に際し伊志嶺亮市長は「個性あふれる作品で、宮古島市の新たな出発にふさわしい。ほかの応募者の皆さんにも大変感謝している」と述べた。また、宮古島市の市歌について伊志嶺市長は、今年十月一日の市発足一周年までには定めたいとの意向を示した。

 サンゴ礁にかこまれた
 青い海に浮かぶ島

 ここで生まれて
 ここで育った
 オジィに オバァに 私もみんな
 
 どんなに遠く離れても
 心の中にいつもある
 
 耳を澄ませば キビの海
 ザワワ ザワワと子守歌
 
 泣いて笑って 台風も
 アララガマで乗りきろう

 島歌陽気に響く島
 空と海とが交ざる場所

 花は実をつけ種になり
 まわる めぐる
 生命の輪
 今日も優しい風が吹く


 写真説明・宮古島市の愛唱歌「みやこじま」を作詞した真栄里さん=8日、マティダ市民劇場


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アラフ遺跡を見学/東大諏訪教授ら

 更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷を研究する東京大学の諏訪元教授、国立科学博物館の馬場悠男人類学部長を中心としたグループが八日来島し、上野地区のピンザアブ洞穴遺跡と城辺地区のアラフ遺跡を見学した。アラフ遺跡では、調査中の江上幹幸教授(沖縄国際大学)が遺跡の特徴や調査状況などを説明した。
 同研究グループは、沖縄本島の港川遺跡や久米島の下地原洞穴遺跡など、旧石器時代の化石人骨が発見された県内六カ所の遺跡を見学。諏訪教授は「人類学は、日本人の生い立ちを考える上で重要な調査であると同時に、将来の発展的な活動にも役立つ」と研究の意義を話し、今後は県立博物館との協力体制の下で研究を進める意向を示した。
 アラフ遺跡は、千九百二十前から二千九百年前とみられる地表第七層の調査が進められており、前回昨年十二月の調査時に続いてシャコガイ製貝斧が出土した。ただ、前回は未完成の貝斧だったのに対し、今回は、歯の部分が欠損しているものの完成品の出土となった。
 同遺跡からは、チョウセンサザエが食料としてだけでなく道具としても使われていたことなどが分かっており、江上教授は「第三層から第七層すべての層において年代が古くなっても生活のパターンは同じだったことが分かる」と解説した。

 写真説明・アラフ遺跡を見学する研究グループ=8日、城辺アラフ遺跡

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    友利菜穂さん(平良第一小2年)が金賞
   具志堅望さん(下地小3年)は銅賞
/JA共済全国書道コン

 二〇〇五年度JA共済全国小・中学生書道コンクールで、平良第一小学校二年の友利菜穂さんが条幅の部でJA全中会長賞およびJA共済連会長賞・金賞を受賞した。全国で四人、県内では友利さん一人が受賞。また下地小学校三年の具志堅望さんは条幅の部でJA共済連会長賞・銅賞を受賞している。八日午後、JAおきなわ宮古地区事業本部で賞状の伝達式が行われ、二人とも「とてもうれしい」と笑顔で喜びを話した。
 書道コンクールには全国各地から合わせて百二十八万六千九十五点の応募があった。二人はこの応募数の中から見事に入賞、八日の賞状伝達式でJA宮古地区事業本部の下地隆弘本部長らから祝福を受けた。
 下地本部長は「これだけの応募の中から入賞するということは大変素晴らしいこと。これからも芸術作品を書き続けてほしい」などと話し、二人のさらなる飛躍に期待を込めた。
 「あゆみ」と書いて金賞に輝いた友利さんは「とてもうれしい」と笑顔。「来年度は(最高賞の)文部科学大臣賞を目指して頑張りたい」と話した。「つよい心」で銅賞を受賞した具志堅さんも「来年は文部科学大臣賞が取りたいです」と話していた。

 写真説明・JA共済書道コンで金賞に輝いた友利さん(右)と銅賞の具志堅さん=8日、JAおきなわ宮古地区事業本部

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