200平成18   木曜日

宮古の自然、文化広めて/大阪で観光感謝祭

 【大阪で洲鎌恵仁記者】第八回沖縄宮古観光感謝祭(主催・宮古島市、共催・県宮古支庁、宮古観光協会、宮古島市商工会議所)が一日、大阪府吹田市のホテルで開催された。各航空会社や旅行代理店などの関係者約百五十人を招き、日ごろの誘客活動に感謝した。同市の伊志嶺亮市長は「二万人だった観光客数は四十万人に達しようとしている。皆さんが宮古の自然や文化を広めて、観光客を招いているおかげ。今後も皆さんが多くの観光客を誘客できるように頑張りたい」と、より一層の協力を呼び掛けた。きょう二日は、東京都に場所を移し感謝祭を行う。
 同感謝祭は各航空会社や観光関連業者らへ日ごろの感謝の意を表すとともに、宮古観光の振興に寄与することを目的に開催。今回は宮古島市誕生後、初めての開催となることから、東京と大阪の両都市で開かれ、行政や観光に携わる関係者が官民一体となって、航空関連会社や旅行代理店、マスコミ各社などに感謝の気持ちを伝える。
 感謝祭は午後七時に開会。オープニングは兵庫県在住の伊礼正哲さんの宮古民謡演奏で幕を開けた。主催者あいさつで伊志嶺市長は「注目度が上がったオリックスのおかげでマスコミの露出度もずいぶんと増えた。宮古をPRできている。今後も観光の基盤づくりにしっかりと取り組みたい。」と話した。続いて県宮古支庁の兼城克夫支庁長が乾杯の音頭を取り、声高らかに参加者全員と祝杯を挙げた。
 来賓を代表して全日空の大西準次大阪支店長は「宮古観光の発展のために、今まで以上の支援を宮古に送りたい」と述べた。
 歓談の後、伊志嶺市長、兼城支庁長、宮古観光協会の藤村明憲会長らが会場内の一人ひとりに感謝のオトーリを回し、交流を深めた。
 会場には宮古島の特産品が展示され、来場者にはマンゴーケーキなどが配布された。また、宮古―大阪の往復航空券や宮古の特産物が当たる抽選会なども行われ、最後まで盛り上がりを見せた。
 感謝祭に参加する一行はこの日も、大阪府内の航空関連会社や旅行代理店を表敬訪問した。このうち、伊志嶺市長らのグループはJALセールス西日本支社、近畿日本ツーリスト西日本営業本部カンパニーなどを訪ねた。

 写真説明・観光に携わる関係者らが宮古観光の発展を願い交流を深めた=1日、吹田市の新大阪江坂東急イン

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晴れやかな笑み、708人が巣立つ/5高校で卒業式

 県立高校の卒業式が一日、県下一斉に行われ、宮古地区では計七百八人が三年間の学習課程を修了して学窓を巣立った。
 宮古地区では、宮古高校、伊良部高校、宮古工業高校、宮古農林高校、翔南高校で卒業式が挙行され、各校長が粛々とした雰囲気の中で卒業証書を授与。卒業生たちは、晴れやかな笑みを浮かべる人や目頭を押さえる人と、さまざまな表情で式に臨み、父母や後輩、教諭らに祝福されてそれぞれの進路に新たな一歩を踏み出した。
 式典の後には、紙吹雪の舞う校庭で在校生らが花道をつくり、記念写真を撮影したり握手を交わすなどして笑顔で卒業生を送り出していた。
 県立宮古養護学校高等部の卒業式は二十三日に行われ、五人が卒業する。

 写真説明・3年間の高校生活に晴れやかな笑顔で別れを告げる卒業生たち=1日、宮古高校

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「充実の3年間だった」/狩俣聖美さん

 高校女子ウエイトリフティング53`級の県記録保持者、宮古農林高校の狩俣聖美さんが一日、三年間通い慣れた母校を後にした。四月には、埼玉県の平成国際大学に進学する狩俣さん。卒業証書を受け取り、「翁長先生(ウエートリフティング部顧問)をはじめ、私を支えてくれたすべての人に感謝しています。大学でも頑張る」と話した。
 一年生のころ、ウエートリフティングを始めた狩俣さん。以来、翁長真由美教諭の指導を受けてめきめきと頭角を現し、全国大会でも優勝する実力を付けた。高校生活最後となった琉球新報旗争奪高等学校ウエートリフティング競技選手権ではスナッチ、ジャーク、トータル共に県高校新記録で優勝し、有終の美を飾っている。
 高校生活を振り返り、狩俣さんは「嫌なこともあったけど、いいこともたくさんあり、とても充実した三年間だった」と振り返る。大学でも続けるウエートリフティングについては、「さらに記録を伸ばせるよう毎日の練習に励みます」と、新天地での活躍に自信を見せていた。
 そんな狩俣さんの指導に当たってきた翁長教諭は「少し寂しい気もしますが、それ以上に期待の方が大きい」と話し、教え子のさらなる飛躍に期待を込めていた。


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ブタの骨掲げ厄払い/荷川取自治会が 「スマフサラ」

 宮古島市平良の荷川取自治会(下地重男会長)で一日、無病息災を祈願する伝統行事「スマフサラ」が行われ、同自治会の入口に当たる四カ所に、疫病や悪霊が入らないよう、ススキでなった縄にくくり付けられたブタの骨が掲げられた。下地会長によると、同自治会では年に一度、旧暦二月の初めの丑の日に行っているという。下地会長は「自治会の人たちに病気がなく、これからも自治会が発展するよう願いたい」と話した。
 この日は、会員十人が取り付け作業に汗を流した。下地会長は「地域によって違うと思うが、荷川取ではスマフサラは戦前から先輩方が行っており、これからも伝統行事として続けていきたい」と説明していた。

 写真説明・地域の入口4カ所に厄よけのためのブタの骨が掲げられた=1日、平良字荷川取

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表彰台独占に意欲/「東京ヴェルディ」トライチーム宮古合宿

 サッカーJリーグで知られる「東京ヴェルディ」のトライアスロンチームのメンバー四人が二月二十日から、宮古島合宿を行っている。全日本トライアスロン宮古島大会で過去三度優勝のベテラン・山倉紀子選手をはじめ、昨年大会二位の塩野絵美選手、同十二位の薄愛美選手と、今回の合宿が初めての来島という井上一輝選手の四人。山倉、塩野、薄の三選手は四月二十三日開催の第二十二回大会に出場予定で、「三人で表彰台を独占できれば最高」と意気込んでいる。
 今回の合宿では、バイクの乗り込みを中心に、東京ではできない海でのスイムトレーニング、宮古島大会のランコースの試走などのメニューで、やや雨が多い中でも、順調に練習をこなしている。
 宮古島大会で過去十八回出場の山倉選手は「回を重ねるごとに応援が増え、島の皆さんの支えをいただいている。大会にはベストコンディションに持ってきたい。目標は三位以内」と話した。
 宮古島大会で一昨年三位、昨年二位と一年ずつ順位を上げている塩野選手は「大会当日(四月二十三日)が誕生日なので、優勝して最高の日にしたい」と力を込め、若手の薄選手は「全体的に順調な練習ができている。目標は十位以内」と語った。
 ショート専門の井上選手は初めての宮古島について「風景も海もきれいで最高。この合宿でしっかりベースをつくりたい」と話し、「いずれは(ロングの)宮古島大会にも出てみたい」と話していた。合宿は五日までで、六日に帰京する。

 写真説明・宮古島合宿を行っている(左から)塩野選手、山倉選手、薄選手、井上選手=1日、上野のペンション高山


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    県野菜品評会 トウガンで金賞
Uターン農家・下地博富さん(25歳)

 ふるさとへUターンし、トウガンを栽培している農家の下地博富さん(25)=字新里(高田)=が二月四、五の両日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開催された、第十六回県野菜品評会(主催・県やさいフェスティバル実行委員会)で金賞を受賞した。宮古へ戻って一年余。「まだ手探りなので、金賞と聞いてびっくりした。でも励みになる。日々勉強しながら頑張りたい」と意欲に燃えている。
 下地さんが宮古へ戻ってきたのは二〇〇四年十月。牛を飼育する父・一好さん(46)に「手伝ってもらえないか」と声を掛けられ、帰郷を決めた。当時は野菜の栽培はしていなかったが、博富さんのUターンをきっかけにカボチャの露地栽培をスタート。昨年夏にはハウスを建て、同十月にトウガンの栽培も始めた。牛もカボチャもトウガンも、一好さんと二人三脚で取り組む。
 JAの勧めで、初めて取れたトウガンから良いものを選んで出品。「賞を取ろうという気持ちは全然なかった」から、今月初め、受賞の知らせには驚いた。「周りの支えがあってこそ。実感がなかったが、(二月十六日に)伝達表彰を受けて、やっと実感がわいてきた」とほほ笑む。
 農家としてはまだ駆け出し。トウガンは、良い雌花が咲かないと着果できないのが苦労するところだと言い、「先輩たちのアドバイスを聞き、吸収できることはどんどん吸収したい」。栽培の手間は大変なものだが、「自分が頑張った分、返ってくる。作物が取れる喜びは大きい」と語る。十e当たり八dが平均というトウガン。一月から四月ごろが収穫の最盛期で、「ハウスが五eなので、まずは平均の四dまでいけたら御の字です」と笑顔を見せる。
 高校を卒業し、本土の専門学校、沖縄本島での暮らしを経て、ふるさとで農家に。「島を出たときには帰ってくるとは思わなかったけれど…。今はただ、農業の仕事を頑張るだけです」。はにかんだ顔に、決意がみなぎっている。

 写真説明・「農家の仕事を頑張りたい」と意気込みを示す下地さん=上野字新里(高田)の下地さんのハウス

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