200平成18  218 土曜日

一般会計317億4600万円/前年度比(旧5市町村合算8.8%減)

/宮古島市予算最終内示

 宮古島市(伊志嶺亮市長)の二〇〇六年度当初予算案が十七日、各部局に最終内示された。一般会計は一次内示より二億五千九百七十七万九千円少ない三百十七億四千六百万円で前年度(旧五市町村合算)に比べ三十億五千六百七万五千円(八・八%)減となった。このうち市税など自主財源は五十四億八千二百四十八万二千円で全体に占める割合は一七・三%、国庫支出金など依存財源は全体の八二・七%を占める二百六十二億六千三百五十一万八千円で、依然として国への依存度の高い予算内容。市の宮川耕次総務部長は「自主財源を伸ばすため、法定外目的税の導入も検討していきたい」と述べた。
 歳入面では自主財源の柱となる市税が前年度比二・七%増の四十一億七千三百十二万七千円。構成比が大きい地方交付税は百十七億二千五百九十六万円で同比一・三%の増となった。一次内示より大幅減になったのが地方譲与税。一次は十一億五千百七十一万四千円計上されたが、国の本格的な税源移譲が〇七年度スタートということもあり児童扶養手当と家賃対策補助で見込んだ三億四千四百万円が約八千八百万円しか算定されず、最終的な地方譲与税額は八億一千百九十八万二千円が計上された。
 依存財源の国庫支出金は五十五億百八十三万七千円で前年度比三・四%の増となったが、県支出金は前年度に比べ九億八千百四十四万円少ない四十六億五千四百八十五万八千円となっている。
 歳出面では借金の返済に充てる公債費が四十四億三千三百十四万二千円で前年度比〇・八%の減となった。民生費は前年度比三・七%増の六十五億六千五十万三千円。人件費は議員報酬の九千六百六十万七千円減に加え、管理職手当てを一次内示よりさらに減らして編成、七十六億一千二百八万六千円で前年度比二・一%の減とした。
 物件比は三十三億三千二百八十六万六千円で前年度比一・二%の増、臨時職員給与の賃金は一次内示の七万二千円増から一億八百九十三万七千円の減とした。
 投資的経費の普通建設事業費は九十一億九千八百二万八千円。単独が二億七千九百七十二万円、補助事業が八十五億四千三百三十八万六千円となった。全体的には十九億二千九百二万六千円減少となっている。
 そのほか、一般会計と区分して経理する特別会計は十九億一千六百四十八万八千円で、前年度比百三十七万六千円の減。国民健康保険特別会計は前年度比五千四百六十六万二千円減の六億四千三百六十万六千円。介護保険特別会計は前年度比三千六百七十七万七千円減の五億六千二百八十一万一千円となった。
 当初予算案について宮川総務部長は「自主財源が落ち込んだことは合併した結果だと思う。今後は市民税の徴収体制などを強化して、これを伸ばすよう努力していく」と述べた。

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 西里通り幅整備の可能性ゼロ/費用対効果等で事業採択困難

 旧平良市がコミュニティー道路としての整備計画を決定していながら、地元通り会の反発などで計画が頓挫した形となっている西里通り(県道78号、平良城辺線)について、県は十七日までに、「拡幅は不可能」との調査結果をまとめ、通り会側に伝えた。県はこれまでも周辺の幹線道路網と近接していることや費用対効果などから整備不可としてきたが、通り会の強い拡幅要望を受けて二〇〇四年度から可能性調査を実施。改めて「拡幅困難」の判断に至った。その上で通り会側に、現幅のままで歩行者専用道路もしくはコミュティー道路の整備を提案した。県は、通り会の意向を踏まえ、今後の整備計画を判断する。
 西里通りは市街地のほぼ中央に位置し、福嶺病院前交差点からやまこ百貨店西交差点までの延長四百b。幅員は六・五b。商店が密集し、かつては宮古で最もにぎわった商店街だったが、近年は郊外型の大型店舗などに圧される形で人通りは減少している。店舗形態も近年は主に観光客をターゲットにしたお土産品店や飲食店などが増え、空き店舗はほとんどない。
 同通りは歩道がなく、車両と歩行者が混在した形で通行し、加えて電柱が道路上にあるため幅員をさらに狭くしている。一九九七年ごろから、通り会や商工会議所が、市や県、国に対して拡幅整備の要請を行ったが、幹線道路(県道高野西里線=旧国道390号および下里通り)が近接して平行していることや周辺の交通体系が整備され、また費用対効果からも整備不可としてきた。また旧平良市は二〇〇〇年に、通り会も参加した形でまとめた「中心市街地活性化基本計画」で、コミュニティー道路として整備すると位置付けた。
 しかしその後、通り会側から、現幅のままで整備するコミュニティー道路ではなく、「あくまでも拡幅整備を」とする強い要望が出された。この間、通り会は地元出身の国会議員や県議を通し、市や県、国に対し拡幅整備を働き掛けた。相次ぐ要請に市も、方針転換の考えを示すなど計画が迷走し、県も要請を受ける形で、今回の可能性調査を実施。改めて「拡幅整備は事業採択の可能性はない」と結論を出した。
 担当する県宮古支庁土木建築課は「調査結果から、拡幅はできないことを通り会の理事の皆さんに伝えた。その上で現幅のままで歩行者専用道路、コミュニティー道路の二つの案を提案した。あとは通り会の意見集約がどうなるかが整備のカギ。あくまでも拡幅ということになれば、どうすることもできない。県は手を付けることができず、今のままの状態が続く」と話した。提案の中で県は、電線を地中化することや悪臭を断つために市が下水道整備を併せて実施することも付け加えた。調査結果を受け、通り会側は早急に意見を取りまとめたいとしており、県の担当者を招いた説明会の開催などを検討している。

 写真説明・拡幅整備の可能性がなくなった西里通り


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宮国さん(上野出身)の「文机」最優秀賞
池間さん(平良)の「苧麻織」佳作

/県工芸公募展


 【那覇支局】第二十八回県工芸公募展(主催・県)入賞者の表彰式が十七日、那覇市ぶんかテンブス館で行われた。宮古関係では宮国昇さん(57)=宜野湾市在住、宮古島市上野出身=の文机が六年ぶり二度目の最優秀賞、池間吉子さん(68)=宮古島市平良=の宮古苧麻織着物が佳作を受賞した。
 宮国さんの文机はリュウキュウ松の大柄な木目を生かした作品。天板四隅の朱塗りの色使いや、漆を二十回以上も塗る丁寧な仕上げ―などが評価された。
 宮国さんは「受賞を励みにこれからも、素材(松)を生かした、ものづくりをしたい」と喜びと抱負を語った。
 宮国さんは十七年ほど前、松の木目にほれ込み木工芸を始め、二年後には本業として営むようになった。二〇〇〇年には県工芸士に認定された。
 池間さんの作品は、「新しい風」をイメージした草木染めの苧麻織物。生地に横向きの白絣を入れ、涼感を表現した。苧麻織を安く提供しようと、独特な柄の草木染めを始めたという。
 同公募展での入賞は、三年連続三度目。平良字西原に工房をつくり、後輩の指導にも当たっている。「次は、最優秀賞を目指したい」と話した。

 写真説明(左)・最優秀賞に輝いた宮国さん(後ろの文机が受賞作品)=17日、那覇市ぶんかテンブス館
 写真説明(右)・佳作を受賞した池間さん(横の苧麻織が受賞作品)

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獅子舞で厄払い/比嘉で伝統行事「旧二十日正月」

 城辺地区比嘉の伝統行事「旧二十日正月(パツカショウガツ)」が旧暦一月二十日に当たる十七日、集落内で行われた。九十年以上にわたって引き継がれている伝統行事で、住民こぞって獅子舞やクイチャーを踊り集落の繁栄や無病息災を祈願。新築や改築宅なども巡り、獅子舞で厄払いした。
 午後三時ごろから、マーニ(和名・クロツグ)の葉で作った冠を頭に乗せた住民たちが比嘉公民館に集合。二頭の獅子舞を先頭に笛やホラ貝、三線で歌を歌いクイチャーを踊りながら公民館の周囲を三周したほか、集落を一周し住民の健康と安全を祈願した。
 この日は、家屋を新築した波平重信さん宅、改築した前里清秀さん宅、下地美智子さん宅、新しく耕運機を購入した本村弘幸さん宅を巡り獅子舞とクイチャーで厄を払った。厄払いを受けた波平さんは「盛大なお祝いをありがたく思う。獅子舞を踊るメンバーのほとんどが幼なじみとあって、うれしい」と地域を挙げての祝福に喜びを見せた。
 比嘉公民館の末広冨士雄館長は「老若男女そろって二十日正月を行うことができ、ありがたい。これからも住民の団結を強めるためにも続けていきたい」、比嘉民俗芸能保存会の本村弘幸会長は「先代が守ってきた伝統行事を若い世代にも引き継いでいくため、宮古島市の文化財としても認められるよう守っていきたい」と今後の保存・継承に意気込みを見せた。

 旧二十日正月 字財産の山林処分をめぐって長年争っていた士族と平民が和解したのをきっかけに、一九一三(大正二)年の一月二十日を和解記念日として設定。毎年、部落の繁栄とともに無病息災、五穀豊穣を願う。

 写真説明・獅子舞で新築の家の厄払いを行う=17日、城辺地区比嘉

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下地中がアジアKids大賞/台湾との国際交流評価

 国際交流事業の後援や助成などを行っている西日本国際財団(新藤恒男理事長)の創立二十周年記念特別表彰「アジアKids大賞」に、宮古島市立下地中学校が選ばれた。姉妹校である台湾の漢口國民中学校との交流をきっかけに、学校の枠を超えた国際的な親睦を深めてきたことが評価された。川上哲也校長は「子供たちや職員、地域にとって大きな励み。今後も国と国との交流に広がっていけばうれしい」と喜びを話した。授賞式は三月十日に福岡県で行われる。
 西日本国際財団は、九州地域での国際交流事業に対し助成を行っており、創立十五周年に「西日本国際財団アジア貢献賞」を設置。今回は創立二十周年を記念し「アジアKids大賞」を創設し、十八校の候補の中から、下地中学校を含む三校を大賞に選出した。
 下地中は、旧下地町の国際交流員で台湾出身の羽地芳子さんを通じ、一九九九年から台湾の台中市立漢口國民中学校と交流を開始。生徒たちが互いにホームステイしながら文化や生活習慣を学んできた。
 台湾で大地震が発生した際には、生徒たちが街頭で募金を募り見舞金を寄付。宮古島が二〇〇三年の台風14号で被害を受けた際には、台湾から見舞金が贈られてきた。全日本トライアスロン宮古島大会やワイドーマラソンなどに出場するチーム台湾の選手たちも毎年訪れ、生徒たちと交流を深めている。
 同校と台湾のパイプ役を担ってきた羽地さんは「今まで頑張ってきたことが認められうれしい」と喜ぶ一方で「財政が厳しい中、今後どうやって継続させていくかが一番の心配事。合併で交流がなくなることは避けたい。これからも継続していけるよう頑張りたい」と話し、行政の理解を求めた。
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   萩本欽一さんがエール/清原選手と「欽ちゃん走り」も

 野球のクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督を務める人気お笑いタレント、「欽ちゃん」こと萩本欽一さん(64)が十七日、オリックス・バファローズの春季キャンプが行われている宮古島市民球場を訪れ、親交の深い清原和博内野手とチームを激励した。萩本さんは「僕に会ってすぐ笑顔で良かった」と清原内野手との再会を喜んだ。清原内野手が「優勝したらもうそれで…」と、会話の中で引退をほのめかすと、「だめだよ。チームを背負っているんじゃなくて、プロ野球を背負ってるんだから」と、長く現役で続けるようエールを送った。
 あいにくの雨で紅白戦も中止となり、「球団にはマイク持たせてくれと言っていたんだけど」と残念がった萩本さん。五月七日が誕生日だということで、「そのときにホームランを打って。約束事を果たす男だと思っているから」と切り出すと、清原内野手は「分かりました」と約束した。
 清原内野手は「少しずつ(周りの選手と)距離が縮まっていますから」などとキャンプの様子を話すと、萩本さんは「若い選手にも声を掛けてお付き合いしてみようかな。ちょっと良い選手がいたら、辞めるときはゴールデンゴールズに声を掛けてください、と」と、冗談交じりに話した。北川博敏内野手に独特の「欽ちゃん走り」を伝授する場面もあり、終始笑いが絶えなかった。
 中村勝広監督、小泉隆司球団社長とも対面した萩本さんは、二軍(サーパス神戸)とゴールデンゴールズとの試合の約束も取り付け、大喜び。宮古の住民には「オリックスに熱い声援を送ろう。選手たちが『宮古島ありがとう』と叫んでくれたら最高」と、球場に足を運ぶよう呼び掛けた。

 写真説明・「欽ちゃん走り」のポーズで笑みをこぼす萩本さん(左)と清原内野手=17日、宮古島市民球場屋内練習場



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