200平成18  114 土曜日

トライまで「あと100日」/成功向け残暦板を除幕

 第二十二回全日本トライアスロン宮古島大会(主催・宮古島市など)まで、あと百日に迫った十三日、大会開催日(四月二十三日)までの日数をカウントする残暦板の設置式が、同市総合体育館にあるトライアスロン記念碑前で行われた。大会長の伊志嶺亮宮古島市長ら関係者が出席し、大会の成功に向け決意を新たにした。市町村合併に伴い主催が宮古広域圏事務組合から宮古島市に移って初の大会。
 大会には宮古勢六十八人を含む千五百人が出場予定している。「ストロングマン」を目指し、宮古島を舞台にスイム、バイク、ランの三種目で自己の可能性に挑戦する。
 残暦板の除幕後、伊志嶺大会長は「トライアスロンは宮古の活性化に大いに役立っている。新市となって初の大会。住民の力を結集して元気な宮古島市になるよう頑張ろう」と呼び掛けた。
 また、同市議会の下地智副議長が「安全な運営を行い最高の大会にしましょう」と述べ、大会成功を祈願した「振舞酒」で乾杯した。
 今大会のテーマは「ともに競い ともに讃え みんな輝け宮古島」。海外から十二カ国五十七人、県内から百二十人、県外から千二百五十五人、宮古から六十八人の選手が出場を予定している。
 大会は下地地区の前浜ビーチをスタートし、ゴールは同市営陸上競技場。スイム三`、バイク百五十五`、ラン四十二・一九五`の計二百・一九五`で競われる。

 写真説明・関係者が残暦板の除幕を行い大会成功へ誓いを新たにした=13日、宮古島市総合体育館のトライアスロン記念碑前
 
top.gif (811 バイト)

9日ぶり快晴/気温も上昇、最高23・8度

 ぐずつく天気が続いた中、十三日の宮古島上空には青空が広がった。宮古島地方気象台によると快晴になったのは今月四日以来九日ぶり。最高気温は平年値より三度高い二三・八度(午後一時十四分)を観測した。
 きょう十四日も快晴で、十五日午後から天気が崩れ始める見込み。週間天気予報によると、来週いっぱいは急激に冷え込む予報はないという。
 久しぶりの好天に布団や洗濯物をベランダに干す家庭も多く見られ、ある主婦(52)は「ずっとたまっていた洗濯物が干せて良かった。乾燥機より太陽の下で乾かせるのが一番良い」とうれしそうに洗濯物を干していた。
 下地の前浜ビーチでは、ビーチバレーや散歩を楽しむ観光客らの姿も見られ、青空の下、つかの間の「夏」を楽しんでいた。

 写真説明・9日ぶりに快晴となり青空が広がった=13日、下地地区洲鎌

top.gif (811 バイト)

「議会に関心持って」/宮古島市HPで一般質問公開

 宮古島市役所ホームページでは、市議会定例会の一般質問の様子を動画公開している。現在は、合併後初めてとなった十二月定例会の一般質問を録画放送中で、市議会事務局では「個人の空いた時間にチェックできるのがインターネットの良さ。(視聴を通して)市民の議会への関心が高まれば」と期待している。
 一般質問のインターネット公開は、旧平良市時代から引き継いで行っているシステム。各日程の午前・午後単位で見ることができ、今後、定例会が開催されるたびに、過去のデータと併せて確認できる。
 市議会事務局は「議会の様子はテレビで視聴している市民が多いと思う。インターネットは自分の時間が空いたときにいつでも見ることができるので気軽に利用してほしい」と呼び掛けている。

top.gif (811 バイト)

宮里不二雄さん(ふじ胃腸科医院長)

第13回ノバルティス医療賞を受賞

 宮古島市平良字下里にある「ふじ胃腸科医院」の宮里不二雄院長がこのほど、これまでの地域医療への貢献と活動が認められて「第十三回ノ バルティス地域医療賞」を受賞した。今回の受賞について宮里さんは「これまで数十年間、地域医療のために歩んできた道が間違っていなかったことを改めて感じており、喜んでいる」と感想を述べた。同賞の贈呈式は今月二十六日に東京都のホテルオークラで行われる。
 宮里さんは、宮古から国費医大生の第一期生として東京慈恵医科大学に進学した。卒業後は大学病院でも医師生活を過ごした。
 大学病院と地域における医師との違いについて宮里さんは「大学の場合は病気の治療が主体で、難しい病気が多く高度医療が中心。地域医療はその社会のありふれた病気を中心に患者と接する。そういった医療にかかわってみて、患者さんの喜怒哀楽を共にできることに喜びを感じることができる。これが地域医療の魅力でもある」と話す。
 大きな病院に比べて患者に近い存在となる地域医療の医師については「母校の慈恵医科大学は『病気を診ずして病人を診よ』が建学の精神。私もその精神で地域医療に取り組み、それを基本に宮古での医療活動を実践してきたと思う。地域医療は実際にその患者の背景も見えてくるし、患者と地域の社会状況の中で最前の医療を行いたいと思っている」と述べた。
 地域医療にとって大切な要素については「患者との信頼関係が最も大切で、それには患者さんの話をきちんと聞くことが第一。患者さんが心を開いて話して、それをきちんと聞くことでお互いの信頼関係が生まれる。これが病気を診るのではなく、病人を診るということにつながる」と笑顔で話した。
 宮里さんを信頼して、訪れる患者たちは自分の体調を説明しながらも、近況や宮古島のいろいろな話題をおしゃべりする。笑顔で接してくれる宮里さんに患者もいつしか笑顔になる。病気ではなく、病人を診るという姿勢は患者たちの笑顔が証明してくれているようだ。
 ノバルティス地域医療賞委員会が主催し、日本医師会が後援する同賞は、住民に密着して医療活動に従事し、優れた功績を上げ、地域住民の保健衛生の向上のために著しく貢献した者に贈られるもので今回は宮里さんを含め全国で五人が受賞している。
 宮里 不二雄(みやざと・ふじお)1933(昭和8)年2月6日生まれ。72歳。宮古島市平良出身。宮古高校卒業後、宮古から国費医学生の第一期生として東京慈恵医科大学に入学。卒業後、同大学で医師として働き65年に宮古に戻り、宮古病院院長として十二年間勤務。77年にふじ胃腸科医院を開業し、二十八年間地域医療の充実に貢献している。現在、身体障害者授産施設「青潮園」の理事長を務める。

 写真説明・第13回ノバルティス医療賞を受賞した宮里 不二雄さん

top.gif (811 バイト)

「体が早く仕上がる」宮古で初の自主トレ/日本ハム4選手

 プロ野球パ・リーグ、北海道日本ハムファイターズの選手四人が初めて宮古島で、自主トレーニングを行っている。来島しているのは昨季7勝を挙げ頭角を現した鎌倉健投手(21)、正捕手の座を狙う實松一成捕手(24)、レギュラー取りに闘志を燃やす田中賢介内野手(24)、一軍定着を目指す糸井嘉男投手(24)の四人。三日からきょう十四日までの日程で宮古島を訪れ、来月一日のキャンプインに備えた。實松捕手は「宮古島は暖かいから体が早く仕上がる。いつでもキャンプインできる」と話した。
 四選手は、キャンプインに向けた基礎的なトレーニングに時間を費やし、十三日はバッティング練習などで汗を流した。
 昨季、チーム投手陣では二番目の勝ち星を挙げた鎌倉投手は「良い自主トレができた。昨年以上の成績を残したい」と意気込み。實松捕手は「今季の目標は優勝。それに貢献できる選手になり、秋にはおいしいお酒を飲みたい」と意欲を見せた。
 田中内野手は「とにかく優勝したい。来年もまたこの四人で宮古島へ自主トレに来たい」、糸井投手は「充実したトレーニングになった。一軍で活躍できるよう頑張りたい」と、それぞれ語った。
 来年に向けては、「屋内練習場を使えればなお良い」などと話し、各施設がもっと利用しやすくなるよう要望していた。

 写真説明・宮古島で初めての自主トレを行っている(左から)糸井投手、田中内野手、實松捕手、鎌倉投手=13日、市内のバッティングセンター

top.gif (811 バイト)

  宮古の球児を甲子園へ/「支援の会」結成に動く

 宮古島の高校球児を甲子園に送ろうと、ホテルニュー丸勝の平良勝之さんや宮古野球連盟が、支援の会結成に向けて動き出した。十三日午後、平良さんや野球連盟の下里弘会長らが会見し「宮古の高校でもやればできる。甲子園に送るために、いろいろな支援をしたい」と、会結成に向け理解を求めた。三―五年後に甲子園出場実現を目指す同会は来週中にも結成される見込みで、平良さんらは個人、企業、職域野球チームを問わず参加希望者を求めている。
 支援の会が発足すれば、島外での合宿や試合をはじめ、島内に強豪校を招くなどして物心両面から宮古の高校球児を支えていく方針で、平良さんは「宮古の高校が甲子園に行けば島に活力が出るはず。目標達成に向けて一歩、一歩、みんなの力で頑張りたい」と強調した。野球連盟の下里会長は「昨年の宮古高校のベスト4進出で、島内の高校生の意識も変わったと思う。この宮古島で野球に関心を持つ人がスクラムを組めば、近い将来甲子園に行ける」と話した。同席した同連盟の川満時英副会長は、高校だけでなく中学校と連携した一貫指導の必要性を強調した。
 支援の会には野球に関心を持つ人ならば誰でも参加できる。問い合わせはホテルニュー丸勝(電話72・9936)の平良さんまで。

 写真説明・高校球児を支援する会を来週中にも立ち上げる(左から)下里さん、平良さん、川満さん=13日、ホテルニュー丸勝

top.gif (811 バイト)