200平成17  1116曜日

宮古島市・助役に坂井氏浮上/三役人事調整動き出す

 今月十三日に行われた宮古島市長選挙で伊志嶺亮氏が当選し、今後の注目は伊志嶺市政の三役人事となった。当選した議員や関係者の間で助役人事に向けた水面下の調整も展開されているようで、ここにきて前県議会議員の坂井民二氏の名前が浮上してきた。坂井氏は今回の市長選で伊志嶺氏支持を打ち出した下地幹郎衆議院議員と行動を共にした。同時に行われた市議選の結果、伊志嶺市政は少数与党となっているが、伊志嶺氏支持で今回選挙を戦った坂井氏は、与野党どちらにもパイプを持っていることから今後の動きが注目となっている。
 今後開催される宮古島市議会で助役案件が提案される予定だが、当選した議員たちも助役案について注目しているようだ。
 今回の市議選で当選した二十八人のうち伊志嶺氏を支持して当選した議員は十二人で、下地敏彦氏を支持して当選した議員は十四人となったことから、現状で伊志嶺市政は少数与党となっている。
 しかし、中立の立場で当選した議員も二人おり、この二人の動向次第で与野党構成が微妙に変化する。
 坂井氏助役案が議会に提案された場合、与党議員全員が賛成するかは微妙だ。今回選挙を伊志嶺氏支持で戦ったとはいえ、一部の与党議員が坂井氏の助役に難色を示すことも予想されている一方で、野党議員の中には下地幹郎氏と坂井氏に近い議員もいることから今後の動向が注目となっている。
 坂井氏助役案について、伊志嶺氏の周辺は「まだ、助役案については検討していないし、坂井氏の名前が挙がっているわけでもない」としているが、助役候補として坂井氏の名前が今後取りざたされる可能性については否定しなかった。
 また、野党議員の一人は「助役人事で今後、坂井氏の名前が挙がってくるのは間違いない。保守系議員の立場からも坂井氏の方がやりやすい部分も多い」との声も聞かれている。
 しかし、今回の市長選はねじれの構図と複雑化した政局の中で行われたこともあり、三役人事についても多方面の調整が必要となっている。これから今月末の臨時議会まで、与野党それぞれの議員間における調整と活発な協議が行われていく。

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自主財源比率21・6%/宮古島市合併後も厳しい財政続く

 十月一日に発足した宮古島市(伊志嶺亮市長)の二〇〇五年度の九月補正を含めた予算で自主財源比率が二一・六%となり、五市町村が合併して誕生した新市も、厳しい財政事情は旧五市町村の状況と変わらず、今後も歳出抑制に加え、地方税の徴収率向上と新たな財源確保も課題となっていることが分かった。
 自主財源とは、地方公共団体が自主的に収入できる財源で、地方税、分担金、負担金、使用料・手数料、財産収入、繰入金などが含まれる。これの全体歳入に占める割合が自主財源比率で、この比率が高いほど、行政の自主性や安定性を確保することができる。
 市財政課が〇六年度の予算編成方針の中で示した資料では、合併した旧五市町村の決算状況で自主財源比率は〇三年度が一六・五%、〇四年度が一八・九%となっていることが読み取れ、合併前の旧五市町村の財政状況は国庫支出金など、依存財源に頼った財政状況となっている。
 宮古島市の〇五年度普通会計予算(九月補正まで)の歳入合計は、三百六十億三百四十八万二千円で、そのうち自主財源の柱となる地方税は四十二億二千四百十六万六千円、そのほかは分担金・負担金・寄付金が三億五千八百七十万二千円、財産収入が二億九千八百十二万九千円などとなり、自主財源全体では七十七億八千四百七十八万三千円となっている。
 市財政課が示した〇六年度予算編成方針では、今後も国の「三位一体改革」等により国庫補助負担金の縮減および削減、地方交付税についても伸びが期待できないことから一般財源の増額は見込めず、歳入不足を基金等によって補充することも難しい状況が続き緊縮財政を強いられることが示されている。
 〇六年度予算編成の基本方針としては▽経済情勢や国・県の動向、市民への効果的効率的な視点を踏まえるとともに、社会資本整備、教育、少子・高齢化などの対応を図る▽過去に実施した事業の成果や反省点などを踏まえ、状況の変化に対応した施策展開に留意▽各種事業の構築については、各部・各課内で事業の必要性、緊急性、効果等を十分に勘案し調整、検討を加えるほか優先順位、投資効果等を考慮しながら国庫補助制度の有効な活用とともにコスト意識をもった事業計画の立案、採択▽すべての事務・事業については、ゼロベースで十分点検し、継続して要求する場合でも、これまでの決算状況等を勘案する―などとなっている。

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優良教習所で全国表彰/無事故・無違反の実績評価

 十一日に東京で開催された第三十八回指定自動車教習所全国大会で、宮古自動車学校(友利義一校長)が優良教習所として全日本指定自動車教習所協会連合会から表彰された。同校での免許取得者の無事故・無違反など優良運転者養成が評価された。友利校長は「職員全員の日ごろの頑張りのおかげ。これからも教習生たちの無事故・無違反に対する意識付けを徹底し、安全な運転者育成に頑張りたい」と喜びと抱負を話した。全国で約一万三千校ある教習所のうち優良教習所表彰を受けたのは四十校で、県内では宮古自動車学校のみ。
 優良教習所表彰は、十五年以上にわたり自動車運転者教育を推進し、多数の優良運転者を養成するとともに、地域の交通安全教育センターとしての活動に功労を上げた教習所を表彰する。
 十一日に開かれた同大会に友利校長が出席し、賞状と盾、メダルを受けた。
 宮古自動車学校は一九七六年創立、八一年に公安委員会から指定教習所としての指定を受けた。一年間で約六百人が自動車や大型二輪の免許を取得しており、これまでに約一万五千人以上が同校を卒業している。友利校長は職員の日ごろの取り組みに感謝し、同校の宮国政之副管理者は「夢にも思わなかった受賞。励みでもあり誇りに思う。これからも頑張っていきたい」と話した。

 写真説明・優良教習所表彰を喜ぶ友利校長(左から2人目)と職員たち=15日、宮古自動車学校

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晴れ着姿で神社参拝/七五三 成長と安全願う

 十五日は子供の健やかな成長を祝う「七五三」。宮古神社には多くの親子連れが訪れ、子供の成長に感謝するとともに今後のさらなる健康と安全を願った。晴れ着を身につけた子供たちは少し緊張した面持ちでおはらいを受けたあと、千歳飴をもらい笑顔を見せていた。
 下地康子さんは娘の凛々子ちゃん(2つ)と参拝。康子さんは「健康で育ったことに感謝した。やりたいことを自由に思いっきりできる子に育ってほしい」と目を細めた。赤い着物でめかし込んだ湧川美優穂ちゃん(6つ)は「大きくなったらお花屋さんになりたい」と笑顔。母親の真知子さんは「健康で明るく、思いやりのある子に育ってくれればうれしい」と我が子の健やかな成長を願った。
 七五三は男の子が三歳と五歳、女の子が三歳と七歳のときに祝う行事で、数え歳で参拝する親子が多い。宮古神社によると、十五日が平日に当たったため、土日の十二、十三日に参拝する親子も多かったという。

 写真説明・晴れ着を身につけ千歳飴を手に参拝した親子=15日、宮古神社

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133人が祝意表す/紀宮さまご結婚で記帳

 清子内親王殿下(紀宮)のご結婚に伴う慶祝記帳所が十五日、県宮古支庁一階ロビーに設置され、百三十三人が訪れて名前を記し、祝意を表した。記帳された帳簿は、宮古・八重山支庁分を含めて県庁が取りまとめ、稲嶺恵一知事のメッセージを添えて今週末から来週にも宮内庁に届けられる。
 記帳所の設置については、県民から「記帳を通して喜びの気持ちを伝えたい」との要望を受けて設置。清子内親王殿下は、一九九一年に、豆記者交歓会の三十周年記念行事で宮古にご来島され、当時の豆記者たちと触れ合ったり、東平安名崎を見学されるなど宮古とのかかわりがある。
 記帳に訪れた三十代の男性は「テレビの報道などできょうのご結婚の件は知っていた。おめでとうございます」と話した。 天皇家関連では、昭和天皇が病床に伏された一九八八年九月から翌年一月までの期間に県庁でお見舞いの記帳が、他界された際にはお悔やみの記帳所が設置された経緯がある。宮古支庁では、天皇家関連の記帳が行われるのは今回初めて。

 写真説明・清子内親王殿下(紀宮)のご結婚に祝意を表し記帳する人々=15日、宮古支庁

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   平和へのメッセージ発信/合同還暦祝賀会「一期一会の集い」

 【那覇支局】終戦の年の一九四五(昭和二十)年に生まれた同期生の合同還暦祝賀会「一期一会の集い」(主催・同実行委員会)が十三日夕、宜野湾市内のホテルで開かれた。集いには県内外から約九百五十人(うち宮古出身約四十人)が参加。還暦の節目を祝うとともに、「平和へのメッセージ」を日本語と英語で発信した。
 昭和二十年生は、戦中あるいは終戦直後に生まれ、飢えや貧困などを乗り越え還暦を迎えることになった。
 一期一会の集いは、戦後の苦しみの体験から「悲惨な戦争は二度と起こしてはならないという祈り」を込め開催した。
 平和へのメッセージは「平和の創造を沖縄から世界に発信する」とうたっている。
 集いでは、始めに戦争で亡くなった人たちの霊に黙とうをささげた。
 新本博司実行委員会長は「昭和二十年生は、戦火の中ある者は防空ごうで、ある者は馬小屋や山中で九死に一生を得てこの世に産声を上げた。戦後の混乱の中、互いに助け合って生き抜き、めでたく還暦を迎えたことは、各自感慨無量のものがあろうかと思う。育てててくれた親や社会に感謝しつつ、戦争の犠牲になった同胞に祈りをささげ、平和のメッセージを発信する」とあいさつした。
 来賓あいさつで稲嶺恵一知事は、戦後の沖縄発展に尽くした同期生たちの労をねぎらうとともに、今後一層の活躍を祈念した。
 ゲストに招かれた昭和二十年生で女優の松島トモ子さんは、戦争で夫を亡くし、女手一つで自分を育ててくれた母への思いなどを語り聞かせた。
 伊良部出身で沖創建設社長の横田恵文さんは「還暦は第二の人生のスタート。心機一転、一生現役の心構えで頑張っていきたい」と決意新た。佐和田直浦添市議会議長は「昭和二十年生は、戦争中に生まれたので、数が最も少ない。そういう恵まれない境遇の中で育ったアグ(同年齢の友達)たちが集うのは意義深い」と話した。

 写真説明・乾杯で還暦を祝う宮古出身の同期生たち=13日、宜野湾市のラグナガーデンホテル

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