200平成17  1013曜日

投開票まで1カ月/市議と同時選で様相複雑

 十一月十三日に投開票が行われる宮古島市の市長選と市議選の同時選挙まで,きょう十三日で残り一カ月となった。五市町村が合併して新しく発足した宮古島市の有権者数は四万二千二百九十七人で、予定候補者たちも選挙区の拡大に伴う新しい選挙戦術の必要性に対応しながらの動きとなっている。市長選は,伊志嶺亮氏(72)と下地敏彦氏(59)での保革一騎打ちの様相で展開している。一方の市議選は,定数二十八に対して四十六人が立候補を予定する乱立選挙となる見込みで、これからの一カ月は圏域全体が選挙モードに突入していく。
 市長選に立候補を表明している伊志嶺氏は民主、社民、共産、社大の推薦を受け、下地氏は自民党県連からの推薦を受けている。事実上、保革一騎打ちの様相だが、選挙区拡大で保革の色合いが薄まっておりお互いに四万人を超える有権者に対応した動きを模索している。
 宮古地区保守系は三年前の旧平良市の市長選から分裂状態が続いたが、今回は擁立候補を下地敏彦氏で「一本化」した。しかし、関係修復作業中に衆議院が解散となり、自民党を離党した宮古出身の下地幹郎氏が沖縄1区で民主、社民、社大の推薦、支持、協力を得て「自公」を打ち破り勝利を収めたことが宮古の政局をさらに複雑化させている。
 下地幹郎氏は当選後「どちらを支持するかは中尾英筰氏(宮古島商工会議所会頭)と坂井民二氏(前県議)らと相談して決めたい」との見解を示しているが、まだその方針は示されていない。
 下地幹郎氏の自民党離党、革新系からの支持を受けての当選は「反自公」を掲げての当選で、宮古においてもその動きを展開したいとしているのが伊志嶺陣営だ。一方の下地敏彦陣営は自民党県連の推薦を受けて今後、公明党との協力態勢を構築していく構えとなっていることからこの動きを受けた今後の展開が注目となっている。
 定数が二十八となった市議選には、旧五市町村の前職が三十四人、元職が三人、新人が九人の合計四十六人が十二日現在で立候補を予定している。
 旧五市町村の前職は前回選挙の獲得票数と選挙区拡大に伴い当選ラインの票読みをしながら支持拡大の動きとなっている。元職もこれまでの支持基盤を固めた上で新たな票田へと触手を伸ばしている。また、新人候補はフレッシュさを前面に押し出す候補や、独自の戦術で票の掘り起こしをするなどそれぞれの取り組みを行っている。

市長選立候補予定者インタビュー
 


 

  行政運営は「決断と選択」
     伊志嶺 亮氏


 ―投開票まで一カ月となったが
 六月七日に立候補を表明してこれまで主に地方の連絡所、事務所などの整備について取り組んできた。今回は五市町村が合併し、選挙区も広がったがこれまで順調に各地方事務所の立ち上げができてきた。それと同時に強い手応えを感じている。
 ―重要視する政策と将来像は
 これからの宮古圏域にとって大切な要素であり大きな課題として観光の振興がある。しかし、宮古の観光は基盤産業の第一次産業の下支えがないと伸びない。観光産業と第一次産業がリンクした島づくりに取り組みたい。また宮古の命は環境なので水や森林、サンゴ礁など海域の保全も大切。さらに下地島空港やその残地を活用し国際的な展望のある宮古島市づくりを展開したい。
 ―厳しい圏域情勢の中で求められるリーダーとは
 合併しても新市の行政運営は厳しい状況が続く。財政にしても七年間は単年度赤字が続くし、累積赤字の解消にも九年間の時間が必要となっている。こういう厳しい社会状況の中で大事なことは「決断と選択」であり、それができるリーダーが必要だと思う。何を優先し、何を切るのかが問われているので、しっかりと行政判断のできるリーダーが新市に求められており、そのようなリーダーとして頑張りたい。
 ―有権者に訴えたいことは
 両候補とも基本的な政策は似たようなものとなっている。しかし、私たちは政府が進めている自公路線による強引なやり方に対して反対する姿勢を示している。これには市民だけでなく国民の反発がかなりあると思う。しっかりとただしていきたい。大きな声で国にも県にも地方の声を届けるリーダーとして頑張りたい。



 伊志嶺 亮(いしみね・あきら)1933(昭和8)年1月19日生まれ。旧伊良部町佐和田出身。57年岡山大学医学部卒。琉球政府立南静園長、宮古保健所長、宮古病院長などを経て、64年に伊志嶺医院開業。94年に第16代旧平良市長に就任し、3期務める。



伊志嶺氏の基本政策
1.農水産業の振興および観光との連携による経済活性化と雇用拡大
2.地域拠点の整備と活力あるまちづくり
3.地下水を守り、海や森林など自然環境の保全・活用
4.下地島空港の活用と国際交流拠点の形成
5.全住民が「健康な100歳への挑戦」のできる環境整備
6.国際社会に対応した人材育成と教育環境の充実
7.行財政改革の積極的な推進と情報公開
8.男女共同参画社会の推進と平和な宮古の発信



 
  経済活性化政策に自信
     下地 敏彦氏


 ―投票まで一カ月となったが、手応えは
 立候補することを表明してから非常に良い手応えを感じている。(自らが立候補した)前回平良市長選挙では保守系が分裂して戦力が分断されたが、今回は一本化されたことで保守のエネルギーを最大限に発揮することができる。有権者の多くに市政を変えようという強い思いがあることを肌で感じている。公明党の選挙協力については、党レベルでの話し合いが進められており、良い感触がある。
 ―「宮古島市」の将来像をどう描くか
 農林水産業の振興を図り、かつ島の自然を生かした観光産業とリンクさせていきたい。また、社会基盤をしっかりと整備することも大切で、停滞する今の宮古島は経済を活性化させることが最重要課題だ。これらを実現させて、宮古島市の市民が、豊かで楽しい生活が送れるような宮古島市にしたい。

 ―政策の中で最も重要視する項目は
 経済の活性化だ。今の宮古島の経済は停滞しており、これを活性化させて市民の生活を豊かにする。事業を導入することで公共、民間を問わず雇用の拡大を図る。さらに天然ガスおよび温泉水の利活用施設の建設、下地島へのスポーツトレーニング施設誘致などで雇用を拡大する。
 ―有権者に訴えたいことは
 一党一派にとらわれるときではない。豊かで住み良い宮古島市を建設するためには市民一人ひとりが行動を共にしなければならない。私はこれからも「市民党」という立場で経済の活性化を中心とした政策を訴える。予算を効率良く配分できるリーダーが必要だ。新しい「宮古島市」では、新しいリーダーに期待してほしい。

 
下地 敏彦(しもじ・としひこ)
1945(昭和20)年12月10日生まれ。旧平良市下里出身。68年琉球大学理工学部生物学科卒。同年農林局水産部漁政課漁政係に採用され、企画開発部企画調整室副参事、農林水産部次長、県宮古支庁長などを経て02年に退職、同年05月旧城辺町助役に就任(05年8月退職)した。

下地氏の基本政策
1.健康で安心して暮らせる医療・保健・福祉の充実
2.安全で潤いのある、快適な生活のための社会基盤の整備
3.地下水の保全、自然環境、社会環境の保全・創造で環境調和型社会づくり
4.環境に配慮した収益性の高い干ばつ・台風に強い防災・循環型農水産業の振興
5.人、産業、自然を活用した保養・体験・滞在・交流型観光の推進
6.市民と手を取り汗を流し、市民と共につくる行政の推進
7.安心して子育てができ、お年寄りが生きがいの持てる少子高齢化に対応した、家庭環境づくりや地域環境整備
8.命を大切にし、愛情豊かで社会の一員として自覚をもつ人づくり

 

top.gif (811 バイト)

宮古初のビーチクリーナー稼働

16日、23日にクリーンアップキャンペーン

 宮古島の自然は自分たちの手で守ろう―。宮古青年会議所(宮古JC、宮里敏彦理事長)とマリンフェスティバル宮古島実行委員会(藤村明憲会長)はマリンフェスティバルイン宮古島の一環として、十六、二十三の両日にビーチクリーンアップキャンペーンを実施する。今回は宮古初となる「ビーチクリーナー」も稼働。砂に埋もれた細かいガラス片や小石なども拾い集め、よりきれいで安全な砂浜づくりを図る。主催者では地元から環境美化への意識を高めてもらおうと、子どもからお年寄りまで多くの参加を呼び掛けている。
 クリーンアップキャンペーンは、宮古JCが展開している「美ぎ島オトーリ2005」と連携して実施。十六日は前浜ビーチで、二十三日はパイナガマビーチで行う。時間はいずれも午前十時から。パイナガマビーチでは砂浜だけでなく海中のごみ拾いも行う計画で、ダイバーやシュノーケリングに自信のある参加者も募集している。参加者全員にさかなクンのオリジナルステッカーをプレゼントするほか、十六日は抽選で四人に同日行われるD―51のコンサートチケットも贈る。
 宮古では初稼働となる「ビーチクリーナー」は、人手では拾いきれない砂に埋もれた細かいごみを拾い集めるもので、県内の万座ビーチなどでも使用されているという。今回は県内の企業からレンタルし、PRも兼ねて作業を実施。同実行委員会では観光地として海をPRする島内での使用も考えており、行政や各関係機関などの参加も呼び掛けている。
 宮古JCの宮里理事長は「ビーチクリーナーを入れることで見過ごしてしまう小さなごみも拾い集めることができる。地域住民だけでなく、宮古のために何かしたいと考えている方にも参加してもらいたい」と話し、多くの参加と協力を求めた。問い合わせは宮古JC(電話73・3868)まで。

 写真説明・宮古では初稼働となるビーチクリーナー。砂浜の細かいごみなどを拾い集める

top.gif (811 バイト) 

青色の花満開/在来種のアサガオカラクサ

 アサガオカラクサ(ヒルガオ科)が、宮古の一部地域の海岸や原野で淡い青色の花を咲かせ、秋の訪れを告げている。
 繊細な一年生草本で変化に富む。茎は多数。花の直径は一aほど。花と葉っぱが唐草模様に似ていることから、名前の由来となった。
 今の時期は午前八時ごろから花を咲かせ、数十分もすると満開。正午すぎから、花はゆっくり閉じていく。
 近年宮古での成育地は減少しており・保護・保全が必要な貴重種。
 県内では、沖縄本島の一部や伊是名島、宮古、石垣島、西表島、与那国島に成育する在来種。そのほか、小笠原諸島、台湾、南中国、東南アジアなどに分布する。

 写真説明・在来種のアサガオカラクサ=12日、宮古島市伊良部(撮影・伊良波彌記者)
top.gif (811 バイト)

陸海空で連携確認/平良港で海上防災訓練

 防災体制の連携強化などを目的とした二〇〇五年度海上防災訓練(主催・宮古地区海上防災対策協議会)が十二日、平良港第二ふ頭で行われた。「入港中の貨物船が岸壁に衝突し、重油が流出、火災が発生し、乗組員が負傷、海上に転落した」という状況を想定して行われた訓練には、関係九機関から約百二十人が参加し、各機関が本番さながらの作業を陸上、海上、空から展開した。
 訓練は@災害発生情報の伝達、出動要請訓練A船艇・航空機による被害調査B各関係機関などの出動、資機材の緊急輸送C流出油の拡散防止、防除、流出油の撤収D行方不明者の捜索救助E火災の消火、船内負傷者の救出―の六項目を重点的に実施。参加者らは、海上に落下した乗組員を船やヘリコプターから救助、船体の消火など、一つ一つの作業を真剣な表情で、慎重にこなしていた。また、対策本部にはヘリコプターから被害状況や救助活動の様子などが迅速に映像で配信された。
 同協議会長の岡部竹男平良海上保安署長は「連携体制は良好。平良港は宮古圏域の重要な港。事故や災害で機能を失うと燃料や食料などが入らなくなる。万が一の際には速やかに復興させなければならない」と総括した。
 訓練に参加したのは▽海上保安庁(平良海上保安署、石垣海上保安部、石垣航空基地)▽航空自衛隊宮古島分屯基地▽宮古島警察署▽宮古島市消防本部▽宮古島市(平良港港湾管理者)▽平良港工事安全連絡協議会▽りゅうせき宮古支店▽沖縄電力離島カンパニー宮古支店▽平良市漁業協同組合―の九機関。車両八台、船艇十隻、ヘリコプター一機が出動した。

 写真説明・海上に転落した乗組員をヘリコプターで救出、救急車に引き渡し救急隊員が人工呼吸。訓練では一連の連携体制が確認された=12日、平良港

top.gif (811 バイト)

ゴーヤーで「かりんとう」/手作り加工推奨品に認定

 ゴーヤーやパパイアなどを使用したかりんとうで全国生活研究会グループ連絡協議会の「二〇〇五年度手作り加工推奨品認定」を受けた下地地区生活研究会(比嘉初江会長)は十二日、宮古島市役所を訪れ川田正一市長職務執行者に認定を報告した。比嘉会長は同会で考案し商品化したかりんとうを紹介。試食した川田市長職務執行者は「手軽に食べられておいしい。合併効果の第一号として全国や県内でも知れ渡り、農業や経済で素晴らしい効果が発揮できるよう祈念する」と期待を寄せた。同会は兼城克夫宮古支庁長にも報告を行い、今後の抱負を述べた。
 手作り加工推奨品認定を受けたのはゴーヤー、パパイア、ドラゴンフルーツを使用したかりんとう三種類。果肉を練り込み、素材の風味や色合いが出るよう工夫を重ねたという。JA下地支店のAコープやおきなわ宮古市場で販売しているほか、今後は全国のわしたショップでも販売するよう調整していく。比嘉会長は「何度も失敗したが皆で研究した。かりんとうに限らず自分たちで生産した特産品を商品化し、地産地消に皆で頑張りたい」などと喜びと意気込みを見せた。
 手作り加工推奨品認定は、地域の特性を生かした手作り加工品の信頼性を確かなものにし、農産物などの有効活用を促進することなどを目的に行っているもので、地域の農林水産物を活用していることなどが条件。認定を受けた場合は商品に「全国生活研究会グループ連絡協議会推奨品シール」を張りPRできるほかホームページや機関誌「灯」でも紹介されるなど、全国的にPRされる。

 写真説明・川田市長職務執行者(左から3人目)に認定報告を行った下地地区生活研究会の比嘉会長(同4人目)ら=12日、宮古島市役所


top.gif (811 バイト)

   西原は日本人源流の一派

県高等学校長協会・大田義弘さんが講演

 県高等学校長協会(又吉孝一会長)の第四回定例研究協議会が十二日、宮古島マリンターミナル研修室で行われ、南島史学会員で平良字西原出身の大田義弘さんが「南島方言から読む日本民族の源流」の演題で講演。西原の方言と昔の日本語(上代語)との関連性を示した上で、西原の先人は日本人の源流の一派であるとの持論を展開し「言語は、民俗の歴史・種族を解き明かす貴重な証文」と説いた。
 大田さんは、自らの母語方言である西原方言について、平仮名表記の「お」と「を」の発音的区別が上代語に忠実に用いられていることなどの例を挙げ、同方言が現代日本の共通語より文体・語い共に上代語に近似していることから、西原の先人が日本人の源流の一派として存在していたとの論考を展開した。
 また、南島方言は奈良時代以前にさかのぼる日本上代語の古形を多く保持しているのに対し、現代日本共通語は明治以後に「造成」された国語で、母体となる江戸語は一地方の方言だったが、十九世紀はじめには成熟して東西代表語になったと言われており、現行日本共通語(標準語)の歴史は比較的新しいことを紹介している。
 さらに、古文献の記録、日本本土の地名、神社・仏閣などから本土人の主流が朝鮮からの渡来系との可能性についても示した。

 写真説明・講演に聞き入る県高等学校長協会の会員ら=12日、宮古島マリンターミナル
top.gif (811 バイト)