200平成1  817曜日


「み」で未来へ飛躍を表現/宮古島市の市章′定

 宮古五市町村合併推進協議会(会長・伊志嶺亮平良市長)の第十三回会議が十六日、県宮古支庁講堂で開かれ、十月一日に発足する「宮古島市」のシンボルマークである「市章」を決定した。十二日までに市章選考委員会(与儀一夫委員長)が絞り込んだ五点を、同協議会委員の無記名投票で選んだ結果、デザイナーの信貴正明さん(42)=新潟県燕市=の作品に決まった。信貴さんの作品は宮古島市の頭文字である平仮名の「み」をモチーフに、宮古島市民が未来へ飛躍する様子を、美しい海や空、緑の大地、太陽をイメージしてデザインしている。

 宮古島市市章は同協議会が六月一日―七月三十一日の二カ月間、全国から公募した。その結果、島内外の四百三十五人から九百四十点の応募があった。同協議会では「宮古島市市章選考委員会」を設置し、今月五日から十日にかけ選考を行って最終候補を五点に絞り込んだ。同十二日の市町村長会議で確認の上、十六日の会議に提案された。
 最終選考に残った五点は宮古島の頭文字である「M」「み」「宮」を図案化し、波や太陽、海、空、自然などを、飛躍する宮古島市のイメージとしてデザインしたもの。無記名投票で、一回目でさらに二点に絞り込み、決選投票で信貴さんの作品に決定した。委員からは「太陽の部分がもう少し大きい方が良いのでは」といった意見があったため、最終的な図案は信貴さんと調整し決定される運び。
 伊志嶺会長は「最終候補はどれが選ばれてもおかしくない作品だった。今回の作品は、市民の皆さんにも宮古島市のシンボルとして満足してもらえると思う」と述べた。
 同日の会議では、二〇〇四年度の同協議会の会計監査報告が行われたほか、宮古島上水道企業団と伊良部町の水道事業が統合される宮古島市の上水道事業について、新規加入金などを同企業団の基準に統一することを確認した。

 写真説明・宮古島市市章に決定した信貴さんの作品

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下地敏彦氏推薦を決定/宮古島市長選自民党県連城辺支部

 十月一日に発足する宮古島市の市長選で、自民党県連城辺支部(支部長・仲間克城辺町長)は十六日夕、同町内で総務常任会を開き、同町助役の下地敏彦氏(59)を候補者として推薦することを決定した。同じ市長選の候補者として名前が挙げられた仲間支部長は所用で欠席したが、伊志嶺幹夫副支部長らに「全面的に協力する」との伝言を伝えた。推薦決定を受け下地氏は「新しい宮古島市のために頑張りたい」と決意を述べ、旧盆明けにも後援会組織づくりに着手する考えを示した。
 常任会には同町議会の保守系議員をはじめ、自民党県連幹事長代理で県議(宮古郡区選出)の砂川佳一氏が出席。下地氏も同席した。
 伊志嶺副支部長は「選考委員会で下地氏を候補者とすることが決定しており、仲間町長も『全面的に協力する』と確認が取れた」と述べ、下地氏を推薦することに対し問題がないことを強調。これに出席議員の全員が理解を示し、下地氏の推薦を決定した。
 宮古島市長選についての県連の動向については砂川氏が説明。今後は宮古地区の各支部(各市町村)から下地氏の推薦を取り付け、自民党第4選挙区支部長の西銘恒三郎氏を通し県連本部に報告されることを強調した。

 写真説明・宮古島市長選候補として下地氏の推薦を決定した自民党県連城辺支部の会合=16日、城辺町砂川地区

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医療充実も求める/休日・夜間診療所

 ほとんどの人が診療所の存在を知りながら、診療時間を知るのは半数以下―。「宮古休日・夜間救急診療所」(藤川栄吉所長)のあり方について、同診療所運営委員会(委員長・安谷屋正明宮古病院副院長)が十六日、同診療所を運営する宮古広域圏事務組合の伊志嶺亮代表理事(平良市長)に手渡した提言書で、このような調査結果が判明した。休日・夜間は、多くの患者が同診療所ではなく宮古病院を訪ね、長時間待たなければならないという状況が少なくないため、提言書は住民への周知徹底の必要性を強調。伊志嶺代表理事は「夜間・休日の診療の場合、まずは『診療所』を利用して」と呼び掛けた。同診療所の診療時間は平日・土曜日が午後六時―午前零時、日曜・祝祭日が午後二時―午前零時。

 調査結果を見ると、同診療所を利用しなかった理由として「宮古病院も診療している」が最も多く「宮古病院に通院中」「重症と思った」などと続いた。自由意見では「安心して診療が受けられるか不安」「宮古病院が安心などの理由もあった。
 同診療所は患者数が年々減少の一途をたどっているが二〇〇四年度は、インフルエンザの流行が長期にわたったなどの要因で患者数が前年比四百五十八人増の三千三百三十三人となった。同運営委は提言書で「流行の間は、宮古病院が救急外来の多くの患者であふれ、かなりの待ち時間を余儀なくされたことから、これを回避するために診療所に流れた患者も相当数に達した」と分析し、一次救急を担う医療機関として診療所の役割、必要性を改めて再認識させるもの」と強調した。
 その上で、現時点で取り得る対応策として提言書は、▽一次救急医療施設である診療所の業務について、住民への広報活動に力を入れる▽宮古病院と同様の治療を受けられるよう、「治療の標準化」などを図る▽各種予防接種業務の拡大など医療サービスの充実に努め、診療所の利用価値を高める▽駐車場の整備など利便性の向上を図る―などを挙げた。
 また、中・長期的な対応策としては▽医薬分業の観点から、宮古地区薬剤師会との連携で院外処方を検討する▽宮古病院の将来建設構想に併せ、同一敷地での診療所のあり方を検討する―必要性を指摘。そのために同運営委の継続設置も明記した。

 写真説明・伊志嶺代表理事(右)に提言書を手渡す「診療所運営委」の安谷屋委員長=16日、宮古広域圏事務組合
 

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基盤強化、農業発展に期待/伊良部町土地改良区が合併

 伊良部町にある五つの土地改良区のうち、四つの同区が伊良部町土地改良区(佐久田強理事長)に吸収合併される合併契約調印式が十六日午後、町内の東地区構造改善センターで行われた。今後県へ合併認可申請を行い、県知事の認可に伴い四つの同区は解散する。
 合併契約書に署名・押印したのは、伊良部町土地改良区の佐久田理事長、伊良部町上原土地改良区の久貝健寿理事長、仲地土地改良区の平良玄輔理事長、佐和田土地改良区の比嘉臣雄理事長、屋原土地改良区の豊見山恵栄理事長の五人と立会人の同町の浜川健町長、県宮古支庁農業水産整備課の根間恵勇課長の計七人。
 主催者を代表して佐久田理事長は「伊良部町土地改良区の効率的な組織運営や基盤強化などで農業生産向上に取り組んでいきたい」と決意を新たにした。
 浜川町長(代読)は「吸収合併で、今後の農業振興や農業所得向上に寄与するものと期待したい」と祝辞を述べた。
 同町の土地改良区は、本土復帰直後の一九七三年二月に二つの地区で初めて設立された。名称は「伊良部町長浜土地改良区」「伊良部町仲地土地改良区」。現在は五地区に土地改良区があるが、各区とも運営基盤が脆弱で、その運営基盤の強化が望まれていた。
 これまで五土地改良区に投じられた総事業費は百四十四億二千万円。

 写真説明・佐久田理事長(左から2人目)ら関係者らが合併契約書に署名・押印した=16日、伊良部町東地区構造改善センター


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きょう「ンカイ」旧盆は故郷で/帰省ラッシュ始まる

 きょう十七日は旧暦の七月十三日に当たり、この日から旧盆入りする。初日は先祖の霊を迎える「迎え日(ンカイ)」で、各地では「ヤームトゥ」で家族や親せきが集まり、そろって先祖を迎える。
 旧盆入り前日の十六日、故郷で旧盆を迎えようと県内外からの帰省客ラッシュが始まった。きょう十七日に下りのピークを迎え、上りは二十、二十一の両日がピークとなっている。
 宮古空港は帰省客と出迎えにきた家族らでにぎわい、到着ロビーでは再会に笑顔の輪が広がっていた。城辺町から孫を迎えにきた女性は「那覇から小学校五年生の孫が一人で来る。会うたびに大きくなっているので、毎年楽しみにしている」と顔をほころばせ、一緒に迎えに来ていた松長智也君(城辺小五年)は「ゲームしたり、一緒に遊ぶのが楽しみ」と笑顔を見せた。那覇市から兄妹そろって来島した仲座海希君、海香さんはおばあちゃんが笑顔で出迎え。「いつもおばあが迎えに来てくれるのでうれしい。おいしいものをたくさん食べたい」と話した。
 旧盆期間中はごちそうや酒、紙銭などを供えて先祖の霊をもてなし、十九日の「送り日」にはあの世へ送り出す。

 写真説明・旧盆入りを前に帰省ラッシュが始まり、にぎわいを見せる=16日、宮古空港

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   下地さん(平良市出身)最高賞の特選/読売書法展漢字部門

 【那覇支局】平良市出身で茅原書藝會師範の下地麗泉さん(29)=本名めぐみ=が、第二十二回読売書法展の漢字部門で公募作品の中では最高賞の特選を受賞した。昨年の秀逸に次ぐ快挙。同展の特選入賞は県内最年少で、宮古出身者では初めてという。
 読売書法展は日本の伝統的書法の流れをくむ、国内最大の公募書展。下地さんは二カ月間鍛錬を積み、八十の漢字を流れるように書き上げた。漢字部門には全国から一万百五十点の応募があった。展覧会は、今月から十一月まで全国を巡回する。
 下地さんは「幼いころから書き続けてきて、大きな賞が取れたことをうれしく思う。賞を励みにこれからも頑張りたい」と喜びと抱負を語った。
 南龍師匠は「約束通り大きな賞が取れたことをうれしく思う。これからも宮古の後輩たちのためにも、さらに上を目指してほしい」と祝福した。
 下地さんは小学五年生の時、茅原南龍師匠との出会いをきっかけに書道を始めた。指導の下、腕を上げ中学三年生の時には、成田山競書大会で日本代表(一位)に選ばれ、中国に派遣された。昨年は読売書法展の秀逸賞を受賞。今後は実績を積み、同展の評議員入りを目指す。

 写真説明・特選を受賞した下地さん=15日、那覇市内の茅原書藝會事務所

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