200平成1  曜日

久松五勇士の偉業、後世へ/100年記念し式典・祝賀会開催

 1905年5月、宮古近海を北進していたロシアのバルチック艦隊の存在を伝えるため、久松の5人の漁師(久松五勇士)がサバニで石垣島に向かった日から百年を記念するイベント事業および記念式典ならびに祝賀会が3日、久松漁港や久松公民館で開催された。会場には大勢の地域住民をはじめ他町村からも数多くの関係者が来場し、久松五勇士の100周年を盛大に祝った。記念事業実行委員会の洲鎌雅春会長は「久松五勇士の勇敢さを若い世代に引き継ぐことは私たちの責務」と強調、会場の参加者とともに久松五勇士の末永い継承を誓った。

 今回の100周年記念事業は「恒久平和」を基調に五勇士のひたむきな精神と崇高な行動を振り返るとともに、これを後世に引き継ぐことが狙い。
 この日の記念事業は午前8時から行われた記念碑の除幕式を皮切りに漁船パレード、サバニレース「五勇士競漕」、久松のクイチャーと続いた。記念碑の除幕は実行委員会の洲鎌会長と平良市の久貝勝盛教育長、久貝自治会の砂川敏光会長、松原自治会の高里義市会長、在沖久松郷友会の亀川義雄会長が行った。いずれのイベントも大盛況で、特にサバニレースは男たちの力強い櫂さばきが会場全体を沸かせていた。午後からは久松出身の下地勇さんとザ・ビートルクラッシャーがライブコンサートが行い、観客を魅了した。
 記念式典は午後5時30分ごろから久松公民館で開催され、あいさつに立った実行委員会の洲鎌会長は「郷土の歴史を学ぶことは、郷土を愛することになる」と強調。児童生徒の教育環境の上でも「明治の人たちがこの国の形をどうつくっていったかを学習することは地域と連携した総合学習のあり方として高く評価されると思う」と話した。
 県宮古支庁の兼城克夫支庁長、平良市の伊志嶺亮市長が祝辞を述べた後、久松中三年の砂川英依さんがメッセージを読み上げ「私たちは五人の勇士を誇りに思う。五勇士の勇気ある行動をいつまでも語り継いでいきたい」と決意を表した。
 この後に開かれた祝賀会では多彩な余興が披露された。久松小の児童や在沖久松郷友会のメンバーらが歌や踊りで祝賀ムードを高めていた。
 会場の参加者は関係者のあいさつや五勇士に関する余興を楽しみながら先人の勇気ある行動を振り返り、今後の継承活動に向けて決意を新たにしていた。
 久松五勇士は1905年5月、バルチック艦隊の存在を知らせるために電信施設があった石垣島を目指し、約170`の海路をくり舟(サバニ)に乗って力漕。同月27日に「敵艦見ゆ」の打電をした。


写真説明(上)先人の偉業を後世に語り継ぐことを誓い100周年を乾杯で祝う関係者ら=3日、久松公民館

写真説明(下)「勇気・決断」と書き込まれた記念碑が除幕された=3日、久松漁港

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干潟で宮古馬駆ける/サニツ浜カーニバル

 干潟の祭典「第15回サニツ浜カーニバル」(主催・下地町、宮古広域圏事務組合など)が3日、下地町与那覇湾(通称サニツ浜)で開催され、宮古馬競馬や宮古角力、10人11脚レースなど新旧織り交ぜた11種目の競技が行われにぎわいを見せた。競技参加者や観客合わせて約5000人が訪れ、照り付ける太陽の下、干潟に歓声を響き渡らせた。

 この日は午後2時36分に31・4度を記録。強い日差しと青空の下、潮が満ち始めるまでの約六時間にわたって干潟を舞台に各種競技が催された。
 昔ながらに行われた宮古馬競馬には宮古馬のほかポニーも出場し、一週約四百bのコースを駆け巡った。レースに慣れていないとあってコースを外れて観客席の方へ走り出したり、騎手の指示通りに走らなかったりと珍場面も見られ、観客を沸かせた。競技の結果、石垣島から参加した嵩西与市さんの「幸太郎号」が優勝した。
 宮古角力には力自慢の7団体と15個人が出場。赤と白の帯を締め、力と技をぶつけあった。古くから伝わる行事とあって、土俵周辺は多くの地域住民たちが取り囲み勝負の行方を見守っていた。干潟ではビーチバレーやビーチサッカー、ドッジボールなども行われ、児童・生徒たちが元気いっぱいプレーを披露した。
 サニツ浜カーニバルは、与那覇地区の伝統行事として行われて途絶えていた「サニツ行事」を復活させ継承していこう1991年から開催。幅広い年齢層が参加して楽しめるよう、約700fの干潟を利用し新旧織り交ぜた多彩なイベントを催している。
 

写真説明=広大な干潟を駆け巡った競馬競争。宮古馬やポニーが出場しレースを展開し観客を沸かせた=3日、下地町与那覇(通称サニツ浜)

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県制覇!やったね砂川小/子ども自転車大会

 【那覇支局】第29回交通安全子ども自転車沖縄県大会(主催・県交通安全協会連合会)が3日、那覇市の県警本部運転免許試験場で行われ、宮古地区代表で出場した城辺町立砂川小学校が団体の部で優勝し、7月31日に東京都で開催される全国大会に県代表として出場することが決まった。個人の部でも奥松慶大君(6年)が2位と大健闘。学科では全員が満点だった。

 1994年に行われた第18回大会の久松小学校以来11年ぶりに、宮古地区代表が県大会で優勝した。
 県大会に向け、学科や実技を指導してきた宮古地区交通安全協会の棚原文子さんは「技能テストで少しミスがあったが、学科で全員が満点を取ったので優勝することができた」と、子供たちの快挙を喜んだ。
 個人の部で2位に入った奥松君は「(実技で)最初失敗したので個人賞は取れないと思った。2位入賞できたのでうれしい。全国大会でも上位を目指して頑張りたい」と意気込んだ。
 この大会は、自転車競技を通じて児童の交通に対する興味と関心を高めながら交通知識を身に付けさせて、交通事故防止を図ることが狙い。今大会には県内各地区の代表15校60人の選手が出場し、日ごろの練習成果を競い合った。

写真説明=団体の部で優勝した砂川小の皆さん¥和書体(1023)=3日、那覇市・県警本部運転免許試験場

 

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 「ぬくもり」ある演舞披露/更生保護女性会

 宮古更生保護女性会(国仲ヒデ会長)の第21回チャリティーショー「ぬくもり」が3日、マティダ市民劇場で催され、同会に参加している各地域の更生保護女性会や、同会の活動の趣旨に賛同する舞踊教室などが日ごろの練習の成果を披露し、訪れた満員の観客を楽しませた。ショーの収益は同会の事業に役立てられる。
 宮古更生保護女性会は、非行や犯罪に陥った人たちが再び社会の一員として立ち直るのを助けようとする「更生保護」への理解と協力を得るための運動や、非行や犯罪を防ぎ、次代を担う青少年の健やかな成長を願っての子育て支援活動などを展開。対象者や施設などへの支援として寄付などを 行っている、
 この日のショーはその活動資金捻出のための取り組み。平良、狩俣、西辺、池間、城辺、伊良部、上野の各更生保護女性会をはじめ、同会に賛同する琉球舞踊の研究所や日本舞踊の教室などが出演、それぞれ練習を重ねた踊りを熱演した。
 主催者を代表して国仲会長は「会では更生保護に関する活動や子育て支援としての読み聞かせなど、さまざまな活動を行っている。快く寄付してくださった皆さん、ショーの趣旨に賛同して出演された皆さん、来場の皆さんに心から感謝したい」とあいさつ。
 宮古市町村会長の伊志嶺亮平良市長は「青少年の健やかな成長は、等しく地域が願うことであり、大人に課せられた重大な使命。更生保護の思想の高揚に向け、ますますの活躍を期待したい」と述べた。

写真説明=出演団体が次々と踊りを披露し観客を楽しませた=3日、マティダ市民劇場

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大綱引き間近、綱づくりに汗/城辺町砂川

 城辺町立砂川中学校の卒業生(1970年生まれ)でつくる「ウイピャーヤマインギャーズ」(砂川拓也幹事)は3日、宮古島夏まつりの関連イベント「東西大綱引き」で使用する綱作りに汗を流した。
 16日の大綱引き本番に向け、各青年会などが分担して編み上げている綱は子綱と呼ばれ、9日にはそれを一つにまとめて直径約60aの大綱に完成させる。
 子綱作りは、砂川構造改善センター内にあるデイゴの木の下で行われ、3人の青年がイ草を重ねて、「せーの」の掛け声で互い違いに綱を編み上げていった。
 綱編みに参加した砂川さんは「体力と3人の息がぴったり合わないと良い綱は編めない。力自慢がそろっているので、きっと良い綱ができるはず」とまつり本番が待ち通しそうだった。
 地域の子供たちも、昔ながらの綱編みを物珍しそうに見学。青年たちは「子供たちも自分たちの姿を見て、将来また同じように綱編みをしてくれれば」と話していた。


写真説明=地域の青年たちが力を合わせて綱編みに汗を流した=3日、砂川構造改善センター

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