200平成1  624曜日

戦後60年の「慰霊の日」/遺族ら悲しみ尽きず

 戦後60年の節目の年の「慰霊の日」を迎えた23日、宮古各市町村を含む県内各地で慰霊祭がしめやかに執り行われ、沖縄戦の多くの犠牲者を追悼し、恒久平和や非戦への誓いを新たにした。
 平良市では同市遺族会(川満俊夫会長)主催の慰霊祭「第51回平良市戦没者追悼式」が同市下里(馬場)の慰霊之塔で挙行され、多数の遺族らが、沖縄戦で犠牲となった608柱の御霊をなぐさめた。
 正午前に始まった追悼式には、犠牲者の遺族をはじめ、伊志嶺亮市長、池間青昌市議会議長、奥平一夫県議らが参列。正午の時報に合わせて、全員で黙とうをささげ、戦没者に哀悼の意を表した。
 主催者を代表して川満会長は「60年前の廃墟から、平良市も明るい住みよい街として立派に繁栄した。あの悲惨な戦争さえなければ、戦死された御霊も、子供や孫に囲まれた明るい楽しい家庭を築いたであろうと思うと、胸の痛い思いがする。犠牲を無にしないためにも、2度とあの悲惨な戦争が起こらないよう、温かい社会づくりに取り組む」と式辞を述べた。
 引き続いて追悼の言葉で伊志嶺市長は「忌まわしい戦争の傷跡は今なお癒えることはない。大戦で亡くなられた御霊の冥福を祈り、平和の誓いを新たにしている」と戦没者を悼み、「世界では武力による戦争が後を絶たず、多くの人命が失われていることに憤りさえ覚える。あの悲惨な体験を決して忘れてはならない教訓として後世に継承し、世界の恒久平和を目指して、一層の努力を尽くさねばならない」と述べた。
 池間議長、県宮古支庁の兼城克夫支庁長(代読・長濱政治次長)らもあいさつに立ち、戦没者に哀悼の意を示すとともに、平良市や宮古の戦後の発展に力を尽くした遺族らに敬意を表した。
 引き続いて川満会長、伊志嶺市長らが献花。遺族らが焼香を行い、御霊に合掌して、恒久平和を願うとともに悲惨な戦争を繰り返さないと、誓いを込めた。

 写真説明・戦没者の冥福を祈り、追悼の祈りをささげる参列者=23日、平良市慰霊之塔

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宮古島市長選「予備選」を白紙撤回

保守系「協議」決定に方針転換

 10月1日に発足する新市「宮古島市」市長選に向けて候補者の人選作業を進める保守系選考委員会(比嘉米三委員長)の第7回会合が23日、市内のホテルで行われ、前回(16日)の選考委で決定した、事実上の予備選挙となる「決選投票」での候補者決定を撤回し、「協議」による決定に方針を転換した。比嘉委員長は「推薦された候補者について選考委で1度も議論していない中で決選投票することに難色を示す意見もあった。もっともな意見であり、協議による決定を目指すこととなった。それでも駄目な場合には決選投票を行う」と説明した。
 予備選実施を決定した前回の選考委では23日までに各団体が推薦する候補者を出すよう求められていた。同日までに比嘉委員長に推薦書を提出する準備ができたのは城辺町議会と伊良部町議会のみ。城辺町議会は同町助役の下地敏彦氏(59)、伊良部町議会は町議の意向が二分し、下地氏と前県議の坂井民二氏(55)の2人の推薦書が用意されていたようだ。
 しかし、予備選が回避されたことで今回用意された推薦書を比嘉委員長は受け取らず、7月2日予定の次回選考委で他の団体の推薦書と共に選考委に示される見込みとなっている。
 上野村議会は第3候補者の推薦を模索したが、当人の同意が得られなかったという。下地町も川満省三町長を中心に選考委の直前まで話し合ったようだが候補者推薦までには至らなかったようで、今回の選考委もメンバーである町長と助役は欠席となった。
 候補者の推薦については前回決定した5市町村議会と経済界、婦人団体の7つの団体がそれぞれ5人以上の連名で候補者を推薦し、推薦される本人の同意も必要となっている。
 一方、協議がまとまらず予備選となった場合、投票者の人数等については予備選実施が決定した段階で改めて決定することとなった。
 今回の選考委には、予備選に反対の意思を示している日本商工連盟宮古支部の中尾英筰支部長は東京出張中との理由で欠席。また、城辺町の仲間克町長も欠席だった。
 方針が二転三転し、選考委員会内部の足並みの乱れも深刻化しつつある中で、次回選考委までは各方面でそれぞれの「思惑」に沿った動きが激しく展開される見込みとなっている。

 写真説明・予備選を撤回し、協議で候補者を決定することとなった保守系選考委=23日、ホテルニュー丸勝

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生命の神秘に感動/オカガニ放卵を観察

 平良市立池間幼稚園・小学校(儀間裕芳校長)のオカガニ観察会が22日夜、同市池間島の船越浜で行われた。子供たちは月明かりの下、波打ち際で雌オカガニが卵を放つ生命のドラマに、感動と興奮の歓声を上げていた。
 観察会は、オカガニの生態観察を通して生命の尊さを学ぶことなどが狙い。園児・児童とその父母らが参加した。
 子供たちは各グループごとに分かれ、まず船越浜近くの一周道路でオカガニの甲羅の長さを測ったり、雌か雄かなどをチェック。今後の生態調査のため、甲羅に丸いシールを張った。
 午後9時ごろには、子供たちは船越浜へ移動。波打ち際では、雌オカガニが打ち寄せる波を浴びると体を揺り動かし、腹いっぱい抱える卵を放った。神秘的な光景に、子供たちは大きな歓声を上げていた。
 仲間春希さん(5年)は「とても感動しました」と感想を話した。
 同小学校のホームページを見て、埼玉県から家族で訪れていた40代の男性は「オカガニが観察できて良かった。最高に感動しました」と語った。

 写真説明(左)・放卵するオカガニ
 写真説明(右)・雌オカガニの放卵で歓声を上げていた参加者ら=22日午後9時すぎ、平良市池間島

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 慰霊碑保存に尽力 霧生さんに感謝状/宮古市町村会

 宮古を85回も訪れ、宮古島各地にある旧日本軍のさまざまな部隊の慰霊碑の保存に努めている元第28師団通信隊員で宮古島慰霊碑保存会会長の霧生藤吉郎さん(84)=東京都在住=に23日、宮古市町村会長の伊志嶺亮平良市長から感謝状が贈られた。平良市内のホテルで感謝状を受けた霧生さんは「非常にうれしい。長年連れ添った妻と子供たち、孫たちが気持ちよく宮古へ送り出してくれたことに感謝したい」と述べた上で「勝っても負けても戦争は一番良くない。やってはいけないこと」と、平和への願いを込めた。
 霧生さんは、通信隊の一員として1944(昭和19)年8月に宮古に着任し、終戦後の残務処理の後、46(昭和21)年2月に本土に復員した。
 67年、第2次大戦で宮古島に配置され亡くなった陸軍や海軍の警備隊員らを祭った「豊旗の塔」の除幕式で宮古を訪れて以来、約40年で85回も宮古を訪れて戦没者を追悼し、各地の慰霊碑の保存に努めてきた。
 伊志嶺会長は「各地の慰霊碑を大切にされ、戦没者の慰霊のために力を尽くされた。これからも元気で宮古に来てほしい」と謝辞を述べた。
 これまでは戦友らと慰霊の日に合わせて追悼に訪れていたが仲間は減り、今年からはそれができなくなったという。霧生さんは「来年からは犠牲者の子や孫たちに呼び掛けて、戦没者を慰霊したい」と話した。また「宮古は第二のふるさと。まだ内容は明かせないが、青少年の育成のためにやってみたいことがある」と、新たな取り組みにも意欲を示していた。

 写真説明・伊志嶺会長(左)から感謝状を受ける霧生さん=23日、ホテルアトールエメラルド宮古島

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第9回合唱祭平和の願い歌に乗せ/8団体がハーモニー

 合唱の愛好グループが一堂に会して日ごろの練習の成果を披露する「第9回合唱祭」(主催・平良市教育委員会、宮古合唱連盟)が「慰霊の日」の23日、マティダ市民劇場で開催された。子供から大人まで8団体262人が参加。非戦・平和への願いを込めてハーモニーを響かせた。
 同合唱祭は、1996年5月のマティダ市民劇場の落成記念をきっかけにスタート。近年は「慰霊の日」にちなみ、平和への祈りを歌声に乗せているという。この日は、沖縄の童謡「えんどうの花」や、宮古出身の作曲家・金井喜久子さんによる「ひめゆりの塔」などが披露された後、参加者全員で合唱組曲「海のまほろば」から「祈り」と「さとうきび畑」を歌いフィナーレを飾った。
 主催者を代表して久貝勝盛教育長(与那嶺敏之課長代読)は「合唱の美しさは、各パートが指揮者のもとで一つにまとまるところにある。皆さんのハーモニーは合唱の素晴らしさや楽しさを市民に広げている」とあいさつを述べた。
 参加団体は次の通り。
 ▽平良市少年少女合唱団▽北中学校▽久松中学校▽ブーゲンビリアコーラス▽城辺町女声コーラス▽女声コーラス「ホップ」▽宮古フロイデ合唱団▽ひらら女声コーラス「きらきら」

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   宮古島夏まつりに向け、ミス宮古を募集 /宮古観光協会

 7月15、16の2日間に開かれる第1回宮古島夏まつり(主催・同まつり実行委員会、主管・宮古観光協会、同青年部)を前に、宮古観光協会青年部イベント運営委員会の岩崎信司委員長らは、平良市内の同協会で「2005ミス宮古募集」の実施要項を発表した。同協会の渡久山明事務局長、同青年部の藤原修史副部長、ミス宮古の儀保睦さんが同席した。
 渡久山事務局長は「自薦・他薦の多くの応募に期待」と呼び掛けた。儀保さんは「県内外への観光アピールを通じてたくさんの友だちができ、私自身大きく成長した」と振り返り「ミス宮古には『私こそ、ふさわしい』という意気込みで応募してほしい」とアピールした。

 実施要項は次の通り。
 【応募資格】▽宮古に本籍または現住所を有する年齢18歳以上の独身女性▽2005年7月15日以降、宮古観光のキャンペーンガールとして、各種の公式行事に参加できる人。
 【応募方法】所定の申込用紙に写真を添えて提出すること。
 【選出人員】ミスブーゲンビリア1人、ミスサンゴ1人、ミスティダ1人の計3人(同等)。
 【審査】▽第1次審査=書類審査、7月12日午後6時から▽第2次審査=面接(健康、容姿、教養)、同14日午後1時から平良市内のホテル共和で。非公開。
 【申込締切日】7月12日午後5時まで。
 【推薦協力賞】ミス宮古の推薦者に協力賞を贈呈する。

 問い合わせ・申込先は宮古観光協会事務局(電話73・1881、ファクス73・0955)まで。

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