2005年(平成17年)
5月 20日
金曜日
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伊架橋の早期着工要望/伊志嶺市町村会長が総合事務局へ
【那覇支局】道路整備促進要望および市町村道路事業に係る意見交換会が19日、県内各地区の市町村会長らが出席し、那覇市内の沖縄総合事務局で行われた。宮古市町村会長の伊志嶺亮平良市長は伊良部架橋の早期着工と電線類地中化の促進を要望。意見交換会では、伊良部架橋について伊良部町漁協との漁業補償交渉が18日妥結し明るい見通しとなったことを報告した。
伊志嶺会長は伊良部架橋の効果として「離島隔絶性の解消と宮古圏域一体化」、「伊良部島の医療・教育環境の改善や経済の活性化」、「下地島空港と周辺土地利用推進」などを示し、同事業が宮古発展の起爆剤になると強調した。
電線類地中化については、03年9月の台風14号の際、電気、電話、水道などのライフラインが寸断された苦い経験を説明。そうした状況をなくすためには、「災害に強い道路空間の管理手法が求められている」と訴えた。
冒頭のあいさつで渡口潔沖縄総合事務局次長は、年々減ってきた公共工事はこれ以上減ることはないとの見方を示し、今後に向け、地域のニーズに応じた積極的な道路整備を促した。最近の道路整備制度は弾力的な運用がなされ、国は地域の考えを取り入れた整備も支援しているという。
事務局は、「分かりやすい案内標識」を隅々の道路まで設置していく方針も示した。
写真説明・伊志嶺会長は伊良部架橋の早期着工などを要望した=19日、那覇市内の沖縄総合事務局
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来月2日、伊志嶺氏に要請・同日出馬表明も/
「宮古島市」市長選・革新系候補者選考委員会
10月1日に発足する新市「宮古島市」の市長選に向け革新系の候補者選考委員会が6月2日に現職平良市長の伊志嶺亮氏(72)に出馬要請することが19日までに分かった。同委員会の下地学助役は「同日が『大安』であることから伊志嶺氏がそのまま出馬表明する可能性が高い」と述べ、要請と表明が同日になる可能性を示唆した。新市長選の候補者擁立に向けては保守系も現在、選考委で候補者選考を行っており、市長選に向けた動きは保革とも激しくなってきた。
伊志嶺市長の出馬表明時期については、6月の市議会定例会後となると表明が7月にずれ込むことと、来月9日から15日まで市長が「平良市・ハワイ州マウイ郡姉妹都市フェスティバル」に参加することから、来月9日までには出馬表明する見通しとなっている。
伊志嶺氏の出馬表明時期について下地学助役は「市議選も同時に行われることから、出馬表明は早めにした方がいいと思っている。6月の2日と7日が大安であることからこの両日が最も可能性が高い」と述べた。
出馬の意思を固めている伊志嶺氏の出馬表明時期が間近となったことで、保守系の候補者選考委の動きも急ピッチで行われる見込みで、市議選に向けた立候補予定者の取り組みもさらに激しくなりそうだ。
伊志嶺氏は1933(昭和8)年1月19日生まれ。琉球政府立南静園園長、宮古保健所所長、宮古病院長などを経て、64年に伊志嶺医院開業。94年に第16代平良市長に就任し現在3期目。
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☆きょう県高校総体ゴルフ/男女計51人、宮里美香も出場
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博愛ビーチ水難事故/初の合同会議開く
今月4日、県が管理する上野村の博愛わいわいビーチで小学校2年生の男児が水死した事故を受け、県と地元・上野村は19日、県宮古支庁で事故以来初めて、担当者による合同の会議を開き、ビーチの現状や今後の取り組みなどを確認した。県側、村側とも「互いに共通認識を持ち、利用者が安全に安心して使えるよう対策を取らなければならない」との考え方で一致。夏場の海水浴シーズンに向け、安全管理を徹底していく方向性を確認した。管理する県は、緊急的なものと時間を要するものとを分類し、両面からの取り組みを進める方針。一方で、「海水浴場」の認識ではいまだずれもみられ、今後の協議が注目される。
出席したのは県側が長濱政治次長、根間恵勇農業水産整備課長ら、村側が川田正一村長、上地秀一農林水産課長ら。最初に、県側から経過説明があり、その後、県側、村側がそれぞれ実施した同ビーチの水深測量調査結果が報告された。
意見交換で川田村長は「今後の対策をどうするかが重要。2度と悲惨な事故があってはならない。海水浴場として利用されている現実があり、安全対策は最優先されなければならない。夏場に向け、できうる対策を早めに実施してもらいたい」と、県の早急な取り組みを求めた。
長濱次長は「今後、地元住民を含めて村の意見を積極的に聞き、県と地域によるルール作り、合意形成を図りたい」と述べた。
また県側は、「ここ(博愛ビーチ)だけの課題ではなく、全県的に統一的な考え方で取り組まなければならない」と説明し、県が管理する、同様の場所についても対策を取っていくとの方針を示した。
「共通認識」をキーワードに進められた会議で、管理する県側は地元・上野村からの情報を積極的に取り入れて対策を講じていくことを確認した。一方で、村側が県側に苦言を呈する場面も。村側からは「遊泳について県は明確に線を引くべき」など疑問も聞かれた。これに対し県側はこれまで同様、同ビーチが海水浴場ではないとの説明を繰り返し、「浜でなく漁港で泳ぐ人もいる。どこまで安全管理をなすべきか」とする場面もあるなど、共通認識にはさらなる協議が必要となりそうだ。
現在、同ビーチと博愛漁港の管理は県だが、清掃など美化に関することの1部は上野村に委託されている。県は「水難事故の防止および遊泳者等の安全の確保等に関する条例」で義務づけられた海水浴場設置の届け出をしていないことに関して、これまで一貫して「条例に基づいた形で海水浴場を整備したわけではなく、海水浴場としての利用は各自の判断」との認識を強調している。
また、沖合の深みについては、県と上野村の双方が水深測量調査結果を実施し、当初の整備計画と現況に差が生じていることが明らかになっている。
写真説明・県側(写真右列)と上野村側(同左列)が安全対策の実施に向け意見を交わした=19日、県宮古支庁
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☆「懐かしい」校舎跡地の記念碑を訪問/宮高女同窓会
県立宮古高等女学校(宮高女)同窓会は19日、同校跡地で県立宮古高校野球場にある記念碑を訪れた。会員約160人は今では面影は残っていない校舎の跡地に寂しそうな表情を浮かべながらも「懐かしい」「変わったねー」などと声を上げていた。
同窓会の上地照子会長は「会員らが久しぶりに顔をそろえた。愛着のある校舎跡地をみんなで訪れうれしい。また再会したい」と喜んだ。
一行はこの日、平良市のトゥリバー地区や下地町の来間大橋、上野村のうえのドイツ文化村などを観光し、昔と現在で大きく異なった宮古を肌で感じた。
沖縄市から訪れた川上タケ子さん(72)は「ここに来れて涙が出るほどうれしい。懐かしい気持ちでいっぱい」と述べた。
18日に行われた創立70周年記念式典および祝賀会には、卒業生総勢300人が島内外から詰め掛け、盛大に祝った。
宮高女は、1936年に宮古郡町村組合立高等女学校として開校。40年には県立となり、54年には宮古高校と合併して男女共学となった。これまでに約1000人の女子が学びやを巣立っている。
写真説明・記念碑を訪れた同窓会の会員ら=19日、宮古高校野球場
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