200平成1  19曜日

漁業補償5千万円で妥結/伊良部架橋・賛成多数、着工へ前進

 伊良部架橋の建設に伴う漁業補償交渉で、伊良部町漁業協同組合(奥原隆治組合長)の交渉委員が18日夕、県が提示している補償額5010万円について協議した。この結果、振興策を条件とする賛成多数で同交渉の妥結を決めた。同様の漁業権を持つ平良市、池間の両漁協もおおむねで了承していることから同架橋建設は着工に向けて前進した。3漁協は6月の総会で同架橋建設に伴う漁業権消滅同意案件を最終審議する。
 この日の交渉委の協議は午後5時から同漁協内で開かれた。同町の浜川健町長や友利浩一同町議会議長をはじめ、県宮古支庁土木建築課職員らも参加し協議の行方を見守った。
 これまでの協議内容と同様に、委員らの意見は分かれた。あくまで同漁協が提示した15億7000万円を求める委員がいたほか、振興策という条件付きで県提示の補償額を認めるという内容の発言をする委員もいた。
 県や町に意見した委員らは5010万円の算定方法や振興策の具体性について質問。これに対し県側は補償額は国の算定基準に基づいていることを強調し、振興策については県や市町村、その他関係機関と組織を立ち上げて具体的に協議していくことを説明した。
 この後、協議は平行線をたどったが、1部委員の間から多数決の声が出たため協議は一気に加速した。結局、出席委員で多数決を取り、賛成多数で交渉妥結に至った。
 妥結について友利義文委員長は「これまでは交渉委員全員の賛成が必要だと思っていたが、事態が大きくなりすぎた」として、約30年間続いてきた町民、宮古郡民の要請行動に応えるためにも多数決に至ったことを説明した。その上で「これで架橋の早期建設に向けて一歩前進した」と安堵した表情で話した。
 浜川町長は「委員会の総意として賛成多数という結果になった。振興策は必要だ。今後、しっかりと検討していく」などと話した。
 
  < 解 説 >

3漁協の同意がかぎ/焦点は6月の漁協総会

 
難航していた伊良部架橋建設に伴う漁業補償交渉で、伊良部町漁協(奥原隆治組合長)の交渉委員が18日、県が提示する補償額5010万円で妥結することを決めた。この問題が解決しなければ同架橋事業そのものが消滅する危機を迎えていたということもあり、県や同町の浜川健町長は一様に安堵した。ただ、多数決での妥結が残した課題は大きい。多数決の結果は明らかにされていないが、関係者によると票差は拮抗したという。漁業補償の最終判断は6月の総会にあり、今後も予断を許さない状況が続く。
 同架橋建設事業には今年度、橋りょうへの取付道路整備などで6億8000万円が計上されたが、漁業補償交渉が解決されなければこの予算すら下りないのが現状だ。さらに次年度の予算要求もできないため、最悪の場合は事業の凍結が懸念されている。
 今回、伊良部漁協の了承で架橋建設は1歩前進したが、県宮古支庁土木建築課の前泊勇栄課長は「まだ予算は下りないと思う。やはり3漁協の最終同意が必要だ」などと話す。
 伊良部町、平良市、池間の3漁協は6月の総会で漁業権消滅同意案を審議するが、ここで否決されれば再び事業凍結の危機は訪れる。また、補償交渉では各漁協組合員の3分の2以上の同意が必要。県をはじめ市町村は今後も各組合員へ理解を求めていく方針だ。
 伊良部漁協の交渉委員は補償額5010万円に賛成しながらも「具体的な振興策を示してほしい」という意見が多かった。これに対し、県や伊良部町は「県を含め市町村、関係機関で振興策を協議する組織を構成する」ことを強調。浜川町長は振興策を挙げるように求めたほか、県側も組織の立ち上げを約束した。
 今後は6月の各漁協総会が注目されるが、伊良部漁協の交渉委員の賛否は拮抗。多くの組合員が「振興策の確約を」と訴えており、最終同意を得るためには県や市町村の具体的な振興策の明示が求められている。

    (山下誠記者)


 top.gif (811 バイト)

新議員7氏に当選証書付与/多良間村選管

 【多良間】任期満了に伴い15日に投開票が行われた多良間村議会議員選挙の当選証書付与式が18日、同村役場で行われ、村選挙管理委員会の垣花清次委員長が当選した7氏に当選証書を手渡した。代表してあいさつした本村健次氏は「責任の重さをひしひしと感じる。村の発展のため、全力で頑張る」と決意の言葉を述べた。
 当選証書を受けたのはトップ当選の本村氏をはじめ、森山実夫氏、西筋米吉氏、石原朝英氏、西平幹氏、豊見城玄淳氏、佐久本昇氏の7人。それぞれ緊張した面持ちで当選証書を受け取った。
 垣花委員長は祝福の言葉を述べ、「皆さんは1500人の代表として、村長と共に活躍していく。健康に留意して頑張っていただき、多良間村が隆々発展することを祈願する」と期待を寄せ、兼濱朝徳村長は、「多良間村の振興発展のために、執行機関と議決機関がともどもに歩んでいくよう、お願いしたい」と述べた。
 今期で勇退する長嶺春勝議長も駆け付け、「当選の日のことを忘れず、村の発展のために頑張ってほしい」と激励した。
 本村恵真教育長は、「全村民、皆さんの活躍に期待している。多良間の期待を双肩に背負って頑張ってほしい」とエールを送った。
 今村議選には定数7に対し現職5人、新人3人の計8人が立候補し、少数激戦を展開。結果、現職1人が敗退し7人が当選した

 写真説明・当選証書を受けた7人の議員。(前列左から)豊見城氏、西平氏、西筋氏、石原氏、(後列左から)本村氏、佐久本氏、森山氏=18日、多良間村役場会議室

top.gif (811 バイト)

300人集いにぎやかに/県立宮校女創立70周年記念式典・祝賀会

 県立宮古高等女学校(宮高女)創立70周年記念式典および祝賀会(主催・宮古高等女学校、宮古女子高等学校同窓会)が18日、市内のホテルで行われ、宮高女第1期から9期、女子高第2期から6期までの卒業生総勢300人が島内外から詰め掛け、盛大に創立の節目を祝った。参加者たちは数年ぶりの再会に思い出話に花を咲かせたり、互いに近況を報告。校歌を歌うなどして10代だった学生時代に帰った。一行はきょう19日には島内観光を行い、宮古高校野球部グラウンドに設置した学校跡地の碑を見学する。
 宮高女は、1936年に宮古郡町村組合立高等女学校として開校。40年には県立となり、54年には宮古高校と合併して男女共学となった。これまでに約1000人の女子が学びやを巣立った。現在の宮古高校野球部グラウンドが校舎の跡地となっており、今では面影は残っていないがグラウンド内には学校跡地を記す石碑を建立している。
 あいさつに立った宮高女同窓会の上地照子会長は「セーラー服で通学した10代の乙女たちの姿が目に浮かぶ」と懐かしみ、「校舎も校名も消えたが、1000名の卒業生が証しとして存在している。今では70代、80代の熟女となったが宮高女、女子高があったからこそ現在の自分たちがある。建立した碑が存在を長く語り続けてくれると思う」と話し、同窓会の発展を願った。
 宮古市町村会長の伊志嶺亮平良市長、南秀同窓会の岡村一男会長、在沖宮高女・女子高同窓会の稲福マツ子会長もそれぞれ創立70周年に寄せて祝辞を述べ、会員の今後の健康と活躍を願った。
 祝賀会では各期卒業生たちがこの日のために用意した余興を披露。このうち9期生たちは当時と同じセーラー服姿で校歌遊技を踊り、会場を沸かせた。このほか、コーラスグループによる歌や日舞、琉舞なども次々と披露され、祝賀会に花を添えた。最後は全員が大きな輪となりクイチャーを踊り、にぎやかに締めくくった。
 那覇市から参加した10期卒の石嶺美子さんは「みんな久しぶりに会って懐かしい。20年ぶりに会う人もいる。みんな当時のニックネームで呼んでくれる」と笑顔。宮古在住で11期卒の徳永トミ子さんは「これだけ集まると学生当時の気分になる。今晩の同窓会が楽しみ」と話した。

 写真説明・総勢約300人が参加した記念式典・祝賀会。「乾杯」で母校の創立70周年を祝った=18日、ホテルアトールエメラルド宮古島

top.gif (811 バイト)

奉納相撲で豊漁、豊作祈願/平良市島尻で「竜神祭」

 豊漁や航海の安全を祈願する平良市島尻集落の伝統行事「竜神祭」(通称・インザニツ)が18日、同地区で行われ地域の子供からお年寄りなど多くの住民が参加し、奉納相撲などを楽しむとともに豊漁、豊作、航海の安全を願った。
 島尻の竜神祭は、古くから伝わる同地区の行事。この日も早朝から、御嶽で豊漁、豊作を祈願し、相撲会場のキバナイの整備など祭りの準備を住民たちが協力して行った。
 午後から開催された相撲大会では、自治会長の池間貞夫会長が「この祭りは宮古の人々が自給自足の時代から行われている。先祖代々伝わっておりこれからもこうして住民が集まり、特に若い人たちが祭りを盛り上げて地域を活性化させてほしい」と述べた。
 奉納相撲では、取り組みが決まった2人の若者らが土俵に上がり、腰に巻いた互いの帯びひもに手をかけ、白熱した激しい勝負が各試合で展開された。
 会場に集まった住民は、土俵を囲むように座り、大きな声援を送りながら祭りの酒を交わして、年に1度の行事を満喫した。

 写真説明・奉納相撲では白熱した取り組みに土俵を囲んだ住民たちから大きな歓声と拍手が起こった=18日、平良市島尻

top.gif (811 バイト)

市役所にハーモニカの調べ/木谷さん、ランチタイムコンサート

 全国縦断チャリティーコンサートを行っているプロハーモニカ奏者の木谷悦子さんは18日、平良市役所でランチタイムコンサートを開いた。会場には市役所職員や地域住民らが駆け付け、初めて耳にするクロマチックハーモニカの音色に酔いしれていた。
 演奏会は新潟県中越地震の復興を願い「アメイジング・グレース」の演奏で始まった。木谷さんが奏でる美しい調べに観客らはうっとりとした表情を浮かべ、聞き入っていた。
 その後も「サー・デューク」「涙そうそう」などを次々と演奏した。木谷さんは「宮古の自然にクロマチックハーモニカの音色は合う。宮古の人にも演奏してもらいたい」と述べた。
 クロマチックハーモニカは半音階を出すことができることが特徴。すべての音が出るため、さまざまな楽曲を演奏できるという。
 木谷さんは広島県生まれ。楽器店で偶然クロマチックハーモニカに出会い、プロ奏者、徳永延生氏に師事。一九九八年からプロ活動を開始。現在は新潟県中越地震チャリティーコンサートで全国各地を回っている。

 写真説明・クロマチックハーモニカの音色を響かせる木谷さん=18日、平良市役所

top.gif (811 バイト)

  


top.gif (811 バイト)