200平成1  13曜日

新宮古島市市長選・伊志嶺平良市長が出馬へ

/宮古地区革新系が擁立決定

 

 5市町村が合併した「宮古島市」が10月1日に発足することに伴う新市の市長選に向け、宮古地区の革新系は候補者として現職平良市長の伊志嶺亮氏(72)の擁立を決定したことが12日までに分かった。関係者によると、伊志嶺氏も新市市長選出馬については内諾しているようで、早ければ今月末から来月中には正式に出馬表明する見込みとなっている。今後は、選考委員会の記者発表が今月17日ごろに予定されており、その後、後援会の組織体制を整え、選考委は今月末に伊志嶺氏への出馬要請を予定している。
 平良市の下地学助役は「3月10日に選考委で伊志嶺市長を新市市長選の候補者とすることでまとまった。これまでの実績や下地島空港への自衛隊誘致問題などもあり住民の声を県、国に示すことができるのは伊志嶺市長だけ」と述べた。
 選考委員会は、3月5日に合併5市町村の有志が集まり、選考委員を選定。同10日には下地助役、奥平一夫県議らを含めた選考委で伊志嶺市長を候補者とすることでまとまった。
 また、後援会の組織については、これまで会長を務めた真喜屋浩氏に代わり、比嘉内科胃腸科医院長の比嘉一雄氏で調整している。また、事務局長には元平良市総務部長の砂川栄氏の名前が挙がっている。
 選考委員会は、週明け早々にも記者会見を開いて伊志嶺氏を候補者として擁立する理由などを報告するとともに、今後の予定などについても説明する方針だ。
 この日は、分裂状態が続く保守系も新市市長選に向けた候補者選定を行う選考委員会を立ち上げており、合併新市の選挙に向けた取り組みは保革とも活発になってきた。

 伊志嶺亮(いしみね・あきら)1933(昭和8)年1月19日生まれ。琉球政府立南静園園長、宮古保健所所長、宮古病院長などを経て、64年に伊志嶺医院開業。94年に第16代平良市長に就任し現在3期目。

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新宮古島市市長選・保守系/候補者選考委を発足

 10月1日に発足する新市の市長選に向けて、宮古の保守系は12日、平良市内のホテルで会合を開いて「宮古島市市長候補者選考委員会」を発足させた。委員長には元平良市議会議長の比嘉米三氏(68)が就任した。第1回の会合では選考に当たっての基準5項目を確認したほか、委員の郡部首長と比嘉委員長らで構成される幹事会の設置も決定。幹事長には砂川佳一県議が就任した。次回選考委は今月17日に予定されている。
 会合終了後、比嘉委員長は「候補者についてはまだ話し合っていない」と述べ、保守系が一本化した候補者の選定については現段階で白紙であることを強調した。
 委員会で確認された選考に当たっての基準は▽新宮古島おこしに市民から期待され、イメージを抱かせる人で、政策立案提示をし、マニフェストを明示できる人▽知事効果の出せる選挙体制が組める人▽現町村長全員の支持体制が組める人▽各市町村議会議員の半数以上の連盟推薦であること▽与党国会議員の応援を受けられる人―の5項目となっている。
 新市市長選の保守系候補者の最終決定は、選考委員会でまとまった意向を「拡大総務会」と「選挙対策委員会」などでの協議を経て決定する予定となっている。
 委員長に就任した比嘉氏は平良市議を9期務め、1993年から2年間議長も務めている。
 同委員会の委員は次の通り。(敬称略)
 ▽委員長=比嘉米三▽副委員長=羽地昇子(女性団体代表)、浜川健(伊良部町長)▽委員=砂川佳一(県議会代表)、仲間克(城辺町長)、川満省三(下地町長)、川田正一(上野村長)、池間青昌(平良市議会議長)、伊志嶺幹夫(城辺町議会議長)、友利浩一(伊良部町議会議長)、川満廣俊(下地町議会議長)、平良隆(上野村議会議長)、下地秀一(保守系議員団代表)、川満俊夫(同)、垣花健志(同)

写真説明・分裂を解消し候補者一本化に向け立ち上がった選考委員会=12日、平良市の共和ホテル

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地域住民「海水浴場」の認識に差

/児童水難事故死で県に再発防止の要請

 今月4日、県が管理する上野村の博愛わいわいビーチで小学2年生の男児が水死した事故を受け、同村の川田正一村長は12日、「地元では海水浴場として利用されている。早急に再発防止に向けた取り組みをお願いしたい」と県宮古支庁の兼城克夫支庁長に要望した。兼城支庁長は「(上野村と)連携を密に、安全確保に取り組みたい」と理解を示した。
 川田村長は「地域では子供からお年寄りまで、海水浴場として認識し、利用している」と実態を指摘した。
 加えて「私も実際に海に入り、深みの危険性を感じたことがある。これから夏になると、子供たちをはじめ、近くにあるホテルからも観光客が訪れ、海水浴場として利用する可能性がある」と続け、海水浴場という認識を持ち、再発防止に向けた取り組みを要望。
 同席した砂川佳一県議も同様の見解を示し、「宮古の住民の視点に立ち、安全を守るため、本庁とも連携し対処してほしい」と訴えた。
 兼城支庁長は「条例に基づいた届け出を行うことも含め、あらゆるケースを検討し、上野村と連携を密に取り組みたい」と答えた。
 現在、同ビーチと博愛漁港の管理は県だが、清掃など美化に関することなど一部は上野村に委託されている。
 兼城支庁長と担当課長らは11日に行った記者会見で、県の「水難事故の防止及び遊泳者等の安全の確保等に関する条例」で義務付けられた海水浴場設置の届け出をしていなかったことについて「遊泳者がいたことは認識していた」としたが、「条例に基づいた形で海水浴場を整備したわけではない。海水浴場としての利用は各自の判断」との見解を示していた。
 また、沖合の深みについても「本来の整備、事業目的からすると深みが危険との認識はしていない」と繰り返し強調した。
 同ビーチは現在、深みに差し掛かる個所を規制するなどの処置が講じられているほか、県が海底の調査を実施している。調査結果は近く発表するとしている。

写真説明・川田村長(右から2人目)から兼城支庁長(右)に対し、再発防止に向けた早急な取り組みが要望された=12日、県宮古支庁

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宮古病院脳神経外科/医師確保を県に要請へ

 宮古市町村会(会長・伊志嶺亮平良市長)の市町村長会議が12日、平良市役所であり、県立宮古病院脳神経外科の医師が今年8月以降、不在となる見通しとなっていることから、県に対し同科の医師の確保、診療継続を要請することを確認した。要請は市町村会と宮古市町村議会議長会(会長・池間青昌平良市議会議長)と連名で行う。時期は県と調整中。市町村会では県と連動しながら、琉球大学などへの協力も働き掛けたい考え。
 同病院の脳神経外科は、前任医師の派遣期限が切れる直前の今年3月に、後任医師が決定。しかしこの医師も7月までの勤務となっており、8月以降の後任はまだ決まっていない。市町村会によると、本島内の県立病院の脳外科医は▽医師1人では責任を持てない▽短期のローテーションなら都合がつけば可能だが、誰も計画を立てきらない▽外来だけなら可能だが緊急に対応できない―などの理由で、転勤希望者がいないという。
 このため、市町村会と市町村議会議長会では、「この問題に全力を挙げて県と連動し取り組む。県の率先垂範なる行動をお願いしたい」という趣旨の要請を行う。この日の会議では同時に「琉大医学部の島嶼県における貢献の意義を考えると、早期に地域(特に離島)と琉大との医療体制の連携強化を図るべき」との方針も確認した。
 伊志嶺市長は「(診療継続へ向け)県も取り組むとしている。宮古病院からの強い要望もある。市町村会としても強く要請したい」と述べた。
 同病院の脳神経外科は1993年に開設された。当初は琉大の医局から医師が派遣されていたが、99年からは同大教授のつながりで福岡大学からの医師派遣を受けていた。しかし福岡大側も「これ以上の医師派遣は難しい」とし、今年4月からは派遣が中止されていた。
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黄色の花が競演/在来種コウシュンカズラ

 在来種のコウシュンカズラ(キントラノオ科)が平良市の1部の原野で、鮮やかな黄色の花を咲かせ始めている。枝の先端に花が密集し競演しているかのようだ。同市指定の保全種。
 宮古各地の原野などで普通に見られていたコウシュンカズラは、1970年代以降の開発や乱獲などで激減した。このため、野生の在来種は貴重な植物となった。
 近年のガーデニングブームを背景に、観葉植物として庭先で育てる人が多い。
 開花時期は4―12月まで。花の直径は約2センチ。耐潮性が強く、病害虫は特に見られない。
 沖縄本島、宮古、八重山、台湾などに分布する。


写真説明・枝の先端に黄色い花が密集したコウシュンカズラ=10日、平良市(撮影・伊良波彌記者)


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白衣に身を包み/「看護の日」で高校生が看護体験

 近代看護の基礎を築いたとされるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなみ、「看護の日」となっている12日、宮古島徳洲会病院で「ふれあい看護体験」が行われ、高校生12人があこがれの白衣に身を包み、看護師の仕事にチャレンジした。
 看護体験をしたのは、宮古高校、宮古工業高校、翔南高校、宮古農林高校から3人ずつの計12人。生徒たちは、学校の制服から白衣に袖を通した。また、同病院では現在廃止となっているナースキャップを特別に用意。「戴帽式」も行われた。
 生徒たちは、入院している患者の顔をふいたり、つめ切りやひげそりをしたりと、慣れない仕事に戸惑いながらも、看護師らの指導を受けながら、真剣な表情で取り組んだ。
 看護師になるのが夢という狩俣綾子さん(宮高3年)は「白衣はあこがれだった。患者さんにも優しく声を掛けてもらえてうれしい。将来は宮古で看護師の仕事をしたい」と笑顔を見せた。
 同病院の桃原敦子総看護師長は「『自分の目で見て、自分の手を使ってケアすることが看護だ』と伝えた。1人でも多く看護師の道を歩んでほしい」と話した。
 1990年、旧厚生省は「看護の日」を含む5月9―15日を、「看護週間」に制定。これからの高齢社会を支えていくためには、看護の心、助け合いの心を広く国民が分かち合うことが必要であるという趣旨のもと、全国各地でさまざまな行事が行われている。
 今回の体験もその1つ。きょう13日は宮古病院でふれあい看護体験がある。

写真説明・優しく声を掛けながら、丁寧に患者の顔をふく生徒ら=12日、宮古島徳洲会病院

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