200平成1  4 18曜日

松丸(茨城)が初V/トライ宮古島大会・

女子は新鋭 今泉
(福岡)が制す

 「ストロングマン 新たな感動のステージへ」をテーマに、第21回全日本トライアスロン宮古島大会(主催・宮古広域圏事務組合など)は17日、池間島、来間島を含む宮古全域で総距離200・195キロの熱いレースが行われ、松丸真幸(30)=茨城県=が7時間52分56秒のタイムで優勝した。日本勢の優勝は14回大会以来、7年ぶり。女子は今泉奈緒美(21)=福岡県=が優勝した。最終出場者1295人に対し、1211人が完走を果たし、完走率は93・51%だった。
 今大会には海外12カ国・地域48人を含む全国46都道府県から1296人(うち県内から97人、地元宮古から73人)がエントリーした。最終的にレース本番に出場したのは1295人だった。スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42・195キロの総距離200・195キロで、限界に挑む選手たちに島中が興奮に包まれるとともにトライアスロン一色に染まった。
 スタート前の午前6時すぎ、宮古島地方には一時強い雨が降ったが、間もなく上がり、まずまずのレースコンディションとなった。午前6時半の気温は20・5度、日中は曇りで時折、所によって強い雨が降るなど24・7度までしか上がらなかった。下地町前浜のスイムコースでも波高は低く好条件だった。
 レースはスイムの大会記録を持つ疋田浩気(32)=静岡県=と若手の杉本宏樹(23)=阪府=引っ張り、疋田がコースアウトするアクシデントがあって、スイムは杉本がトップで上がった。
 バイクに入り間もなく疋田が杉本をかわしトップに立った。その後も疋田が快調に飛ばした。それをUSプロサイクリングチャンピオンの実績を持つチャン・マクレー(33)=アメリカ=とパク・ビョン・フン(33)=韓国=が競り合いながら追走した。結局、バイクゴールは疋田、マクレー、パクの順だった。
 最終種目のランに移ると序盤でパクがマクレー、疋田をかわしトップに立ち、独走態勢。しかし松丸が猛追し、城辺町保良の折り返しでは射程距離に。徐々に差を詰め、23キロ地点の福嶺小学校付近でパクをとらえた。30キロまでは激しいデッドヒートを繰り返した。その後はトップに立った松丸は安定した走りで、そのままゴールに飛び込んだ。日本人選手の優勝は14回大会以来で、久々に外国人選手の優勝を阻んだ。
 女子はスイムで久保田早紀(23)=兵庫県=が41分8秒の好タイムでトップに立ったが、バイクで今泉が逆転。2位には塩野絵美(24)=東京都=がつけた。ランに入っても今泉が好調な走りを維持、塩野の追撃を振り切った。
 連覇を狙った岡いずみ(35)=東京都=と、県勢の千葉ちはる(33)=那覇市=は、それぞれ5位、4位だった。
 今年も4800人のボランティアが大会を支え、選手たちのレースを後押しした。ゴール地点の平良市陸上競技場では、長い過酷な戦いを終えた選手たちに温かい拍手が送られた。大会は今回まで宮古広域圏事務組合が主催してきたが、圏域では今年10月に市町村合併を控えており、次大会からは新市「宮古島市」に引き継がれることになっている。

 写真説明・外国勢の連覇を阻み初優勝した松丸昌幸=17日、平良市陸上競技場
 写真説明・女子で初出場初優勝した今泉奈緒美=17日、平良市陸上競技場

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合併でトライ主催最後に/宮古広域事務組合

 21年間にわたり、全日本トライアスロン宮古島大会を主催・運営してきた宮古広域圏事務組合。今年10月の市町村合併により9月30日をもって解散するため、今回の第21回大会が主催する最後の大会となった。合併後は新市でプロジェクトチームを発足させ継続させていく方向で話が進められている。1985年に参加選手241人から始まった大会は今では1500人規模にまで成長し、大会関係者だけでなく地域住民にも深く浸透。国内外に知られる島の一大イベントとなった。その背景には多くのスタッフたちの努力と地域の協力があった。
 第3回大会からかかわっている下地冴子さんは国際部を中心に担当し、外国人選手の受け入れや通訳に奔走してきた。「自分自身が身に付けた英語を生かせる分野でもあり、地元のイベントにかかわることができ感謝している。やりがいのある充実した仕事だった」と笑顔を見せる。下地さんが感じる大会の魅力は「人と人とのつながり」。「年に1度のイベントだが、レースに限らず人と人との和が大きい。価値のあるイベント。島にとってもメリットであり、今後も続けていってもらいたい」と願いを託した。
 同じく第3回大会からかかわり主に広報部を担当してきた下地律子さんは、島内外から訪れるマスコミの窓口として各社の取材がスムーズにいくよう尽力してきた。参加者たちの意見・要望にも多く触れ、「いかに選手が住民の声援でゴールできているかを感じた。それがこの大会の強みになっている」と話す。
 医療救護部や式典部、連絡通信部など幅広い分野で担当を務めた宮国勝幸さん。今回を含め計18回の大会にかかわった。大会が開催されて間もないころは宿泊施設が少なかったため、来島する選手のホームステイ先を募集していたこともあったという。こうした人とのつながりが人気の秘密の1つとみている。「トライアスロンとともに島も成長してきた。効果は大きい」と話した。
 事務局長を務め2003年度に退職した翁長靖夫さんは第5回大会から携わった。大きな変化として「参加選手数、ボランティアの技術向上、地元住民の応援」を挙げる。印象に残っているのは初の死亡者が出た第18回大会。運営の継続を危ぶむ声もあったが、大会を続けてほしいとの声が各地から寄せられ、「改めて多くの人々に支えられている大会であることを痛感した」という。
 伊志嶺亮代表理事は、大会を支えてきた職員たちの頑張りを評価する。「少ない人数で経済発展に大きな役割を果たした。これだけのスタッフでこれほどの大会ができたことは島の誇り」とたたえた。

 写真説明・21年間にわたる大会を支えたスタッフたち。今後の継続に願いを託す=17日、トライアスロン事務局

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レース後の選手たちを「癒します」/マッサージボランティア

  長いレースを終えた選手たちの疲れを癒やし、体力・気力の回復を手伝うのが、一般応募者や高校生たちで構成するマッサージボランティアのメンバーたち。約200人が平良市総合体育館に待機し、戦いを乗り越えた選手たちの体と心をほぐす。
 夕刻の風が肌にひんやりするころには、部長の柴田邦子さんが「そろそろ寒さを感じている選手もいるはず。冷たいタオルを当てる際には、必ず事前に声を掛けて確認して」と呼び掛け、注意を促していた。
 参加した池原実世さん(17)は「選手との会話を通して、沿道の応援とはまた違った触れ合いを深めることができる」とマッサージボランティアのだいご味を紹介した。

 写真説明・レースを終えた選手たちを迎え、マッサージで元気づけるボランティアメンバーたち=17日、平良市総合体育館

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教え子たちと感動共有/トライ完走・池間大輔さん

 赴任校・福嶺中の生徒から、過去に赴任した北中、平良中の教え子たちまで大勢の中学生に囲まれ、もつれるようにゴールに飛び込んだ池間大輔さん(24)=下地町。「予想以上の人数で迎えてくれて、感極まりました」と目頭を熱くする。
 ウエアには教え子たちの激励のメッセージが所狭しと書き込まれ、完走メダルと花冠が贈られると、にぎやかな歓声とともに教え子たちの携帯電話のカメラでの撮影が殺到。「子供たちの思いを背負ってレースに参加しているので、苦しいときも心の励みになった」と率直に感謝の言葉を述べる。
 予想より早くゴールにたどり着いたが「バイクが練習不足だった」ときっぱり。さらに「本格的にバイクの練習を積めば、もっとタイムは縮まる」とさらにきっぱり。
 大会を通じて地域の温かさを一層感じたという。「子供たちにも、宮古に生まれたことを誇りに思ってほしい」と先生の顔をのぞかせた。

 写真説明・教え子たちに迎えられ完走した池間さん=17日、平良市陸上競技場

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結婚10周年、2人そろってゴールへ/安藤夫妻(千葉県)

  結婚10周年という節目の年、夫婦2人でゴールに飛び込んだ安藤晴人さん(39)と有希さん(39)夫妻=千葉県。「今までで一番、思い出に残る大会だった」と満足した様子で口をそろえた。
 もともと、晴人さんの影響でトライアスロンを始めたという有希さん。今では共通の趣味となり、2人にとって宮古島大会は年間イベントの1つだ。
 今大会、「練習をさぼりすぎた」と笑う晴人さんに対し、有希さんはコツコツと重ねた練習の成果を発揮。いつもなら晴人さんがゴールで待つが、今回は同時ゴールとなった。
 ゴールに飛び込む際、10周年を記念しようと晴人さんは有希さんを肩車。仲むつまじく節目のゴールを飾った。
 「宮古島大会が続く限り、いつまでも2人で出場したい」と笑顔を見せる晴人さん。有希さんも「肩車はうれしかったけど、少し恥ずかしかった。大会を通して得た思い出をこれからも大事にしたい」と話した。

 写真説明・夫婦そろってゴールに飛び込んだ安藤夫妻

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