200平成1  曜日


 下地島の軍事化反対を強調/平良市議会3月定例会で伊志嶺市長

 平良市議会(池間青昌議長)の3月定例会が1日開会し、伊志嶺亮市長が2005年度施政方針を説明したほか、総額158億9500万円の05年度一般会計予算案をはじめとする28議案を提案した。伊良部町で下地島空港への自衛隊誘致の動きが活発化する中、伊志嶺市長は施政方針で「下地島空港の米軍や自衛隊機の使用の動きはこれからの宮古の将来に大きな不安を与える。平和で豊かな宮古を残せるよう、下地島空港の軍事利用に強く反対する」と述べ、改めて同空港の軍事利用を拒否する姿勢を示した。市町村合併については「この重要な時期の先頭に立ち、課題解決へ向け全力で取り組む」と決意を示した。
 伊志嶺市長は「市民が安心して暮らしていくためには平和な地域づくりの推進が重要」と指摘。昨年8月に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故を例に挙げながら、「民間空港の軍事利用に関する問題は住民の生活を恐怖に陥れる」と、民間空港の軍事利用反対を強調した。
 施政方針では@商店街の活性化や道路・公園整備などの「新たな都市機能の充実」A観光や農林水産業の振興などの「活気ある地域産業の振興と雇用の創出」B環境や地下水保全などの「資源循環型社会システムの構築」C保健予防の充実を図る、「健康な100歳への挑戦」D教育・文化・保健体育を充実させる「未来をつくる子供たちの人材育成」E計画的な財政運営などに取り組む「計画の効率的な推進」―を主要施策に掲げた。
 市町村合併に関して伊志嶺市長は「合併は宮古の100年の大計を創り出すもの。目的地点ではなく、改革のスタートだ。長期的視野で行財政運営や人件費の抑制、効率的・効果的な行財政基盤の確立が求められている。新生・宮古の誕生へ向け、全庁体制での取り組みを強化していく」と述べた。
 今定例会に提案されたのは、05年度一般会計予算案と同年度の各種特別会計予算案、04年度一般会計・各種特別会計の補正予算案、市職員給与に関する条例改正案など28議案と、人権擁護委員の推薦に関する諮問案5件、専決処分の報告1件。
 今定例会の会期は22日までの22日間。一般質問は16−18日の3日間を予定しており、18日には5市町村合併の最終判断となる合併議案が提案される予定となっている。

 写真説明・2005年度の施政方針を説明した伊志嶺市長=1日、平良市議会

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知事「新たな基地負担に反対」/県議会・下地島自衛隊誘致要請で

 【那覇支局】県議会(外間盛善議長)の2月定例会は2月28日、一般質問2日目が行われた。當間盛夫氏(維新の会)が自衛隊の下地島空港使用問題、伊良部町商工会の自衛隊駐留要請についての対応をただしたのに対し、稲嶺恵一知事は「同空港については、これまで米軍の使用自粛を強く要請してきたところであり、いわゆる『屋良確認書』や1979年に県と国との間で確認した同空港の管理運営方針『西銘確認書』を踏まえた利用が行われるべきと考えている。県としてはこれまで日米両政府に対し、県民の目に見える形で本県の過重な基地負担が軽減されるようあらゆる機会を通じて強く求めてきたところであり、新たな基地負担に使われるようなことに対しては反対を明言している」と従来の考えを改めて強調した。
 今後の市町村合併の取り組みについて、稲嶺知事は「地方分権の流れが加速する中で、行政の効率化・高度化が求められ、県としてもすでに市町村合併を積極的に推進しているところ。本年4月から施行される合併新法では総務大臣が定める基本指針に基づき、自主的合併を推進する必要がある市町村を対象に、県が合併に関する構想を策定することとしている。可能な限り小規模町村を改善する方向で取り組んでいきたい」との考えを示した。
 旧軍飛行場用地問題への取り組みについて、府本禮司知事公室長は「県は、県政策会議で団体補償を解決策の基本方向として確認した。この県の考え方は、各地主会に説明するとともに、去る2月15日の第6回県市町村連絡調整会議幹事会において関係市町村にも説明した。県の説明に対し、旧軍飛行場地主会連合会に加盟する地主会は今後も個人補償を求めていくとし、一方、那覇大嶺、読谷村の地主会は、基本的に県の考え方に同調している。宮古の地主会の一部、伊江島の地主会は地主会内部で検討したいとのこと。県としては団体方式による問題解決を考えているが、地主会の同意が前提。今後とも理解が得られるよう働き掛けるとともに、関係市町村長の意見を聞きながら、県市町村連絡調整会議を中心に検討を進め、できるだけ早く要望案を取りまとめ、戦後処理としての解決を国に求めていきたい」と答えた。

 写真説明・下地島空港の自衛隊利用問題で、新たな基地負担に反対を明言する稲嶺知事=1日、県議会

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羽根を修復、今月中に稼働/城辺町砂川・風力発電風車

 2003年9月の台風14号による被害で羽根(ローター)が折れ無残な姿をさらしていた、宮古土地改良区が管理する城辺町砂川地区のかんがい用風力発電機の新しい羽根の取り付け作業が1日、同地で行われた。直径47メートルの新しい羽根を、巨大なクレーンで慎重に引き上げ、タワー部分に取り付けた。修復は、県宮古支庁が台風14号災害復旧事業で行った。事業費は1億5000万円。今月上旬にテスト作業を行った上で、中旬にも稼働が再開される見込み。
 一方、沖縄電力は、同台風で甚大な被害を受けた平良市狩俣と城辺町七又の風力発電施設を復旧させたい方針だが、被害の原因究明などに時間を要し、復旧のめどは立っていない。
 同社の風力発電施設は、風力発電システムの実用化に向け、実証研究を進めるために設置された。しかし、03年の台風14号により、狩俣、七又を合わせて6基のうち3基が倒壊、残る3基も羽根などが破損するなどの被害を受けた。
 同社広報室によると、実証研究はまだ終了しておらず、風力発電施設は復旧させる方針だ。一方で、被害に関して十分な調査を行い、適切な風車を選定するため、今後の具体的なスケジュールは未定となっているという。

 写真説明・新しい羽根の取り付け作業が行われた城辺町砂川のかんがい用風力発電施設=1日、城辺町砂川

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5高校で卒業式、730人が巣立ち

宮高定時制、最後の卒業生14人に証書

 宮古地区の県立5高校で1日、一斉に卒業式が執り行われ、計730人が高校生活の思い出と、新生活への期待を胸に学びやを巣立った。各校では、高校生活を振り返り、思わず涙ぐむ卒業生の姿も。また、友人や恩師、家族らと記念撮影をする姿や、後輩たちから花束を手渡され笑顔を見せるといった卒業式ならではの、華やかなシーンが多く見られた。
 このうち今年度で廃課程となる宮古高校定時制の卒業式では、最後の卒業生14人が狩俣幸夫校長から卒業証書を受け取り、定時制課程を修了。52年の歴史に幕を閉じた。廃課程記念式典なども行われOBや歴代校長・教頭などが「定時制魂」を永遠に受け継いでいくことを誓い合った。
 定時制卒業生代表であいさつした下里啓太君は学校生活を振り返り、「定時制での経験はこれからの生活の中できっと役に立つ。転入の理由はさまざまだが、定時制は私たちに新しいチャンスをくれた。52年という歴史を持つ定時制最後の卒業生であることに誇りを持ちたい。『今までありがとうございました』という気持ちを胸に、定時制課程をしっかりと締めくくりたい」と述べ、感謝した。
 狩俣校長は「困難や障害を乗り越え見事に卒業の日を迎えることができた。自分で自分をほめてほしい。伝統ある本校定時制の最後の卒業生として自信と誇りを持ち、雄飛していってほしい」とエールを送った。
 廃課程記念式典にはOBや関係者が出席。当時に思いをはせ、廃課程をしのぶとともに今後も定時制を語り継いでいくことを誓い合った。これまでの取り組みに敬意を表し歴代校長や教頭、旧職員などへの感謝状贈呈も行われた。

 写真説明(上)・今年度で廃課程となる宮古高校定時制最後の卒業生として卒業証書を受け取る生徒=1日、宮古高校体育館
 写真説明(下)・花束を手に門出を喜び合う卒業生ら=1日、翔南高校

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亡き娘に代わり卒業証書授与/宮高定時制・与那覇さんの母親と弟

 「和恵、卒業証書受け取ったよ」―。今年度で廃課程となる宮古高校定時制の卒業生で、先月脳腫瘍のため亡くなった與那覇和恵さん(22)に1日、卒業証書が贈られた。母親の栄子さん、弟の嵩信君(西辺小6年)が和恵さんに代わって定時制最後の卒業生として舞台に上がり、狩俣校長から卒業証書を受け取った。栄子さんは「ありがとうとしか言えない。本人も喜んでいると思う」と話し、和恵さんの卒業に喜びをかみしめた。
 浦添市で生まれ育ち県立陽明高校に通っていた和恵さんは、2年生の夏に脳腫瘍が発覚。手術を受け、同じ年の10月から約2年間休学した。その後、休養のため母親の故郷である宮古島へ母親と弟の3人で移り住み、2003年3月から宮古高校定時制に転入。病院に通いながらも最後まで学校に通い、就職休みに入って間もない2月19日、亡くなった。在学中は県高等学校定通制意見発表大会などにも出場し、昨年12月には高校生小論文コンクールで審査員特別賞を受賞するなど文化面で活躍してきたという。
 母親の栄子さんは「明るくて誰とでも仲良くなれる性格の子だったので友達も多く、いつも転入して良かったと言っていた。本当に楽しそうだった」と学校に通っていた和恵さんの様子を話し、「卒業したいと言って本人が最後まで学校に行きたがっていた。卒業証書は本人に受け取ってもらいたかったが、こうして無事に受け取ることができ喜んでいると思う」と涙で声を詰まらせた。卒業式には和恵さんの白いコートを着て、遺影を抱いて出席。名前を呼ばれると弟嵩信君と舞台に上がり、卒業証書を受け取った。また、宮古高校定時制教育振興会から優秀卒業生として表彰された。
 狩俣校長は「胸が詰まる思い。優しい思いやりのある良い子だった。本人が卒業証書を受け取れないのは残念だが、多くの人に愛され、多くのことを教えてくれた」と和恵さんをしのんだ。
 友人の砂川めぐみさんは「知らせを聞いたときはショックだった。でも、最後の卒業生として卒業証書をもらえたのでうれしい」と話した。

 写真説明・與那覇和恵さんの遺影を胸に抱き、代わって卒業証書を受け取った母親の栄子さん(右)と弟の嵩信君=1日、宮古高校体育館

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52年の歴史に思いはせる/宮高定時制・卒業生ら一堂に「語る会」

 52年の歴史に幕を閉じた宮古高校定時制は1日、同校体育館で「思い出を語る会」を開いた。卒業生らが大勢集まり、定時制課程の廃課を惜しむとともに、思い出話に花を咲かせた。
 語る会の冒頭、狩俣幸夫校長は「定時制は素晴らしい人材を輩出した。記念事業も卒業生らの寄付で盛大に開催できた。時間の許す限り、心ゆくまで思い出を語り合ってください」とあいさつした。
 7期卒の下里龍信さんは「東京や沖縄本島から集まった先輩たちに会えてうれしい」と再会を喜び、「定時制がなくなることは寂しいが、それだけ世の中が豊かになった証拠。それはそれで良いことだ」と語った。
 卒業生らによる余興が次々に披露され、会の最後は全員でクイチャーを踊り、会場は大いに盛り上がった。

 写真説明・体育館に掲げられた校歌の歌詞を見上げ、斉唱する卒業生ら=1日、宮古高校体育館

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