200平成1  2 16曜日

 温泉排水停止を要請/上水道企業団など

 白川田水源流域の2つの井戸で塩素イオン濃度が高い数値を示している問題で、宮古広域圏事務組合代表理事で宮古島上水道企業団理事長の伊志嶺亮平良市長らは15日午前、その要因として指摘された温泉施設を持つ宮古島リハビリ温泉病院(奥原典一理事長)を訪れ、現在県が実施している検査結果が判明するまでの1カ月間、温泉排水を停止するよう要請した。しかし奥原理事長は不在で、対応した職員も受け取らず、要請文は受付に置くだけという異例の事態。「せめて県の検査結果が出る1カ月間、排水を止めてほしい」とする伊志嶺市長に対し、奥原理事長は「病院独自で検査する」とすぐには要請に応じない構え。さらに、決着を法廷の場に移す考えも示唆した。
 伊志嶺市長は同企業団の渡真利光俊企業長らとともに午前11時に同院を訪れたが奥原理事長は外勤中で職員が対応。伊志嶺市長らは再三、「誰でも良いから受け取ってほしい」と要望したが、職員は「受け取る立場にない」という理由で受け取らなかった。伊志嶺市長らは結局、要請文を受付カウンターに置いたまま同院を後にした。
 伊志嶺市長は「強制的に排水を止めろと言っているわけではない。ただ、宮古の水事情はほかの地域と違う。少しでも可能性が考えられるから、止めてほしいというお願いだ」と困惑。渡真利企業長も「お互い協力して水を守りたいということだったが、その意が通じず残念だ」と述べた。
 報道各社の取材に奥原理事長は「根拠があいまいなまま操業停止を求められても即時に応じられない。温泉を利用している患者も多い。(水源地に近い)井戸の塩素イオン濃度の上昇要因が本当に温泉排水なのか独自に調査した上で判断したい」とコメント。調査は鹿児島県の専門家に依頼するという。
 重ねて、「この問題についてはきちんとした場所で白黒をつけたい。そのために今、材料集めをしている。相手は要請に参加したメンバー全員」とし、企業団などを相手に訴訟も辞さない意向を示唆した。
 要請文は宮古広域圏事務組合代表理事、宮古島上水道企業団理事長の伊志嶺市長と企業団の副理事長や理事を務める宮古本島の残る3首長、渡真利企業長の連名。同院が水質汚濁防止法の水質基準を満たしていることに理解を示しつつも、「温泉排水が結果的に水源水質への悪影響がなければ幸いだが、命の水に万が一があってはならない」と未然防止の重要性を強調。県の検査結果が出るまでの1カ月間、温泉排水を止めるよう求めている。

 写真説明・要請文を受付カウンターに置いたまま、職員に受け取るよう求める伊志嶺市長(右)=15日、宮古島リハビリ温泉病院

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宮高 創立50周年で記念碑建立/関東南秀同窓会

 県立宮古高等学校(狩俣幸夫校長)の卒業生(旧制宮古中など含む)で構成する「関東南秀同窓会」(赤崎多喜夫会長)の創立50周年でこのほど同校に記念碑が建立され15日、その除幕式が同校で行われた。関東南秀同窓会の会員をはじめ宮古の南秀同窓会(岡村一男会長)の会員、行政関係者らが出席。赤崎会長、岡村会長、狩俣校長と生徒会長の下地智子さんが除幕した。出席者らは記念碑建立を祝うとともに、同会と母校のきずながさらに深まることを期待した。
 赤崎会長は「時代は移り、唯一昔日の姿をとどめているのは校門のみだ」とかつての学びやに思いをはせながら、「石碑には会の基盤づくりに貢献された亡き先輩方への感謝と報恩、会員が南秀魂を発揮して頑張る決意、母校とともに会が永遠に発展したいという願いが込められている」と説明し、建立に携わった関係者に感謝した。
 狩俣校長は「宮古から関東へと進んだ先輩方の開拓、向学の精神に宮古の心意気を感じ、感服するばかり。記念碑を通じて先輩方の貴重な思いが伝えられる」と喜んだ。在校生を代表して下地さんは「先輩方のさまざまな活躍を誇りに思う。先輩方の活躍に恥じぬよう、私たちも宮古高校の歴史と伝統を受け継いでいきたい」と意気込みを示した。また式典に引き続き行われた祝宴では岡村会長は「記念碑を通して先輩方が頑張っていることを感じながら、今の子供たちの励みとなることを期待したい」と語った。
 関東南秀同窓会は1955(昭和30)年に創立された。卒業生の親ぼくを深めることはもとより、母校の宮古高校に対し物心両面からの支援を行うなど、活動を続けている。

 写真説明・除幕を行った(左から)南秀同窓会の岡村会長、関東南秀同窓会の赤崎会長、狩俣校長、下地生徒会長=15日、宮古高校

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「宮古市」の撤回求める/新市名称シンポ実行委

 新市の名称を考えるシンポジウム実行委員会(呼び掛け人代表・兼島恵孝、漢那昭)は15日、宮古5市町村合併推進協議会の伊志嶺亮会長(平良市長)に対し、合併推進協議会が決定した「宮古市」を白紙に戻し、新市名称に住民の意思を反映させる取り組みを行うよう要請した。伊志嶺会長は、23日の合併協前に各町村長が集まる会合の中で提案する考えで「非公式で話し合って決めたい」としている。同実行委員会では各市町村長や宮古支庁長、議会議長、合併推進協議会委員にも要請文を送付し理解を求めていく。
 要請は11日に開かれた新市の名称を考えるシンポジウムの論議を踏まえ行ったもので、同実行委員会では住民アンケートなど住民の意思を反映させる手段での新市名称決定を求めている。
 呼び掛け人代表代理の猪澤也寸志さんらが市役所を訪れ、要請文を読み上げ「シンポジウムにおける論議を踏まえ、合併推進協議会が決定した『宮古市』を白紙に戻し、改めて新市の名称について合併推進協議会の責任で住民の意思を幅広く反映させる取り組みを早急に実施するよう」伊志嶺会長に要請。伊志嶺会長は「宮古市」決定に至るまでの経緯を説明し「新市名称は永久に残るもの。アンケートを取ることが決まるかは皆の判断なので分からないが、住民が望んでいるので実施するよう努力していきたい」と前向きな姿勢を見せた。
 シンポジウムには5人のパネリストをはじめ宮古出身の沖縄本島在住者や地域住民約90人が参加し、新市名称について議論。この中では既決している「宮古市」のほか、「宮古島市」「みゃーく市」「琉宮市」「マティダ市」の候補が挙がった。パネリストや参加者たちからは、公募やアンケートを実施せずに新市名称を「宮古市」と決定したことに対し批判の声も相次いだ。

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航空機爆発炎上を想定/下地島空港で消火救助訓練

 伊良部町の下地島空港で15日午後、航空機事故消火救難総合訓練が行われた。空港関係者ら総勢60人が参加。本番さながらの訓練を展開した。
 同訓練は、同空港において、航空機事故が発生した場合、各関係機関が緊密な連携のもとに、消火救難活動および医療救護活動などの総合訓練を通して、迅速かつ的確に対応が図られることを目的に実施された。
 訓練は乗員4人の訓練機が滑走路に進入着陸の際、エンジントラブルにより爆発炎上し、負傷者が出たとの想定で行われた。想定気象は北西の風9メートル、晴れ、気温20度。
 航空機が爆発炎上と同時に、洲鎌忠司県下地島空港管理事務所長を本部長とする緊急対策本部を設置するとともに、関係機関へ通報した。化学消防車2台が緊急出動で消火活動を行い鎮火させた。
 次いで救護班が事故機から重症2人、軽症2人の負傷者を救出し、救護テントまで搬送。応急手当の後、重傷者2人は救急車で病院へ搬送された。
 訓練終了後、洲鎌本部長は「私ども空港で働く者にとっては航空機の安全運航、空港の安全確認が最優先の事項である」と強調した。その上で「あらゆる災害または事故において、初期活動が極めて重要。初期の段階において『迅速な連絡通報』、それを受けて『消防をはじめ救難救護などに人員を短時間に集中的に投入する』ことが大事。今回は、ほぼ満足のできる訓練ができて、訓練の目的を達成した」と講評した。

 写真説明・ 事故機から救出した重傷者を担架に乗せて救護テントへ搬送する救護班=15日、伊良部町の下地島空港

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八王子実践高18日来島/女子バレーの名門、交流試合など開催

 女子バレーボール全日本選手の大林素子選手などを送り出した名門校、八王子実践高等学校の女子バレーボール部の菊間崇 監督と昨年の春高バレーに出場したメンバーが18日、交流のため来島する。
 19日には午前9時から宮古高校体育館で講習会を開くほか、午後からは島内の高校女子バレーチームと交流試合を行う予定。バレー講習会は参加自由。問い合わせ先は安谷屋政秀さん(電話:090-8665-4430)まで。
 来島するのは菊間監督をはじめ、昨年の春高バレーベスト8のメンバー6人を含む17人。平良第一小学校でバレーの指導を行っている安谷屋さんが、以前、バレーの指導法について学ぼうと八王子実践高校で菊間監督に学んでいたことから、菊間監督に来島を呼び掛け実現した。
 菊間監督は、1958八年に八王子実践高校女子バレー部の創設とともに監督に就任し、これまでに春高バレーで5回、インターハイで5回、国民体育大会で2回もチームを全国優勝へ導いてきた。全日本選手の大林選手をはじめ、三屋裕子選手、高橋有紀子選手など数々の選手を送り出した。
 八王子実践高校の女子バレー部は3月に代々木で開催される春高バレーに東京都代表としての出場が決まっている。

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オリックスキャンプ便りJ 【 山口 和男 投手(30歳)

 日本最速右腕、夢の160キロに最も近い男

 昨季、チームの守護神として3勝17セーブを挙げた山口和男投手。日本球界最速158キロを誇る右腕。夢の160キロに最も近い男だ。
 プロ入り最高の結果を残し、自信もつけ米大リーグへの思いが強まった。「160キロ、40セーブ」と仰木彬監督から移籍を許可するハードルも与えられ、精力的に投げ込む。
 投球フォームも改造中。体の開きが早い欠点を修正するため、プレートのすぐ後ろにネットを置きフォームを矯正する。神部年男投手コーチからも「ひざを柔らかく」と檄が飛ぶ。
 紅白戦初登板となった14日はMAX149キロを出したものの、2回を5安打3失点と守護神らしからぬ内容。仰木監督も「コメントなし。話したくもない」と厳しい表情で語った。
 登板後にはブルペンで250球投げ込み。紅白戦も合わせて計350球も投じた。「投げ急いだ。むきになって自分の投球を見失った」と初登板を振り返る。
 仰木監督の厳しい発言は守護神への期待の表れ。「160キロ、40セーブ」。メジャーを夢見て、課せられた高いハードルに挑む。

 山口 和男(やまぐち・かずお) 1974(昭和49)年5月11日生まれ。30歳。広島県出身。身長186センチ、体重94キロ。右投右打。背番号18。山陽高−広島電機大学−三菱自動車岡崎−オリックス(2000年ドラフト1位)。プロ6年目。昨季成績は40試合で3勝3敗17セーブ、防御率3・80。
   (洲鎌恵仁記者)

 写真説明・「160キロ、40セーブ」の目標に向かって投げ込む山口投手

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