200平成1  15曜日

過去最高の39万2000人/04年入域観光客数速報

 2004年の宮古の入域観光客数は前年比6・3%(2万3238人)増の39万2140人で過去最高を更新し、40万人の大台にあと8000人足らずと迫っていることが、県宮古支庁総務・観光振興課が14日までにまとめた速報で分かった。入域観光客数は01年以降4年連続の増加となった。
 前年と比較すると上半期の伸びが顕著だったが、逆に下半期は落ち込んでおり、40万人突破に向けては年間通してバランスの良い伸びが必要と考えられる。
 月ごとの内訳をみると、最も増加率が高かったのは1月で、前年同月比24・5%(6474人)の大幅増で3万2871人。続いて3月が同21・8%(7144人)増の3万9910人と続く。これらを含む上半期の合計は前年同期比16・3%(2万7661人)増の19万6940人。上半期は6カ月間続けての増加で、大幅な伸びが際立っている。
 観光客数が最も多かったのは8月の4万4205人だが、前年同月比でみると5・1%(2366人)の減少だった。これを含む下半期は7月と9月以外はいずれも減少した。県宮古支庁総務・観光振興課では来週中にも、期間別の観光客の動向や宿泊施設稼働率、観光収入などをまとめた04年入域観光客数に関する詳細なデータを公表する予定。

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工事再開に住民側難色/城辺町・町道15号道路改良工事

  地権者の同意を得られず、2003年度から工事が中断されている城辺町道15号線の道路改良工事に伴う事業説明会が13日夜、同町の福西公民館で開かれた。町側は、05年度にも工事が進まなければ事業そのものが打ち切りになる可能性を危惧(きぐ)し、工事の再開に理解を求めたが、施工ルートを住民に知らせないまま決定したこれまでの町側の姿勢に不信感を抱く住民らは納得せず、最後まで平行線をたどった。この説明会を受け福西部落は、近日中にも部落総会を開催し、部落としての総意形成を図る。町側としては、今後約50人の地権者を個別に訪問し、それぞれの補償額を提示して同意を求めていく方針だ。
 説明会は午後7時から開かれ、福西、福北両部落の住民や補償対象となる地権者らが参加した。町側は下地勉建設課長らが出席。道路の両脇を整備する「第3案」で施工し、福西公民館前の町道92号線工事の補償を組み合わせれば、公民館東側の塀の建て替えとスロープの設置や階段の造り替えなどが出来るとしてその内容を提案。補償対象となる土地の地権者らには、3月中旬にも現地で測量を始めたい意向を説明した。
 これを受け住民、地権者らは「道路拡幅に異議はないが、町のやりかたに納得できない。これまでに、地権者を戸別に訪問して説明するのが筋ではなかったのか」などと反発し、道路西側を整備する当初案の「第1案」での施工に差し戻すよう再考を求めた。また、説明会終了後には「(計画差し戻しが)出来ないのならこのまま工事をしなくてもいいのでは」「市町村合併後に新市長のもとで考えたい」など冷ややかな声も聞かれた。
 この事業は、町立城辺小学校前の交差点から福北へ向かう町道15号線拡幅工事で、02年の住民説明会において決定した拡幅計画案が、町側により予算圧縮を理由に変更された経緯がある。変更に伴い、町立図書館や福西公民館が補償枠から外れた。これに福西部落は反発し、署名活動を行うなどして第1案への差し戻しを求めている。
 この事業の全体事業費は10億6500万円、事業期間は01−07年。

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住民サービス維持が不可欠/合併後の新市組織・機構

 宮古5市町村合併推進協議会(会長・伊志嶺亮平良市長)は11日の市町村長会議で、合併後の新市の組織・機構について、5部制を採用し分庁方式を取ることを確認。平良庁舎に総務部、企画政策部と教育委員会、城辺庁舎に福祉保健部、下地庁舎に建設部、上野庁舎に経済部を置き、離島の伊良部庁舎は総合支所とする方針が固まった。今後はこれをもとに課や係、出先機関などの詳細な組織・機構、各庁舎の窓口業務などに関する「支所機能」について議論が重ねられることになるが、この中で求められるのは「住民サービスを低下させない形の組織・機構」である。

 ■分庁方式で混乱は?
 分庁方式は各庁舎に本庁の部局を分散して置き、窓口業務も併せて行う方式のこと。合併前の各市町村の庁舎を有効活用できるのが大きな長所といえる。一方で、部課の分散により住民が混乱する可能性は、現時点ではぬぐいきれない。建設関係の手続きなら下地庁舎に、農林・商工関係なら経済部のある上野庁舎に、福祉や医療に関することなら福祉保健部が置かれる城辺庁舎に、といった具合に、「合併後には住民の手間が増えるのではないか」と住民が疑問を感じるのは至極当然な流れである。
 従って、一定程度の問い合わせ、手続きは住民が住んでいる地域にほど近い各庁舎で対応できる窓口を持つ「支所機能」の充実が不可欠となる。合併協で「組織・機構プロジェクト班」を担当する城辺町の饒平名建次総務課長は「あくまで住民サービスを低下させないことが前提」と強調する。

 ■福祉保健関連相談は年間2万件
 懸念材料の1つとして、平良市の福祉保健関連の相談を例示する。同市福祉部に対する2003年度の相談件数は約2万件に上る。内訳は生活保護医療関連の申請は約8400件、乳幼児医療関連の申請は約3800件など。福祉・保健関連は住民が直接接する機会が多い。これについて同部から不安の声が上がっている。
 ある職員は「福祉保健部が城辺庁舎となれば、現状から考えてかなり混乱するだろう」と懸念する。同部の狩俣公一部長は「今後、組織の詳細は委員会で決定されるだろうが、福祉面に関しては職員からも住民からも不満の声が出てくるのでは、という人もいる」と話し、今後の協議を注視する構えを見せる。

 ■「組織・機構に関する委員会」の立ち上げ
 組織・機構の決定は市町村長会議が行う。その過程で民間の意見を取り入れる必要があることから、合併推進協議会幹事会のメンバーと各自治体が1人ずつ推薦する民間からの委員で構成する「組織・機構に関する委員会」が早急に立ち上げられる予定となっている。
 この中で焦点となりそうなのはやはり窓口業務を担う「支所機能」。例示した年間約2万件にも及ぶ平良市福祉部への相談を、そのまま請け負える窓口が設置されるのか。窓口の機能次第では、福祉保健関連の相談や申請の多くを城辺庁舎まで足を運ぶ可能性は、現段階では低いとは言い難い。他の部も同様のことが指摘できる。
 市町村合併によって住民が「不便になった」と感じるようでは、その意義は半減してしまう。住民サービスが低下しない形の組織・機構について熟慮しなければならない。また住民はこれを注意して見守る必要があるだろう。
  (砂川拓也記者)

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北と南がサッカーで交流/北海道室蘭市と平良市

 サッカー交流を目的に来島している北海道室蘭市サッカー少年団は14日、平良市陸上競技場で宮古のサッカー少年と交流試合を行い、親ぼくを深めた。同日、室蘭市の新宮正志市長らも来島し、平良市役所を表敬訪問した。夜には室蘭市関係者と平良市職員らとの交流会も行われた。きょう15日も交流試合が行われる。

 この日、交流試合は宮古U―12トレセンチームと行われた。室蘭市の子供たちは肌寒い天気の中でも、全員が半袖でプレー。ピッチ上で熱い戦いを繰り広げた。
 室蘭選抜の佐藤航介君は「宮古島は初めて。北海道に比べてすごく暖かい。試合できて楽しかった」と笑顔を見せた。
 宮古U―12トレセンの前泊慎太郎君は「ディフェンスが速くてタックルも強かった。違う地域の人と試合できて、いい経験になった」と話した。
 きょう15日も交流試合は行われ、平良第一FCやマティダ東FCなど5チームと対戦する。
 一方、室蘭市の新宮市長らは14日午後、来島し、宮古空港で歓迎を受けた後、平良市役所を表敬訪問した。出張中の伊志嶺亮市長に代わって、下地学助役らが出迎えた。
 今回が3度目の来島という新宮市長は「今回、子供たちも私たち大人も含め、両市のきずなを深め、スポーツだけでなく交流を深められればうれしく思う」と述べ、滞在中の交流に期待した。
 市役所を訪ねたのは、新宮市長と同市議会の大久保昇議長、働く女性の国際奉仕団体「国際ソロプチミスト室蘭」の伊藤セツ子会長ら。新宮市長は「出発したときはマイナス3度ぐらいだったから、宮古島との気温差は20度ぐらいある」と驚いた様子で話した。
 下地助役は「この機会に十分に交流を図り、両市とも協力し合って頑張っていければ」と期待し、「両市の発展を願っている」と歓迎した。

 写真説明(上)・宮古のU―12トレセンチーム(ユニホーム白)と室蘭市選抜チームがサッカーを通して交流した=14日、平良市陸上競技場
 写真説明(下)・市役所を表敬訪問した室蘭市の新宮市長(中央)、同市議会の大久保議長(右)ら=14日、平良市役所

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平良市HP 12日から閉鎖/ハードディスクが不具合

 平良市(伊志嶺亮市長)のホームページ(HP)が今月12日から閉鎖となり、市民がインターネットを通して行政情報を入手することができなくなっている。総務課情報推進係によると年明けから庁舎内の職員パソコンの一部にウイルスが混入して10台前後が感染し、その後ウイルス駆除を実施して7日までには通常の状態に戻った。しかし、その際にホームページ用コンピューターのハードディスクにも不具合があることが確認され、12日までにHPの閉鎖となったようだ。
 同係の垣花直係長は「仕事始めからウイルス感染問題で職員のパソコンを総チェックしていたが、その中でホームページのハードディスクに不具合があること分かった。今、新しいハードディスクを取り寄せており19日ごろには再開できると思う」と説明した。
 また、平良市役所では年明け4日の仕事始めから市役所2階の職員パソコン数台がシャットダウンを繰り返しコンピューターウイルスに汚染していることが確認された。
 これについて、垣花係長は、「たぶん『サッサー』というウイルスが1台のパソコンに感染して、それが庁舎内のパソコンに広がったと思う。しかし、7日までに200台のパソコンをチェックして今は大丈夫」と話した。

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終戦60年で弔いの旅/「平和観音像の碑」建立者の武部さん家族

 太平洋戦争中に宮古島で亡くなった2000人余の御霊(みたま)の慰霊と平和の祈りを込め、1979年東平安名崎に建てられた「平和観音像」の碑。14日、同像を建てた旧日本軍兵士の武部一良さん(85)=神奈川県在住=ら家族4人が同所を訪れ手を合わせた。武部さんの宮古島弔いの旅は、8年ぶり。戦後60周年の節目に、長女の斉院志津子さん・民雄さん夫妻がプレゼントした。
 武部さんは戦時中の44年、城辺町更竹で通信の任務に当たっていた。終戦のころになると、食料が途絶え栄養失調などで、戦友12人が帰らぬ人に。33回忌の77年、埋葬した場所を掘ると遺骨が出土し、この時、「手厚く弔いたい」と思ったのが、観音像建立のきっかけだった。
 「自分も栄養失調で、体が動かずだびに付すことができなった。埋めたというより土をかけただけだった」と、60年前を振り返る武部さんの目に涙があふれた。
 碑の高さは2・5メートル。銅板の観音像は、童画家の黒崎義介さんが描き上げた。武部さんは当初、12人の慰霊を考えていたが、平和を願うシンボルにするため、観音像は12人を含め宮古島の全戦没者にささげることにした。
 宮古島では用地選定に当時、宮古市町村会事務局長だった山里正一さんが奔走した。当時の城辺町長、森田武雄さんに掛け合ったところ、戦時中、鉄血勤皇隊として武部さんらと任務に当たっていた縁もあり、町有地の提供を快諾した。
 碑は関係者の協力により、79年8月に完成し終戦記念日の15日に除幕式が行われた。
 午前11時ごろ碑前に立った武部さんらは、寒い風が吹く中、合掌。「今の平和は、多くの人の犠牲の上に成り立っている。おろかな戦争は再び起こしてはならない。これが今の日本には大事なこと」と話し、霊を弔った。
 森田さん宅を訪ねた武部さんは、戦時中の話に花を咲かせながら、旧交を温めた。

 写真説明(上)・武部さんと家族たちが碑前で手を合わせ霊を弔った=14日、東平安名崎
 写真説明(下)・武部さん(前列右)と観音像の建立を支援した森田さん(同左)、山里さん

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