200平成16  1126曜日

合併加入議案を再提案へ/下地町・29日に臨時議会

 下地町(川満省三町長)は25日、合併協議会加入へ向けた臨時会開催を告示した。前日に行われた臨時会が流会となったことから、29日に再度召集し「平良市・城辺町・伊良部町合併推進協議会への加入について」の議案を提案する。流会となった臨時会の中で「市町村合併に関する調査特別委員会」が報告した合併推進の結論を全会一致で承認したことが議会の意思に値するとして、合併推進決議案については提案しない。29日の同町臨時会で合併協加入が可決となれば、その受け入れについて平良市議会は来月7日から始まる定例会の本会議で判断する方向で調整している。また、城辺町、伊良部町の両議会は3日に臨時会を召集するよう調整していく。
 臨時会流会から一夜明けた25日午前9時、川満町長は予定していた出張を取りやめ、宮古空港に集まった出張予定の首長に対し再度、合併協議会加入に向けた臨時会を召集する意思を伝えた。午前10時ごろには合併推進協議会事務局を訪れ同様の内容について説明。閉庁時間ぎりぎりに臨時会開催を告示した。
 合併推進協議会長の伊志嶺亮平良市長は「下地町議会は合併しないとは言っていない。川満町長は29日に再提案する考えで、合併賛成議員は多いから通ると思う。合併スケジュールはぎりぎりだが、5市町村そろってやりたい」とコメントしている。
 今後の宮古地区合併スケジュールでは、来年3月末までに調印し県への申請を済ませることをめどとしている。新市の建設計画案については約3カ月程度の県との調整期間が必要であることから、来年3月の調印に間に合わせるためには年内にまとめ上げることが条件となっている。合併の枠組みが流動的なため新市建設計画の協議も事実上ストップした状態となり、予定よりずれ込んだ場合は来年3月31日の調印にも影響を与える可能性が高い。

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「県営公園の早期整備を」/宮古の市町村長らが県に要請

 【那覇支局】宮古圏域における県営広域公園の早期整備について、宮古6市町村の首長や議長ら14人の要請団は25日午前、県庁を訪れ、稲嶺恵一知事に改めて要請し、2005年度の調査費予算を強く要望した。知事に代わって対応した末吉哲・土木建築部長は「要請の趣旨は理解しており、(同公園の)必要性も認めている。今年度から調査を進めており、継続して実施していく」と理解を示し、その一方で、「三位一体の改革で財政状況が厳しい中、社会情勢を見ながら進めていく。現在実施している公共事業の進展を見て、その後の新規事業になる」との考えを示した。県は今年度から県全体の県営広域公園のあり方の検討を進めており、05年度で宮古広域公園(仮称)のあり方も検討する方針。
要請は宮古市町村会(会長・伊志嶺亮平良市長)、宮古市町村議会議長会(会長・池間青昌平良市議会議長)、沖縄宮古商工会議所(中尾英筰会頭)、宮古観光協会(藤村明憲会長)の4機関団体で行い、宮古出身県議の砂川佳一氏、奥平一夫氏も同行した。
 対応した末吉部長に対し伊志嶺市長が「宮古広域公園については、大野山林東側海岸沿いを候補地に選定し、市民参加のワークショップでの議論と宮古市町村長会議での決定を受け、隣接する自治会と主要な各団体関係者の同意も得ている。同公園整備は地域経済の活性化や観光振興に大きく寄与するものと期待している」と述べ、05年度の調査費予算を求め、要請書を手渡した。
 末吉部長は「宮古圏域は伊良部架橋も来年度は着工する方向。それと相乗効果で観光客も増えていくと予想される。三位一体改革で財政が厳しいが、真に必要な社会整備は進めていきたい。宮古圏域の情勢変化もあるので、それも見ながら(広域公園は)進めていきたい」と答えた。宮古での県営広域公園整備は沖縄振興計画にも位置づけられており、県はその実現には前向き姿勢。しかし、公園整備の補助率が50%と低率であることや三位一体改革に伴い国からの公共事業の抑制があること、他の公共事業との関連、宮古地域の市町村合併なども視野に入れ、調整しながら進める必要があるとしている。

 写真説明・末吉部長(右)に要請書を手渡した伊志嶺市長(右から2人目)と町村長、議長ら=25日、県庁

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狩俣康美(宮農3年)が初優勝/岡山国体女子ウエートリフティング

 岡山県倉敷市で22日から開催された、晴れの国おかやま国体記念杯女子ウエートリフティング競技会で、県立宮古農林高校(下地恵吉校長)の狩俣康美選手(3年)が、69キロ級でトータル177・5キロを挙げ、初優勝を果たした。また、狩俣聖美選手(2年)は53キロ級で3位に、仲間歩美選手(同)は48キロ級で4位に入る好成績を残した。
 25日、生徒らは下地校長に大会の成績を報告した。
 康美選手は初優勝に喜びひとしお。記録は思うように伸びなかったが、スナッチ77・5キロ、ジャーク100キロ、トータル177・5キロの記録を残し「全国大会では連続2位だった。初めての優勝はとてもうれしい。次は63キロ級でライバルに勝ちたい」と満面の笑み。
 聖美選手はスナッチ65キロ、ジャーク77・5キロ、トータル142・5キロを挙げ銅メダルを獲得した。4位に入った仲間選手はスナッチ55キロ、ジャーク65キロ、トータル120キロの記録だった。
 指導に当たる翁長真由美顧問は「3人とも上出来。目標の順位は超えた。みんな記録も順調に伸びうれしい限り」と笑顔を見せた。
 下地校長は「記録に向かってひたむきに練習している。3人とも競技だけでなく生活面でも他の生徒の模範になる」と話した。

 写真説明・全国初優勝を果たした狩俣康美さん(中央)、3位の狩俣聖美さん(右)、4位の仲間さん=25日、宮古農林高校

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451柱の み霊に祈り/旧日本軍歩兵第三連隊戦没者慰霊祭

 第二次世界大戦中、宮古島に守備隊として配備された旧日本軍歩兵第三連隊の戦没者のめい福を祈る慰霊祭が25日、上野村野原にある歩兵第三連隊戦没者慰霊碑で厳かに行われた。戦友や関係者らが出席し、戦争で犠牲となった451人の御霊に祈りをささげ、恒久平和への誓いを新たにした。
 慰霊祭は当時の戦友らで組織される「歩三会」(塚越邦祝代表)が主催して行われたもの。本土からは慰霊団を組んで宮古島に訪れた。
 慰霊団を代表して松井幸男さんは「この島は我が軍隊の終えんの地。祖国の勝利を願って散華された451人の英霊に慰霊の言葉をささげたい。心安らかにお眠りください」と弔辞を述べた。
 上野村の川田正一村長(代読・垣花義一助役)、航空自衛隊宮古島分屯基地の大田曉司令がそれぞれ哀悼の意を表した。
 歩兵第三連隊は1874年に創立。主に関東出身者で組織され、1944年に守備隊として来島。上野村、下地町の防衛や、飛行場構築などの任務に就いていたという。

 写真説明・戦友らが参列し、御霊に焼香した=25日、上野村の歩兵第三連隊戦没者慰霊碑

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「サシバ」「方言」テーマに熱弁/伊良部町・

中高一貫で3校合同学習発表会

 中高一貫教育を実施している県立伊良部高校(比屋根充校長、生徒数200人)、伊良部町立伊良部中学校(下地玄幸校長、同94人)、同町立佐良浜中学校(平敷善盛校長、同130人)の3校合同学習発表会(主催・中高一貫推進協議会)が25日午後、町内の中央公民館で開かれた。
 舞台発表の部では中・高生6人が登壇し、それぞれの立場から熱弁をふるった。
 同教育が実施されて今年で3年目。3校の生徒らが一堂に会し、日ごろの学習の成果を発表し、さらなる学習向上を目指すのが狙い。
弁士6人のうち、元長貢紀君(伊良部中1年)は「サシバの保護は今僕たちが」のタイトルで発表した。
 元長君は、毎年10月の寒露前後に飛来する国際保護鳥のサシバが減少していることを憂慮した上で「僕たちの島は、サシバ、人間にとってかけがえのない島。サシバと共生する美しい島づくりを目指し、サシバを見守りながら自然保護に取り組みたい」と訴えた。
 山口優子さん(佐良浜中3年)は「島からのメッセージ」の題で熱弁をふるった。
 山口さんは、「健常者の私が人から『カタパ』と呼ばれ、島と方言が嫌になった。『カタパ』は障害者を指し、野蛮な言葉」と話し、立ち直るまでの経緯を説明した。その上で「おじいとおばあから『ズミ』という方言を教わった時、素晴らしい方言と感動した。『ズミ』には『とてもそう快な気分だった。最高の気分』の意味がある。これからはこの島の『ズミな人』をもっと知りたい」と話し、「カタパ」方言から落ち込んでいた心が「ズミ」の方言で心が癒やされたことを訴えた。
 次いでパフォーマンス部が行われ、生徒たちは創作ダンスや合唱などを披露した。

 写真説明・弁士1人ひとりが熱弁をふるった=25日、伊良部町中央公民館

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