200平成16  10 31曜日

大川(ウプカー)50年ぶりに現る/石積み、完全な形

 建造された年代は定かではないが、文献によると1717年に一度補修されている「大川」(平良市西仲宗根)が30日、平良市教育委員会の発掘作業で40―50年ぶりに完全な形で姿を現した。石積みの大川は建造当時、牛馬の用水所として活用されてきたという。形は楕円形で最大の直径は20メートルにも及ぶ。深さは 2・5−3メートルあり、過去に県内で発掘されている牛馬の用水所としては最大規模の大きさだという。市文化財審議会の友利恵勇会長は「一級品の史跡」と評価。「当時の建造技術の高さに驚くばかり」と話した。同審議会は近く文化財の指定に向けて協議する。

 発掘された大川は「大和井」の周辺に建造されており、1950年代の半ばには審議会の友利会長らが幼いころに確認している。このため同年代以降に大川は地中に埋もれたものとみられる。埋もれた原因として挙げられるのは水道の普及と土砂の流出。水道が普及したために大川の使用頻度が激減し、その後の土砂の流出などで大川は人知れず地中に埋もれたことが推測される。85年には市総合博物館の砂川玄正館長が石積みの一部を確認し、市文化財の指定リストに加えたが、その後この部分も地中に埋もれてしまったため、大川は長年の間、完全に姿を消していた。
 今年に入って市の事業で大川の掘り起こしを計画。今月中旬から発掘を始め、重機で掘り起こした結果、巨大な大川が姿を現した。楕円形の石積みは下方に大きな石が積まれ、上方になるにつれて小さな石が積まれている設計で、当時の建造技術の高さをうかがわせている。内部には牛馬が下りやすいように石積みのスロープがあり、さらには人が同時に使用できるように石の仕切りも設けられている。大川には今も水がわき出ている。
 30日午後、市教委や文化財審議会のメンバーが現場を視察。参加者は壮大な史跡を目の前に驚きの声を上げていた。同審議会の友利会長は建造様式が大和井(掘られた年代は定かでない)と酷似していることから「同年代に建造されたのではないか」と推測。「人が洗濯で利用したと思われる突起した石もそのまま残されており非常に貴重な史跡だ。大川は島の歴史を語る大事な文化財なので、今後は土砂の流出を防ぐための定期的な調査が必要だ」と話した。
 市総合博物館の砂川館長は「およそ300年前のものが目の前に現れて感動している。規模も大きいし当時の建造技術のレベルの高さにも驚いている」と関心した様子で話していた。
 大川に関する文献はほとんどなく、唯一記されているのが1727年に宮古から琉球王府に報告された「雍正旧記」。それによると「大川、掘った年代は分からない。長年の間に大破したので、康煕56年(1717年)に補修した。牛馬の用水所である」とだけある。

 写真説明・40−50年ぶりに姿を現した大川=30日、平良市西仲宗根

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クイチャーで結束深める/東京で「ふるさとまつり」

 【東京で福里賢矢記者】第31回関東ふるさとまつり(主催・宮古市町村会、関東宮古郷友連合会)が30日、東京都新宿区内のホテルで開催された。関東在住で遠いふるさとに思いをはせる宮古出身者らが一堂に会し、宮古から参加した行政や経済、観光関係者とともに泡盛を酌み交わしながら互いに近況を語り合った。フィナーレには響きわたる三線の音色に合わせてクイチャーを踊り、互いの今後の発展に期待を寄せた。
 会場は互いを懐かしむ声と笑顔であふれた。出席者たちはそれぞれの出身地や出身校、現況などを報告し合い歓談を楽しんだ。
 あいさつに立った同郷友連合会の大山芳男会長は宮古からの一行を歓迎し、「楽しいイベントにすることを心掛けて計画してきた。和やかな楽しいまつりにしましょう」と呼び掛けた。
 宮古市町村会長の伊志嶺亮平良市長は平良市、城辺町、伊良部町、上野村が市町村合併に向け取り組んでいることを紹介し、「合併しても(市町村の)名前は残り、文化も脈々と受け継がれる。皆様が誇れるような島づくりを目指して頑張ります」と述べた。
 会場には泡盛も用意され、至る所で乾杯のあいさつが聞かれた。島の酒を酌み交わし、遠く離れた故郷の話に花を咲かせた。平良市出身の砂川徳仁さん(30)は「宮古出身者がみんな集まれるこのまつりは良いイベントだと思う。自分たち若手も見習い、受け継いでいきたい」と感想。伊良部町出身の新里博さん(80)は「まつりはふるさとに触れる良い機会です」と笑顔を見せた。

 写真説明・出席者全員でクイチャーを踊り、ふるさと宮古への思いを新たにした=30日、東京・新宿の京王プラザホテル

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感性豊かな作品ずらり/平良市民総合文化祭が開幕

 「創造する市民の文化」をスローガンに、第31回平良市民総合文化祭(主催・平良市、同市教育委員会、同市文化協会)の児童・生徒の部が30日、平良市中央公民館を主会場に開幕した。絵画や書道、短歌や作文、工作などの感性豊かな作品がずらりと並び、訪れる人の目を楽しませている。展示は「文化の日」の11月3日まで。きょう31日は午後3時から西原地区公民館で郷土の民話大会が行われるほか、11月2日は、午後2時からマティダ市民劇場で高校生の主張大会、同3日には午前10時から音楽祭が同劇場で、それぞれ開催される。
 展示は中央公民館一階に美術展と書道展、同2階に短歌や作文などの文芸展と「科学工作・研究・一般工作・総合学習展」が行われている。美術展では色とりどりの絵画に混じり、版画の作品も。科学工作・研究・一般工作・総合学習展では、児童・生徒たちの独創的な作品が所狭しと展示されている。会場には朝から親子連れらが訪れ、数多くの力作にじっくりと見入っていた。展示の表彰式は3日、マティダ市民劇場で行われる。「書道」「美術」「科学工作・研究・一般工作・総合学習」「詩」「短歌」「俳句」「作文」の各部門で、市長賞、優秀賞、優良賞、佳作の計490点が表彰を受ける。

 写真説明・ずらりと並んだ作品に見入る来場者=30日、平良市中央公民館

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海の楽しさ味わう/バリアフリーダイビング

 身体障害者の人にも宮古の海を楽しんでもらおうと、第3回宮古島バリアフリー体験ダイビング(主催・平良市社会福祉協議会)が30日、県立翔南高校潜水プールや伊良部島近海で開かれた。身体に障害を持つ参加者ら8人はプールで練習を積んだ後、ボランティアに支えられ恐る恐る海の中に足を踏み入れ、海の美しさやダイビングの楽しさを味わった。
 午前中は同校潜水プールでトレーニングを実施。耳抜きや呼吸法など基礎的な技術や知識について学び、午後のダイビングに備えた。
 ボランティアにはダイビングショップスタッフ、高校生、看護師ら約60人が集まり、安全に万全を期した。
 高校生ボランティアは陸上でダイビングをしっかりサポート。水から上がった参加者らの体調を気遣い「大丈夫ですか」と声を掛け、着替えの手伝いや飲み物の準備を行った。
 初参加の平良玄忠さんは「耳抜きをもう少し練習して、7メートルまで潜りたい。午後に海に出るのが楽しみ。早く潜りたくてわくわくしている」と喜んでいた。
 また、昨年に続き2回目の参加になる伊良部博文さんは「最初は少し怖かったけど、楽しかった。昨年は海の中で見た魚に感動した。今回も楽しみ」と笑顔だった。
 午後には下地島のダイビングポイント「中之島チャネル」に移動。約2時間のダイビングやシュノーケリングを体験し、宮古の海や魚など自然の美しさを楽しんだ。

 写真説明・プールに入りボランティアの説明を受ける参加者=30日、県立翔南高校潜水プール

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「ウィンディまいばま」一時閉店/下地町与那覇

 下地町与那覇前浜にある「ウインディまいばま」と「ふれあいの前浜海浜広場」の管理運営を同町から委託されている真榮城幸之助さん(29)が、任期満了を待たずに今年いっぱいで契約を終了する。ウインディまいばまはきょう31日をもって営業を中止し、次期の運営者が決まるまで一時閉店する。
 今回の閉店について真榮城さんは「これまで培った経験を宮古島のために生かせる場に行きたいと思った。23歳という若さで採用し、これまで協力してくださった多くの方々にお礼を言いたい」と述べ、同施設を利用した地元住民や観光客、関係者らに深い感謝の意を表した。
 真榮城さんは1999年に同町と管理運営の委託契約をし、ビーチプロデューサーとして年間を通じてビーチを活用できるような取り組みを展開。ビーチバレーやウインドサーフィン、ジェットスキーなど全国規模の大会を誘致したほか、スキージャンプや野球、バレーボールなどの合宿誘致を進め、オリンピック代表選手など数々の有名なスポーツ選手にも宮古島をアピールした。またライフセーバー講習にも力を入れ、全国のビーチに普及させた。前浜ビーチはCMや映画の撮影地、観光地として年間20万人が訪れるようになり、雑誌「海と島の旅」の読者投票では海外を含め9位にランクインするなど全国的に有名なビーチとして名をはせている。
 ウインディまいばまは93年に完成。当初は運営が軌道に乗らなかったため同町は条例改正を行い、施設使用業者選定委員会を発足させ、将来的な展望などから初の民間人として真榮城さんへの委託を決定した。

 写真説明・真榮城幸之助さん

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