戦後59年。今年も沖縄は全戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。夏の強い日差しが照りつけ沖縄地方の梅雨明けとなった23日、県内各地で慰霊祭がしめやかに行われ、戦後求め続けてきた恒久平和の思いをあらためて心に深く刻み込むとともに戦争で亡くなった多くの人たちのみ霊を慰めた。平良市では下里(馬場)にある平良市慰霊之塔で同市遺族会(川満俊夫会長)による慰霊祭「第50回平良市戦没者追悼式」が行われ、祭られている608柱のみ霊を追悼した。
正午前から行われた平良市の慰霊祭には遺族会をはじめ、伊志嶺亮市長、池間青昌市議会議長らが参列。正午の時報に合わせて全員で黙とうをささげた。
あいさつで川満会長は「59年前の廃墟から日本も立ち直った。私たちが住む平良市も経済、文化など各方面で発展して住み良いまちになった。戦争で亡くなられたたくさんの人の犠牲を無駄にしないためにも平和な社会がこれからも続くよう頑張っていきたい」と述べた。
追悼の言葉では伊志嶺市長が「時代が移り変わってもあの忌まわしい戦争の記憶は深く残っている。今の世界情勢は紛争や戦争で罪のない多くの一般の人たちが犠牲になっている。悲惨な戦争が二度と起こらないよう21世紀は世界の恒久平和を願いたい」とあいさつした。
続いて、池間市議会議長らがあいさつに立ち、戦争という悲惨な歴史を経験しながらも強い意志と勇気を持って郷土の発展に尽力してきた遺族らに敬意を表した。
そのほか、式では一般参加者が焼香を行い、平和な世界を願うとともに悲惨な戦争を繰り返してはいけないとの思いを胸に、み霊に祈りをささげた。
太平洋戦争・沖縄戦が終結して59年。沖縄戦では、80日もの地上戦で一般住民を巻き込み約20万人の犠牲者を出した。戦争を知らない世代が増えるとともに遺族の高齢化が進む中、来年は戦後60年目の節目となる。背中を丸めながら焼香する遺族の姿は時の流れを感じさせ悲惨さも時間とともに風化しつつある。
写真説明・終戦から59年目の「慰霊の日」。参列者の数も年々減少しているが遺族の悲しみは今も変わらない=23日正午過ぎ、平良市慰霊之塔
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