200平成16  13曜日

「生産と環境保全の調和を」農林水産バイオリサイクルシンポ

 NPO法人亜熱帯バイオマス利用研究センター主催の農林水産バイオリサイクル研究・宮古シンポジウム「宮古島におけるバイオマス循環システム構築および実証に関する研究」が12日、県宮古支庁2階会議室で開催され、宮古島におけるバイオマス(生物資源)の総合的な活用方法などについて学識経験者らがそれぞれの分野別に講演。また、県や各市町村の担当者ら参加者を交えてサトウキビを中心とした宮古における循環型社会の構築について意見を交換し合った。

 シンポジウムでは農業工学研究所の凌祥之農地整備部畑整備研究室長が「宮古島における農林水産バイオリサイクル研究の概要」をテーマに講話。
 凌室長は宮古島におけるバイオマス利活用と循環システム構築について、サトウキビの搾りかす(バガス)および畜産排せつ物(牛ふん)を中心に有機性資源のリサイクル施設を島内に設置して、再資源化を図り農地に還元するシステムを説明した上で「この研究は亜熱帯に位置する島嶼閉鎖環境のもとで持続的な物質循環システムを構築するもので国内はもちろんのこと環太平洋に位置する海外島嶼部への国際的な技術発信も期待される」と述べた。
 また、東京農業大学宮古亜熱帯農場の中西康博助教授は「地下水保全に関する宮古地域の特殊性について」、宮古農林高校の前里和洋教諭は「土壌バイオマス活用と地下水保全」のテーマでそれぞれ講話した。
 シンポジウムでは、宮古島におけるバイオマスの利活用についてサトウキビを中心としたバイオマスを総合的に活用することがCO2排出量の削減と永久固定化につながり、さらに地下水保全および土壌環境の保全にも有効であることが示された。
 参加者たちは宮古の現状とバイオマス利活用による今後の展望についての説明に真剣な表情で聞き入り、環境保全型の新しい宮古農業のあり方について学んだ。
 国内では地球温暖化防止策として「バイオマス・ニッポン総合戦略」を展開。その中で沖縄では昨年11月に日本有機資源協会主催で行われた「沖縄バイオマスシンポジウム」の中で農林水産省の農林水産バイオリサイクル研究において、「宮古島におけるバイオマス循環システムの構築および実証に関する研究」が2004年度から3年間の事業として新しく採択されている。

 バイオマスとは 「生物資源」という意味で、具体的には廃棄物(有機物)や植物(栽培物)を燃料にして取り出すエネルギー。たき火に使うまきなど木材資源やサトウキビの搾りかす(バガス)なども対象となる。こうした資源は産業革命でもたらされた石油・天然ガスの発見から次第に利用されなくなった。しかし、利用しやすい石油や石炭などはいつかはなくなる限られた資源であり、便利さの半面、環境問題を引き起こす原因ともいわれ、近年バイオマスの利活用が注目されている。

 写真説明・各市町村担当者らが参加してバイオマスを活用した環境保全、循環型社会について学んだ=12日、県宮古支庁

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ごみ収集時の指導8000件余/平良市 03年度・正しい分別まだまだ

 平良市生活環境課のまとめによると、「分別されていない」「収集日が違う」などの理由でごみ収集時にステッカーや口頭による指導を受けた件数は2003年度で8075件に上り、前年度より915件も増えていることが分かった。基本的なルールが守られていない現状が浮き彫りとなり、同課では「特にごみの分別方法と収集日は守ってほしい」と強く呼び掛けている。

 ルールが守られていないこれらのごみについては、ステッカーを張ったり口頭で指導したりしている。今回のまとめによると昨年度、1カ月平均で約670件にも上っている。
 平良市で現在の分別形態になったのは1998年。住民には分別の意識は徐々に定着しつつある。その一方で、紙くずや生ゴミなどの「燃やせるごみ」にペットボトルやプラスチックトレーなど「資源ごみ」が混ざった、いわゆる「混合ごみ」が後を絶たない。
 また、収集日は地域ごとに決められているが、特に集合住宅などでは曜日に関係なく収集場所にごみが置かれている所が目立つ。このほか自己搬入すべき粗大ごみが収集場所に出されている場合もある。
 今回のまとめは平良市のみの数字だが、他町村でも同様の状況はあるものとみられる。
 同課は▽ごみは正しく分別する▽収集日の8時30分までに出す▽粗大ごみは自己搬入する▽ステッカーが張られていた場合は正しく分別し直す―など基本的な事項の徹底を呼び掛ける。
 その上で、ごみが正しく出されなければ周辺の環境悪化にもつながるとし、「正しい分別によってごみの再資源化(リサイクル)もしやすくなる。環境保全のためにも協力してほしい」と話している。
 現在、宮古清掃施設組合に加入している平良市を含めた5市町村では、「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」「資源ごみ」「粗大ごみ」に大別している。このうち資源ごみは、▽ペットボトル▽紙パック▽トレー▽危険ごみ(刃物、陶器など)▽有害ごみ(蛍光灯など)▽その他(弁当箱など)▽古紙類(新聞紙など)―の7種類に、燃やせないごみは、▽カン・金属類▽びん類―の2種類で、計11種類の分別となっている。

 写真説明・正しく分別されておらず、ステッカーを張られたごみ=平良市

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棚原の叙勲たたえる/宮古郡剣道連盟・関係者 大勢集まり祝賀

 瑞宝小綬章を受章した棚原恵教氏(77)=平良市出身=の栄誉をたたえようと、宮古郡剣道連盟(大浦辰夫会長)は12日、平良市内のホテルで瑞宝小綬章叙勲祝賀会を開いた。祝賀会には大勢の関係者が集まり、棚原氏の受章の喜びを分かち合うとともに、今後のさらなる活躍に祈念した。棚原氏は「中学に始めた剣道が役に立った。環境、健康に恵まれここまでこれた。剣道範士になれたのも皆さんに相手してもらったおかげ。受章を盛大に祝ってもらい感謝の言葉もない。今後も元気に頑張りたい」と喜びを語った。
 主催者を代表して大浦会長は「警察職を37年歴任した功績が認められた。各団体、各機関から大勢の皆さんが集まり、棚原先生の受章を祝うことができてうれしい」とあいさつした。
 伊志嶺亮平良市長は「受章は先生が沖縄だけでなく日本で重要な存在であることの証し。今後も沖縄の剣道を引っ張ってほしい」、伊波盛春宮古警察署長は「沖縄の警察官で剣道範士8段である先生の指導を受けていない人はいない。指導を通して豊かな人間性をはぐくんだ。先生の功績が認められ大変誇りに思う」とそれぞれ祝辞を述べた。
 棚原恵教(たなはら・けいきょう) 1927(昭和2)年3月5日生まれ。46年、琉球警察官拝命。県警本部防小課長、普天間警察署長、那覇警察署長を歴任後、83年に同署を退職。88年に8段取得、93年に範士称号受領。国民体育大会剣道競技24回出場。87年に宮古体育協会優秀選手賞受賞。県剣道連盟会長などを経て現在は同連盟顧問。毎月1回は宮古郡剣道連盟で指導を行う。

 写真説明(上)・大勢の関係者が集い棚原氏の受章を盛大に祝った=12日、共和ホテル別館
 写真説明(下)・瑞宝小綬章を受章した棚原恵教氏

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南九州大会へ意欲/高校陸上・宮高、宮工から7人出場へ

 5月29日から今月1日まで県総合運動公園陸上競技場で行われた高校総体県予選陸上競技で、宮古高校と宮古工業から出場した計7人が6位以内に入り、今月17日からの南九州大会への出場を決めた。南九州大会で6位に入れば全国大会への出場が決まるとあって、選手たちも練習に熱が入っている。
 同大会に出場するのは、男子が砂川仁志(宮高3年、走幅跳)、本村しのぶ(同2年、走高跳)、村吉貴光(同)、与那嶺恭兵(同、1500メートル)、砂川真一(宮工3年、円盤投)、友利隼人(同、110メートル障害)の6人と、女子が砂川都穂子(宮高2年、走幅跳)の計7人。両校の選手らは毎日合同で平良市陸上競技場を使ってトレーニングを積んでいる。間近に控えた大会にピークを合わせるため、調整に入っている段階だ。
 県大会では、円盤投げの砂川真一は1位と9センチ差の41メートル04で2位、110メートル障害の友利は1位と0・03秒差の15秒93で2位。いずれも自己記録を更新したが、2人ともまだまだ記録を狙えると満足していない。南九州大会でも上位に入る力を持っている。砂川は「集中力を高めて、43メートルぐらい投げたい。狙うは表彰台」と全国を視野に入れる。友利は「県大会は最後の粘りが足りなかった。南九州では表彰台を目指す」と力を込めた。
 走幅跳びの砂川仁志は「目標は7メートル。調整はできている。気持ちで負けないようにしたい」と静かに語った。走高跳びの本村は「自己記録(1メートル80)を更新して、6位以内に入る」、村吉は「自己ベストの1メートル85を跳んで、悔いのない大会にしたい」とそれぞれ話した。
 女子で1人だけ南九州行きを決めた走幅跳びの砂川都穂子は「調子は上がっている。まずは自分の記録(5メートル30)を越えること」と目標を定めた。
 長距離では唯一の出場となる1500メートルの与那嶺は「自己記録(4分07秒2)を破って、3分台を目指す」と意気込んだ。
 指導者の1人、宮工の山原茂人教諭は「どの選手も1日平均4時間、人並み以上の練習はやってきている。大会が楽しみだ」と期待を込めた。

 写真説明・南九州大会に出場する(前列左から)友利、砂川仁志、砂川真一、砂川都穂子、(後列左から)村吉、与那嶺、本村の7人=12日、平良市陸上競技場 

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「役立つこと吸収した」/宮高生徒・台湾交流団が帰国

 台湾復興高級中学校との姉妹校交流を終えた県立宮古高校(狩俣幸夫校長)交流団の生徒10人は12日、5泊6日の日程を終えて帰島した。生徒たちは今月7日に出発、台湾の生徒の自宅にホームステイをしながら親ぼくを深め、授業や交流会などに参加してたくさんの思い出を胸に刻んだ。
 生徒たちが帰島すると、空港では「お帰りなさい」と書かれた手作りの横断幕を掲げた父母らが出迎え、約1週間の国際交流を経験したわが子の成長を喜んだ。
 交流団を代表して、佐久本恵実さん(2年)は「台湾で得たものや感じたことはそれぞれ違うと思うが、将来に役立つたくさんのことを吸収できた」と感想を話し、引率の教諭や出迎えの父母らに感謝した。
 また父母代表の佐久本恵子さんは「生活や文化面でいろいろな違いがあったと思う。これから土産話を聞くのが楽しみ」と話し、生徒たちを笑顔で迎えた。
 台湾では、絣(かすり)の着物をまとい、三線に合わせて踊りを披露。台湾の生徒たちはダンスを発表して楽しく交流したという。
 両校の交流は今年で5年目。今冬には、復興高級中の生徒たちが来島する予定になっている。

 写真説明・手作りの横断幕を持った父母らが生徒たちを出迎えた=12日、宮古空港

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