任期満了に伴う第9回県議会議員選挙は6日投票、即日開票された。平良市区(定数1)では革新系無所属の新人で前市議会議員の奥平一夫氏(54)=民主、社民、共産、社大推薦=が、自民党現職の坂井民二氏(54)と保守系無所属の新人で前市議会議員の嵩原弘氏(49)=公明推薦=を破り、初当選。4年ぶりに革新議席を奪還した。保守陣営は2年前の市長選挙同様、分裂選挙となり、そのあおりを受けた形で議席を失った。宮古郡区(定数1)は自民党公認の現職、砂川佳一氏(60)=公明推薦=が、保守系無所属の新人で前城辺町教育委員の下地一美氏(52)、同じく保守系無所属の新人で前上野村助役、西里秀徳氏(61)を退け、2回目の当選を果たした。当日有権者数は平良市区が2万5908人、宮古郡区が1万6706人。投票率は平良市区が72・97%、宮古郡区は86・81%だった。
投票は午前7時から一斉に始まり平良市区は午後8時(大神島、宮古南静園は時間繰り上げ)、宮古郡区は午後6時まで行われた。平良市区は午後9時から北小体育館で開票作業が始まり、午後10時18分ごろには大勢が判明、奥平氏の初当選が決まった。宮古郡区は午後8時から5町村の開票所でそれぞれ開票が行われ、午後9時すぎには砂川氏の再選が判明した。
平良市区で初当選を果たした奥平氏は出馬表明が4月後半になってからと出遅れたが、革新市政の伊志嶺亮市長の後援会を軸に、従来の革新支持層、本人地盤の北学区などで堅調な戦いぶりを展開、得票を伸ばした。2年前の市長選挙同様、3つどもえとなったが、「下地島空港・宮古空港の軍事利用反対」など平和問題を全面に掲げ、他候補との違いを鮮明に打ち出す戦略が、従来の革新支持層をまとめ上げる原動力となった。加えて環境問題、教育、子育て支援など市議3期11年の取り組みが幅広い支持を集めた。
再選を目指した坂井氏は4年間の実績を強調し、また保守系市議団の多数の支持を受けたが、保守陣営の分裂がもろに響き、得票が頭打ちとなった。「反自公」勢力と革新勢力の一部への浸透を図ったが、広がらなかった。嵩原氏は1級建築士としての経験に基づいた住み良い街づくりの推進や農漁業振興などを掲げながら、稲嶺県政や県選出の自民党国会議員とのパイプを強調。自公路線を支持する保守勢力と公明の支援を受けたが届かなかった。保守陣営は2年前の市長選挙での分裂以来、「自公」対「反自公」の対立構図を引きずり修復困難な状況。支持層にも分裂ムードが漂い、雰囲気が盛り上がらなかった。
宮古郡区で再選を果たした砂川氏は自民党公認で公明の推薦を受ける「県政与党候補」をアピール。「県政と同一歩調で施策が進められる」と強調しながら、農業振興や観光産業振興などを訴えた。上野村を除く4町村長と5町村議長の支持を取り付け、組織力を生かした選挙戦を展開。地元の城辺町を押さえ、混戦が予想された大票田伊良部町で当局支持層の分散を最小限に食い止めた。
下地氏は「党利党略に縛られない政治」をキャッチフレーズに掲げ、地元城辺町の革新勢力や伊良部町の反当局勢力に支持を広げたが、最終的には届かなかった。西里氏は地下ダム建設に大きく携わった経験などから、「農漁業が元気になれば、宮古が元気になる」と農漁業を軸にした振興策を訴えた。上野村で圧倒したが、他町村で広がらなかった。
奥平 一夫氏(おくひら・かずお) 1949(昭和24)年7月20日生まれ。54歳。平良市東仲宗根出身。沖縄大学卒。写真館代表。93年平良市議初当選、連続3回当選。同議会副議長歴任。04年県議初当選。
砂川 佳一氏(すながわ・よしかず) 1943(昭和18)年8月1日生まれ。60歳。城辺町砂川出身。八幡大学卒。酒造会社代表。宮古青年会議所理事長などを経て、2000年県議選初当選、04年再選。
写真説明(上)・4年ぶりの革新議席奪還を支持者らとバンザイで喜ぶ奥平氏(前列中央)=6日午後10時半、平良市西里の奥平氏選対本部事務所
写真説明(下)・2期目の再選を果たしバンザイする砂川氏(前列中央)=6日午後9時半、城辺町砂川の砂川氏選対本部事務所
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