200平成1 6  14 曜日

「徳州会」「宮古リハビリ」が増床申請/医師会病院の断念受け

 宮古地区医師会が上野村野原に計画していた宮古地区医師会病院(仮称)の建設を断念していたことが、分かった。これを受け、県の保健医療計画に基づく病床数の範囲で、宮古島徳洲会病院と宮古島リハビリ温泉病院が今年2月に、県に増床申請をしている。県は2の申請について県医療審議会に諮問を行うことになるが県の担当課は「今後の動きについては話せない」と慎重だ。

 宮古地区における病床数については県の保健医療計画によって割り当てられる。1996年に中部徳洲会が宮古島での総合救急病院建設を計画。当時の宮古地区の病床割り当て数は575床。県立宮古病院など既存の病床数を除くと124床あり、中部徳洲会はその残床すべてで病院建設の許可申請を行った。
 中部徳洲会は24時間体制の救急病院建設としたが、これに宮古地区医師会が反発。「行政と一体となった医療・保健・福祉が連携できる老人病院」の建設計画を打ち出して激しく対立した。申請に対し県は97年12月、病床数を折半し双方に病院開設許可を出した。
 中部徳洲会は割り当てられた55床で2000年4月、平良市松原に宮古島徳洲会病院をオープンさせた。
 一方、宮古地区医師会は上野村野原に用地を確保し、着工を目指した。しかし病院建設は病床数100床で計画しており、折半された54床での運営は困難としていた。99年に県が宮古地区医師会に100床の病院建設を許可したが、折半した54床だけを保険医療機関として認め、残りは自費診療で健康保険が使用できないとの条件を付けたため、計画が前に進まなかった。
 結局、宮古地区医師会は昨年8月に「宮古地区医師会病院開設許可申請」を取り下げた。99年の県保健医療計画の見直しに伴い宮古地区の割り当て病床数は589床となった。また、保健医療制度の変更などで病床数に変動があり、宮古地区医師会が取り下げた後に空きとなった病床数は46床となっている。
 県は今年2月中旬、空きとなった病床数に対し、宮古島徳洲会病院と宮古島リハビリ温泉病院から増床の申請があったことを、宮古地区医師会に文書で通知。仮に再度、建設許可申請を行う期限を2月27日までとしたが、許可申請は出されなかった。
 宮古地区医師会の中村貢会長は経緯を認めた上で「(病床数折半で許可した当時の)県の考え方をあらためて問いたい。宮古の医療に関して県がどう判断したのか、当時の行政トップから意見を聞きたい」と話し、加えて「医師会は宮古の医療について、これからどうあるべきか真剣に考えてきた。当時の行政トップの判断が理解できない」と強調した。

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公明 嵩原を推薦/県議選・平良市区で「自公体制」崩れる

 6月6日に投開票が行われる県議会議員選挙の平良市区で公明党県本部は13日、すでに同区で出馬表明している現職市議の嵩原弘氏(49)に推薦状を交付した。一方、自民党県連は同日、二次公認・推薦について審議し、同区は現職の坂井民二氏(54)の公認のみとし、嵩原氏の推薦要請を却下した。保守系分裂に加え、自公対立の構図となったことを受け、今後革新系の動向も注目されている。

 嵩原氏に対する推薦状付与式は平良市西里にある同氏の選対事務所で行われ、公明党県本部宮古支部連合会の富浜浩会長から推薦状が手渡された。
 嵩原氏は「自民党県連から推薦は得られなかったが、県選出の保守系国会議員も応援してくれている。公明党からの推薦で十分にこの選挙は戦える」と述べた。
 同日付で後援会会長に就任した元県議の下地常政氏は自民党県連の推薦却下について「なぜ推薦できないのか県連の判断には疑問が残る」との見解を示した。また、事務局長には真栄城稔氏が就任した。
 推薦に伴う政策協定の内容としては「稲嶺県政を支える」など5項目が示された。
 2年前の市長選挙で市区保守系は分裂して激しい選挙戦を展開。現在もしこりが残っている中で革新系がこの好機に候補者を擁立すれば有利な選挙戦を展開できる見込みだが、保守系同様に市の三役人事をめぐって現在分裂状態。
 今後、革新系が候補者を擁立できるかは現在、開会中の市議会に提案されている三役人事案の判断がカギを握る。しかし、革新系市議の意思統一が図られた形で候補者を擁立できるかは微妙な状況だ。

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砂川絵理香さん(南小5年)が2種目V/全宮古小学生珠算競技大会

 第9回全宮古小学生珠算競技大会(主催・全国珠算教育連盟沖縄県支部宮古地区)が13日、JAおきなわ宮古支店大ホールで行われ、小学生、幼稚園以下の計301人が個人総合と種目別で日ごろの練習の成果を競い合った。競技の結果、砂川絵理香さん(南小5年)が個人総合と種目別読上暗算で2年連続2冠を達成するなど7人の優勝が決まった。
 開会式では金城敏範全珠連沖縄県支部長があいさつしたほか、選手を代表して新城梨子さん(下地小2年)と川満匡史君(同6年)が元気良く宣誓した。
 この日行われたのは乗算、除算、見取算、見取暗算の4種目合計を各学年ごとで競う個人総合競技と、読上算と読上暗算をそれぞれ競う種目別競技。
 児童らは真剣な表情でそろばんを弾いた。「パチパチ」「ジー」という音が会場中に響き渡った。会場には大勢の父母らが訪れ、競技の様子を見守っていた。
 個人総合と読上暗算で2年連続2冠に輝いた砂川さんは「2冠はうれしいけど、3冠を狙っていたので少し悔しい。来年こそ3冠を取れるように頑張りたい」と決意を新たにした。
 また特別表彰として、珠算10段を取得した川満惇司君(砂川中2年)と、暗算10段を達成した砂川由美子さん(平良中2年)にそれぞれ賞状が伝達された。
 閉会式で新城文良競技委員長は「どんなに忙しくても1日5分間でも勉強を続けることが大事。次の大会まで、また努力を重ねてください」と講評し、「そろばんで磨いた力を他方面でも生かしてください」と期待した。
 【個人総合競技】▽1年=平良衣知衿(平良第一)▽2年=山原知賀子(佐良浜)▽3年=砂川奈津美(南)▽4年=仲間智笑(平良第一)▽5年=砂川絵理香(南)▽6年=奥平聖紀(久松)
 【種目別競技】▽読上暗算=砂川絵理香(南小5年)▽読上算=与那覇詩子(南小4年)

 写真説明(上)・個人総合と種目別で優勝した児童たち=13日、JAおきなわ宮古支店大ホール
 写真説明(下)・集中してそろばんを弾く児童たち=13日、JAおきなわ宮古支店大ホール

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宮古で最終選考合宿/世界大学ビーチバレー向け

 6月にタイで開催される第2回世界大学ビーチバレーボール選手権大会への日本代表選手を選ぶための最終選考合宿が、下地町の前浜ビーチで12日から行われている。合宿には大学生ら男女計8人が参加。日本代表の座を懸け、しのぎを削っている。
 ユニバーシアード日本代表の古沢久雄監督は「選手はそれぞれ特徴がある。外国選手の高さに太刀打ちできる選手を見極めたい」と述べ、選手らのプレーに熱い視線を送った。
 合宿には日本ビーチバレー連盟の瀬戸山正二理事長も参加し、「トスを見てから動け」などと指導。選手たちは必死にボールに食らい付いていた。
 この合宿は3泊4日の日程で行われ、男女2人計4人が代表選手として世界大会へ派遣される。
 青木晋平選手(青山学院大卒)は「宮古は初めて。温暖で体力づくりにはちょうどいい。合宿はやったことのないメニューばかりできつい」と苦笑い。
 保立沙織選手(東京女子体育大2年)は「練習はとてもつらい。他の選手からいろいろ勉強している。良い刺激になります」と笑顔を見せていた。
 参加選手は次の皆さん。
 【男子】▽徳永仁▽青木晋平▽北村大輔▽瀬田久史
 【女子】▽由比初葵▽嶋川理恵子▽北村名都子▽保立沙織

 写真説明・ユニバーシアード日本代表を目指し合宿を行う選手たち=13日、下地町与那覇の前浜ビーチ

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今年こそ収穫を/城辺町 砂川小が田植え

 城辺町立砂川小学校(池間巌校長)の5年生19人は13日、総合学習の一環で同町浦底の町有地にある水田で田植えの体験学習を行った。同学習は今回で2回目。昨年は台風14号の影響で稲が全滅したことから児童らは1本1本に「今度は収穫できますように」と願いを込め、丁寧に稲を植えた。
 田植えは同町と交流事業を続けている新潟県板倉町の石黒忠勝助役らが児童らの指導に当たった。
 田植えに先立ち、石黒助役らから説明を受けた児童らは新潟県から取り寄せたという「こしいぶき」という品種の苗を約300平方メートルの水田に慣れた手つきで丁寧に植えた。今回植えた稲の収穫時期は6月中旬から7月上旬ごろ。それまで、除草などの管理もすべて児童らが行う。
 同校の西島秀君は「2回目だけど楽しかった」、高橋梨沙さんは「前回は台風のせいで収穫できなかったので、今度はちゃんと収穫できるようにお願いしながら植えた」とそれぞれ感想を話した。
 板倉町の石黒助役は「消費者でもある子供たちに、日本の主食である米がどのように生産されるのか学んでほしい」と語った。

 写真説明・泥だらけになりながらも楽しそうに田植え作業を体験する児童ら=13日、城辺町浦底

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