2001年12月26日水曜日
☆来年4月 海の学校(宮古伊良部分校)開講
来年4月1日の「海の学校宮古伊良部分校」開校に向け、伊良部町の浜川健町長と海の学校伊平屋本校代表の今井輝光(ひろみつ)ライフスタイル研究所スタジオ29代表取締役社長が25日午前、町役場応接室で同分校の実施に関する覚え書きを締結した。浜川町長が同分校の名誉校長に就任。新年度から農林水産業、政治、経済、教育、文化、環境、医療などの各分野で本格的な観光ガイド役を養成する。同分校が海を中心としたエコツーリズムなどの商品を開発、町が陸で体験・滞在型推進促進事業を実施し、双方が連携しながら海・陸で多彩な観光事業を展開していく。
覚え書きは第六条から成り、第3条では「伊良部分校は伊良部町内において開校し、伊良部分校を通じて、伊良部町の産業、経済、文化、環境の発展に寄与するよう努めるものとする」と実施の目的を明記。そのために、同町は▽伊良部町の観光資源及び人材の紹介と情報提供▽伊良部分校が使用可能な伊良部町営施設の貸与―などに協力することになっている。 写真説明・浜川町長(右)と今井代表が海の学校宮古伊良部分校について覚え書きを交換した=25日午前、伊良部町 |
☆反対住民 来月、糸満市視察へ/新ごみ焼却施設問題
宮古清掃施設組合議会(松川寿雄議長)の臨時会が25日午後、同施設組合内で開かれ、2001年度一般会計補正予算案を可決した。新ごみ焼却施設の用地選定作業の遅れから、ごみ焼却施設基本設計事業と環境影響調査事業の委託費を減額した。質疑の中で、建設に反対する住民らを対象にした先進地視察研修の内容も示された。期日は1月中、視察先は「糸満市の糸豊環境美化センター焼却施設を予定」としている。臨時会は午前10時に開会。砂川寛茂上野村議を副議長に決めた後、補正予算案の審議に入った。既定の歳入歳出予算の総額に歳入歳出それぞれ3億2750万2000円を増額し、歳入歳出予算総額を歳入歳出それぞれ7億7351万円とした。 歳出では、ごみ焼却施設基本設計事業委託費1228万3000円、環境影響調査事業委託費2740万円を減額した。質疑の中で、新ごみ焼却施設の候補地問題が浮上。各議員の質問に対して事務局は「予定通り進めたい」とし、候補地の西原地区、城辺町の長北地区での施設建設を強調した。 先進地視察研修内容についても質疑があった。この中で事務局は「県内では、1月中に糸満市・豊見城村清掃施設組合の糸豊環境美化センターの焼却施設を視察したい。浦添市のリサイクルプラザも予定している」と説明した。
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☆「熱帯植物園を活性化」/東京の企業が会見
平良市の熱帯植物園内に美術館やトライアスロン記念館の設立を計画している株式会社トライ(本社・東京都)の久留米裕社長らは25日、平良市役所内で記者会見し、展示品の内容や施設の建設計画などを説明した。来月に着工する予定で、4月にはオープンしたいとしている。伊志嶺亮市長は「植物園の活性化は市としても悩みの種だった」と計画を歓迎し、今後は市総合博物館などの周辺施設とタイアップさせて観光地として整備していく考えを示した。 同社の計画では熱帯植物園入り口の西側約660平方メートルに美術館とトライアスロン記念館を設置する。21日の市議会12月定例会では敷地を貸与する同意案が可決されている。 久留米社長は沖縄の自然をテーマにしたアートの制作活動を進めており、現在までに約2000点の作品を保有している。美術館では南国の花や植物、色とりどりの魚たちを描いた久留米社長の作品をベースに展示する予定。企画展なども開きたいとしている。 トライアスロン記念館には宮古島大会関連の資料や写真などを展示する。久留米社長は「トライアスロン宮古島大会が年々レベルアップしているように記念館も毎年少しずつ充実させていきたい」と話した。 伊志嶺市長は「懸案事項だった植物園の活性化につながると期待している。市では植物園から市総合博物館への通路を整備するなど観光地として一体化させていきたい」と話し、協力していく姿勢を示した。 美術館に展示する作品などはすでに搬送を開始している。来月には着工する予定、4月のオープンを目指している。オープン前の2月に市総合博物館で展覧会を開き、美術館で展示する作品を紹介する。 写真説明・会見する久留米社長(左)と妻の玲子さん=25日、平良市役所 |
☆豊見氏親の墓碑建立/伊良部町牧山公園
昔(1450年ごろ)平良と伊良部の間の海に出没し船を覆しては人命を奪い、両区間の往来をまで途絶えさせた大鱶(ふか)を退治したと伝えられる当時の伊良部の主長・豊見氏親(トヨムウズノシュ)の墓碑がこのほど建立され、同碑の開眼供養が25日、氏親が眠る牧山公園の一角で執り行われた。碑はトラパーチンに桜みかげ石の碑文を組み入れた造りで、高さは台座も含めて2.2メートル。碑には「大鱶に船ごと呑み込まれた氏親は、腹の中にあって刀で腹中をさんざん割(か)き破り、ついに大鱶を退治した」など、氏親の勇敢さをたたえる文が刻まれた。 同碑を建立したのは、氏親の直系で18代目に当たる下地方詮さんら、伊安氏(琉球王府から氏親に送られた氏性)一族同門。氏親の末裔(まつえい)たちは、宮古本島など各地に住んでいるが、墓が雑木林の中の分かりにくい場所にあり、一族の墓参りに支障をきたしていることから、墓の代わりの分かりやすい参拝所にしようと建立した。 碑に魂を入れる開眼供養では、一族同門で正法庵の下地龍峰さんが読経。この後、集まった一族が手を合わせ供養した。 碑文には「(大鱶を退治した)氏親を島民は比屋地御嶽に航海の神として奉りました。伊良部町島民を安心させたということで、のちに王府より伊安氏を賜り、子孫代々受け継がれています。大鱶を退治した刀は今も、氏親の末裔である下地家に保管され町指定文化財となっています。『伊安氏系図家譜正統』より」と明記。伊良部町教育委員会によると、同刀の長さは一尺四寸(42センチ)で、76年3月に町の文化財に指定された。 写真説明・一族同門が集って行われた墓碑の開眼供養=25日、牧山公園(写真上) |