第6集 戌年「私たちが主役」年男・年女

 二〇〇六年は戌年。今年、年男・年女になる皆さんに、
昨年の心に残る出来事や新年の抱負を語ってもらいました。
表記の年齢は、今年誕生日を迎えた時の年齢です。

将来は小学校の先生に
 宮國 美羽さん(12)・平良/1994(平成6)年5月19日生まれ
 幼稚園のころから習っている習字が得意だと言う美羽さん。昨年は習字コンクールで優良賞を受賞するなど、努力の成果が実を結んだ一年になった。「賞をもらえると、前回よりもこれだけ成長したんだなと実感できるから、コンクールにはなるべく出展しようと決めている」と意欲満々。「きれいに字が書けたとき、心もきれいになっていく気がする」と、習字の魅力を語る。
 書道に対する興味は深く、中国へ行って現地の人と肩を並べて習字を書いてくるほど。「漢字だけで気持ちを伝える中国はやっぱり、字にも歴史を感じさせる。私ももっと練習して、上手になりたい」と意気込む。
 将来は小学校の先生になるのが夢だ。「お母さんみたいに優しい先生になりたい」と、瞳を輝かせる。
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英会話に挑戦したい
 砂川 祐子さん(24)・平良/1982(昭和57)年2月23日生まれ
 昨年は幼稚園教諭として忙しい毎日を送った。
 「正直に言うと何もかもが初めてのことで、何をやっているのか分からないほど忙しかった。でも園児たちの豊かな感性には驚かされたし、自分自身のためになった」と貴重な一年であったことを強調した。
 昨年四月までは小学校の臨時教諭として働いてきたため、四月からはそのギャップを埋めるのに苦労した。
 「小学生と幼稚園児は本当に違います」と振り返り、接し方の違い一つを取っても初めての経験だったという。
 それでも「園児たちの笑顔を見ると、どんな疲れも吹っ飛んでしまった」と話し、園児たちに支えられた一年であったことに感謝した。
 今年の目標は「教員採用試験に受かること」と話す。また、「英会話に挑戦したい。一生懸命学び、自分の将来に生かしたい」と目標達成に向けての決意を語った。
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目標は仕事、子育ての充実
 友利 清政さん(36)・平良/1970(昭和45)年3月1日生まれ
 現在、宮古島市役所で秘書係に勤めている友利さん。市町村合併で忙しくなった仕事だが今年は年男。「一職員として新しい宮古島市の市民のために頑張りたい。あとは健康面、体を大事にして市長を支えますよ」と意気込む。
 プライベートでは、四歳と三歳の子の父としても奮闘中。「自分の子供たちに関しては、将来どうなってほしいとは考えていない。子供たちが病気にならずに健やかに育ってほしいと思っている。今、それだけが私の望みですね」と子供の話になると笑顔になる。節目の年を迎えるにあたっては「今年は年男なので飛躍の年にしたい。仕事、子育て面でも時間をうまく調整して、趣味の読書する時間もつくりたい」と話した。
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農家を全力で支援
 西原 輝さん(48)・多良間村/1958(昭和33)年10月23日生まれ
 宮古製糖多良間工場に勤務する西原輝さん=多良間村塩川=。「島のサトウキビが常時、二万五千d以上生産できるようにしたい」と力強く話す。「工場から出た枯れ葉を、畑に堆肥として還元すれば、おのずと反収は増加する。島全体の生産量が増加していくよう、積極的に農家に指導を行っていきたい」と新年の抱負を話した。
 工場で勤務する傍ら、西原さん自身もサトウキビを生産している。「今年は二百五十d以上の生産を目指して頑張りたい」。仕事と農業の両立に決意を示す。
 「家族が健康で笑って過ごせるような一年にしたい」と一家の大黒柱としての決意も固い。
 三人の子供へは「自分の人生、好きなことを責任を持って頑張ってほしい」と父親としてエールを送る。
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新しい人生に胸わくわく
 砂川 静江さん(60)・下地/1946(昭和21)年4月6日生まれ
 昨年六月に三十余年勤めた旧下地町役場を勧奨退職し、ゆったりと充実した時間を送っている。
 「六十歳の実感はまだないが、七十歳代の先輩いわく『六十代は人生で一番有意義な年代』とのこと。仕事を離れ、これからの生活をどういう人生にするか、二十代に戻ったようなわくわくした気分」と新しく始まった人生に胸を躍らせている。
 教育委員会事務局職員として役場入りした当時は、今とは違い沖縄振興開発特例法により国からの高率補助があったため校舎新築工事が盛んに行われ、不足していた学校備品も十分にそろえることができた。こうした中で本土との教育格差をなくしていったことが思い出だ。管内初の戸籍電算化も手掛け「職員としての集大成」と振り返る。
 地下水保全など宮古島を取り巻く課題解決を願っており、「水を汚さないための意識高揚が課題だと思う。島民が水や地下水について真剣に取り組む年になることを願う」と期待を寄せた。
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農業が何よりも一番
 下地 金徳さん(72)・下地/1934(昭和9)年9月2日生まれ
 「農業が楽しい」と笑顔を見せる下地金徳さん。サトウキビや本土へ出荷するカボチャを栽培しており、まるで我が子のように農作物を大事に育てている。「去年は台風も少なく、野菜の出来栄えも良い。製糖期とカボチャの収穫が楽しみだよ」とうきうきと収穫の時期を待っている。
 旧下地町のころから児童・民生委員を二期八年務め、担当する洲鎌部落の一人暮らし老人宅を訪問し声を掛けて安否をうかがうなどボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。「洲鎌部落の隅々まで知ることができ、知り合いも増えた。皆よろこんでくれるのでうれしい。いろいろな人と会って話をするのが健康の秘訣」と見せる笑顔からは毎日の充実ぶりがうかがえる。
 「戌年は『ユウムツ』年とよく言われる。今年も皆にとって幸の多い年であることを願っているよ」と期待を寄せた。
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仲買人が生きがい
 池原 ツネさん(84)・伊良部/1922(大正11)年10月29日生まれ
 伊良部の佐良浜漁港と平良港を結ぶ高速旅客船に乗り、平良から野菜類を中心に仕入れ、佐良浜地区の住民へ販売する仲買人。仲買人一筋で約五十年。今なお現役だ。
 池原さんは「若いころは、運搬船の『雄勝丸』や『旭丸』に乗って平良港へ行った。平良港までは片道四十分から五十分かかった」と語り「到着時間が長かったので、女性たちは民謡などを歌って踊った。とても楽しかった」と懐かしむ。
 当時の住民らは、旅客船のことを運搬船と呼んでいた。運搬船は焼き玉エンジンを搭載し、二隻は平良港まで競争したこともあった。池原さんは「一番になった運搬船のお客さんは、みんな『勝った』と喜んでいた」と笑顔で当時の光景を話す。
 池原さんは、五人(三男二女)」の子供を立派に育てた。孫は六人。ひ孫三人。
 「今は速い客船になって、便利になった。これからも頑張ります」と池原さん。
 水上往還の仲買人の仕事はまだ続く。
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新しい年も楽しく
 荷川取 マツさん(96)・下地/1910(明治43)年7月16日生まれ
 「あんまり長生きしているさー」―。九十六歳になっても、掃除、洗濯、料理と身の回りのことはすべて自分で行うというマツさん。「自分のことは何でも自分でやるよ」と、朗らかに笑う。
 マツさんは、下地字高千穂出身。マツさんが二十三歳のときに、平良出身の荷川取栄行さん(今は故人)と結婚し、八人の子供を生み、育てた。「夜、一緒に遊んだりして、三カ年ぐらいたってからかね、もう一緒になろうと言って結婚したよ」。
 三十七歳の時、第二次世界大戦も体験し、「子供を連れて防空ごうへ逃げたり、本当に怖い思いをした。戦争が終わっても食べる物もない、お金もないしで、どんなに苦労したか」と昨日のことのように思い出す。
 終戦後は、栄行さんと二人で農業に従事し、一カ年にトラック十二―三台分のサトウキビを作った。「このキビ作りで子供を大きくしたんだよ」と、八十三歳まで畑に出て、畑仕事に精を出した。
 農業から離れた今、元気の源は、週に一度のデイサービス。友達同士で一緒に遊んだり、食事をしたりと、朝から夕方まで過ごす。「これが楽しみになっているんだよ」と、目を細める。
 長寿の秘訣は「毎日遊んで過ごすこと」「野菜をたくさん食べること」とにっこり。「新しい年も、何でも面白く楽しく過ごせればいいよね」と新年の願いを託し、「子供も孫も、ひ孫たちもみんな健康で幸せでいてほしい」と、孫十八人、ひ孫十六人の幸せを祈る。
 

 
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