行雲流水

 谷崎潤一郎は自身の『文章読本』の中で「言葉は一つ一つがそれ自身生き物であり、人間が言葉を使うと同時に、言葉も人間を使うことがある」と不気味なことを書いている▼「口は災いの元」という。言葉遣い一つで快・不快が生じ、人間関係がギスギスするケースは日常茶飯事である。事によっては殺傷に至る▼歯科医の兄妹間の殺害事件は、どちらかといえば勝ち組である妹が、落ち込んでる兄に対して「どんなに頑張ってもダメよね」という相手を慮(おもんぱか)らない言葉が負け組の焦燥感を煽り、殺傷に至ったように思われる▼先般の柳沢厚労相の「女性は子を産む『機械』『装置』だ」という発言は、いくら少子化対策戦略とはいえ、あまりにも常軌を逸している。「美しい国づくり」を目指す内閣の理念との乖離(かいり)は大きすぎる。あろうことか今度は、二人以上が「健全」発言で人権軽視(無視)の失態を招き国民の不信感をあおり、窮地に追い込まれた。まさに「言葉が人を使うこと」もある▼名優チャップリンは、「チャップリンの独裁者」のラストシーンで「機械よりも、私たちに必要なものは人間性である」と訴えた。そんな『機械』に女性(人間)を例えたのだから、柳沢大臣の政治家としての見識は疑われてもしかたない▼一説には、豊かな言語能力を手に入れたことで、人は暴力というもう一つの身体言語を用いる衝動から逃れてきたという。世の乱れを寒々と感じる昨今、たかが「ものの言いよう」と侮ってはならない。「機械」論はドイツでも飛び出した。こちらは牧師の発言だから全くもって言語道断である。

(2007/03/16掲載)

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