行雲流水

 二月四日は立春。時折寒波がやって来るとはいえ、暦の上ではすでに春である▼「雪は天からの手紙である」という有名な言葉を残した、雪の研究で名高い中谷宇吉郎に「春分の日」と題するエッセーがある。それによると、春分の日には卵が立つということが昔から言われており、特に昭和二十二年にはすくなからぬ騒ぎになったという。朝日新聞は、新鋭な科学者たちが大勢集って実験をして、卵を立たせることに成功した写真を載せている。中国では、立春の機を逸せずこの実験をしてみようと、われもわれもと卵を買い集めたので、一個五十元の卵が一躍六百元にはね上がったという▼地球の回転に何か特異な現象が隠されているのではないかとか、卵の持つ生命に秘められた神秘的な力によるものではないか、などと論争が巻き起こった▼ところが、さすがは科学者、中谷宇吉郎はこの騒ぎに疑問を感じ、普通の日に実験をして「卵は立つものである」ことを立証し、その根拠を理論的に説明した。論理性と実証性を柱に問題に立ち向かう、いわゆる科学的態度と方法の典型と言えよう▼中谷は言う。卵が立たなかったのは、皆が立たないと思い込んでいたからである。人類の歴史がそういう盲点のために著しく左右されることもありうる▼ところで、最近の若者が新聞でよく読むのは「占い」の欄だと聞く。バーチャルの世界に浸っている多くの子供たちは生命がリセットできるものだと感じている。理論抜きの単純化された言葉は本質を見失わせたりもする。錯綜する盲点が社会を見えにくくしている。

(2007/02/07掲載)

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