行雲流水

 「人の命は地球より重い」、今やこの言葉は死語化していよう、それは取りも直さず「命の尊厳」が軽視されていることを意味する。いじめを苦に小学生や中学生が自殺する。それは頻発する殺人、虐待など犯罪社会の出現と無関係ではない▼まさに「命の大切さ」をいかに教えるか、わが国の根幹に関わる問題でもある。あらためて教育とは「教えること」と「育てるもの」があることを問い直さねばならない。「人を殺す、傷つける、物を盗む」などは、やってはいけないこととして幼少より強く教え込まねばならない▼価値観の多様化した社会でも決して犯してはならない理念であろう、その絶対的な理念を最近の若者は相対的にとらえ「自分には関係ないことだ、その人の自由だと」うそぶく▼万引きした子どもを警察から引き取りにきた母親が「取ってくれと言わんばかりのスーパーこそ悪い」と開き直ったという話など、母親たちも既に相対病?に感染しているようだ▼理念のない社会では人間はみんな相対的存在で、正邪善悪の規範がどんどん崩れ、親も教師も手を拱いているのが現実である。高校における必修科目の未履修問題も、「赤信号みんなで渡れば怖くない」の、全く理念のない教育観が生み出したものであろう▼「忍耐力」「困難に立ち向かう力」などを「生きる力」と言う。未履修問題の責任は取らねばならないし、その原因、学習指導要領の改善等の検討は焦眉の急だが、校長が耐える力を失って生徒たちの心をどう育てようというのだろうか。

(2006/11/10掲載)

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