行雲流水

 1950年代、沖縄では「島ぐるみ闘争」と呼ばれる土地闘争が展開された。きっかけは1956年公表された米政府に対するプライス勧告であった。勧告は軍用土地の借地料を一括払いすることで沖縄の米軍基地の長期保有を目論むものであった▼これに対して、立法院で全会一致可決された「四原則」は借地代の適正保障、米軍による損害に対する損害賠償、新規土地接収反対、借地料の一括払い反対を主張するもので、その貫徹を目指して島ぐるみの闘争が行われた▼この闘争で琉球大学学生会によるデモが行われたが、その指導者七人が米国民政府の圧力で退学などの処分になった。いわゆる「第二次琉大事件」である▼この処分までの一連の過程を記した英文の内部報告書がこの程発見された。報告書によると文芸雑誌「琉大文学」の内容を米軍が問題視し、司令部が大学に学生の処分を要求していたことが事件の発端にあった。支配者の論理で、思想と良心の自由が弾圧されていたことの何よりの証拠である▼ところで、この島ぐるみ闘争によって四原則のうち、一括払い反対と地代の適正保障は受け入れられた。絶対権力者の政策を部分的にせよ修正させたという点で住民に大きな自信を与えた。また、国の内外に沖縄問題の重要さを認識させる契機にもなった▼外国の権力に抗して「自らの未来を切り拓く」気概を持っていた県民だが、今は国民の生命と財産を守るはずの自国の政府に意思を無視され、「振興策と移設はリンクする」などと言われ屈辱感を味わっている。歴史の皮肉ということか。

(2006/09/27掲載)

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