行雲流水

 子どもの頃は物を壊して親によく叱られたものである。今風に言えば想定外の行動に走るのが子どもである。マンネリ化した大人の生活ではこうした「童心」が忘れられている。いつもの行動とは違う「逸脱」を試みることが心を新鮮にし、マンネリ化を打破するのだという▼「童心」の再発見が、われわれの「知的生活」の出発点だとはある識者の言葉だが、「子ども教室」などに携わっていると、そうしたことの発見がある▼A先生は現役の高校教師だが、アイデアに富み、子どもらを引き付ける興味ある教材を豊富に準備する。何よりも先生自身が純真である。O先生は草笛やケンダマの昔遊びを通して実に巧みに子どもたちに接する。明るい性格とそのパフォーマンスが子どもらを引き付けるのである。他の先生方もそれぞれの持ち味と興味ある手法で子どもらに接する▼子どもたちと同じ目線にたつことが子どもたちの心を捉えるのだ。それはまさに「童心」への回帰である▼懸命に実験やもの作りに熱中している子らをみると、おのずと自分自身が「童心」にかえる。あらゆるものへの好奇心が自由な想像力や表現力を生む、その原点が「童心」であると思う▼「子ども教室」などにみえる保護者は母親が圧倒的に多い、何かと多忙な父親だが、休みの日ぐらいは子どもと一緒に催しものに参加したり、遊びに興じるなどの共有の時間が如何に大切なことか、それがまた自身のマンネリ化からの脱出と再発見につながるのではなかろうか。

(2006/08/04掲載)

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