行雲流水

 コップの水の中にインクの一滴を落とすと、インクの粒子は拡散して一様な「インク水」になる。しかし、その逆、拡散したインクの粒子が特定の局所に集まることはない。インクの粒子が、それぞれ勝手に動きまわって一局所に集まる確率は拡散している場合に比べて極端に小さいからである。このように巨視的にみた自然現象は、起こりうる確率の大きい方へ移行する(エントロピー増加の法則)▼しかし、草木はばらばらにあった成分を組織して赤や黄色の花を咲かせる。拡散とは逆の方向である。このことが生命あるものの特徴であると物理学者のシュレデンガーはその著書「生命とは何か」に書き、その後の生命科学者たちに大きな影響を与えた▼ところが一九八五年、生命体でない炭素がつながってつくられた五角形十二個と六角形二十個からなるサッカーボールのような美しいナノ・サイズ(一億分の一メートル)の球体が発見されて、フラーレンと名づけられた。「組織化よりはばらばらの状態」へ移行するはずの常識に反する現象が確認されたのである▼この原子や分子の自己組織化の仕組みの解明とものづくりへ応用する技術はナノテクノロジーと呼ばれ二十一世紀の人びとの生活を大きく変えると言われている▼一メートルと一ナノメートルを比べると、地球とピンポン玉ぐらいの比率になる。肉眼でも光学顕微鏡でも見えない極微の自然の構造物と人間のつくったサッカーボールの形が似ているということは驚異である▼サッカーボールが限りなく美しく思えてくる。

(2006/06/28掲載)

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