行雲流水

 去る十八日「父の日」に娘や息子からプレゼントが届いた。三十数年前その息子が通う保育園で「父の日」の催しがあった。「父の日」の走りであったろうか。ゆっくりと休みたい折角の日曜日に余計なことするという思いが、挨拶で「毎日が父の日だから云々と…」とつい本音を切り出してしまった▼母の日も父の日も戦後アメリカからの輸入で、当時母の日は既に定着していたが、取ってつけたような父の日に違和感を覚えた▼ちなみに両日ともアメリカでは祝日である。母の日が一九〇七年に提唱され、一九一四年に祝日に、父の日は一九一〇年に提唱、一九七二年に祝日になっている。母の日が提唱から七年で祝日になっているのに対し、父の日のそれは六十二年もの歳月を要しているのは面白い▼母の日は敬慕の情が輝き美しいが、何故か父の日は父権失墜の出来事のように思えた。だが最近は年のせいか娘や息子からのプレゼントを素直に貰うほどに変貌した▼ところで子から父に贈りたい言葉の一位は「謝」で、感謝の意味もあるが「ごめんなさい」の思いも込められているという。けなげである、まだ捨てたものではない。二位が「愛」で「大きな愛で包んでくれている」という、父親よ胸をはれ。また「ずっとお母さんを愛してほしい」とのことだが、熟年離婚など、お母さんのほうから逃げて行く世の中だから約束できないのでは▼かつてのわが国は父を敬い、母を慕い、仕事で疲れた父や母の肩をたたき、背中を流し、毎日が父の日、母の日であったような気がする。

(2006/06/23掲載)

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