行雲流水

 待望の映画「えんどうの花」が上映され、駆けつけた大勢の市民に深い感動を与えた。最初に、宮良長包を育んだ原風景とも言える八重山の豊かな自然と伝統の民俗行事等の映像が映し出された。その中に、音楽に目覚めていく長包少年の姿があった▼師範学校を卒業して教師になった長包は、沖縄の地方文化が蔑視されていた時代に沖縄音楽の価値を認識し、それをベースに西洋音楽から
必要な要素をとり入れて独得な魅力をもつ美しい曲を次々に世に送る。映画では「鳩間節」や「南国の花」、「なんた浜」などが演奏され、人々を魅了した▼教師としての長包は、感性や情操を重視し、子どもの個性や自主性を尊重した。何よりも子供たちを見つめる眼差しの優しさと丁寧な指導が印象に残る。それが彼の実像であることを感化を受けた教え子たちの言葉や残された彼自身の論文が示している▼時はいわゆる大正デモクラシーの時代である。鈴木三重吉の雑誌『赤い鳥』による新しい童謡の創作運動が始まっていた。野口雨情や北原白秋、西条八十たちは、教化の手段としての歌ではなく、子どもの生活感覚に密着した芸術性の高い童謡の創作を目指していた▼そんな時、ここ沖縄にも地域に根ざした優れた音楽家が誕生していたことは幸せなことであった。その後、激動の歴史に翻弄されてきた沖縄だが、長包メロディーは深く人心に沁み入り、歌い続けられてきた▼組曲「嵐の歌・嵐の曲」は荒れ狂う嵐と嵐のあとの静けさ、再生への意志を歌う。映画のフィナーレでは、老いも若きも、男も女も声を和して「えんどうの花」を高らかに歌う。その象徴性が感動を呼ぶ。

(2006/04/05掲載)

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