行雲流水

 昨年六月長崎県佐世保市で起きた小学生女児による同級生殺害事件。被害者少女(十二歳)の首には数カ所の切り傷があり捜査員は「子どもの手口とは思えない」と息をのんだ。致命的となった傷は深さ十センチにも及んだ▼傷口はこぶしが入るほどぱっくりと割れていた。十一歳の加害者女児は警察の事情聴取に対し「数日前からどうやって殺そうかと」と明確な殺意を抱いていたと言う(「長崎新聞」)▼同年十一月十七日奈良市で帰宅途中の小学一年女児(七歳)が誘拐され翌十八日遺体となって宅地造成地脇の側溝で見つかった。容疑者として元新聞配達員の男(三十六歳)が逮捕された(「奈良新聞」)▼そしてメディアは今広島市安芸区で女児が殺害されダンボールの中に遺棄された事件や栃木県今市市の山林で女児の遺体が発見された事件について連日報道している。悲惨な事件の被害者はいずれも抵抗の術が未熟な小学一年生である▼下校途中だったことで全国的に児童生徒の通学路の見直しや安全点検が取り沙汰されている。この種の事件が起きる度に世間やメディアは狭隘な視点で教育機関の対応が主要因であるかのようにやり玉にあげる▼加害者の歪んだ心情は各界各層に氾濫している不正・テレビ娯楽番組の低質化・弱肉強食の強権政治・大儀なき他国侵攻破壊等々と直接間接無縁に育ってきたはずはない。野放図な社会風潮など総体的浄化は手つかずに対症療法的解決策に終始していては未然防止には限界があるであろう。

(2005/12/09掲載)

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