行雲流水

 沖縄では、生まれた年と同じ十二支の年をトゥシビーといい、無病息災を祈り、祝宴を開く慣わしがある。生まれ年は厄年とも言われ、いわゆるトゥシビー(生年祝い)は厄払いの意味もある。数え六十一歳の還暦と九十七歳のカジマヤーがよく知られている▼七十歳の古稀、七十七歳の喜寿、八十八歳の米寿、九十九歳の白寿はトゥシビーの系列ではない。ただ米寿(トーカチ)は古くから全国的に行われていて沖縄でもカジマヤーと並ぶ長寿祝いである▼喜(草体)・米・白の字がそれぞれ七十七、八十八、九十九をあらわすが、古稀は「人生七十歳古来稀」(杜甫)に由る。ところで、古稀を己らで祝うため、過日同期の面々がバス二台に分乗し、辺戸岬など北部観光を兼ねて、一泊二日の旅行となった▼「今帰仁御神」は美女の代名詞であるが、その由来、北山の興亡と忠孝伝説の麗人志慶真乙樽に思いを馳せる。本部町では海水面より高い丘から塩水が流れ出している塩川(スーガー)について、わが師兼島教授のサイフォン説が学会での定説とは今回初めて知る▼学生の頃、学科の同士らと鉱物採取などを兼ねて北部を訪れた。それ以来の辺戸岬に立ち、与論島を眺望しながら、北緯二十七度線による本土との隔絶の当時をしのぶ▼後年与論を訪れる機会があり、旅館の女将が大女将を「アンマー」と呼んだのにはびっくりした。沖縄本島とは目と鼻の先、うべなるかな。五十年ぶりに会う友もいて、宴の楽しさもさることながら、邂逅への思い新た。

(200510/21掲載)

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