行雲流水

 最近NHK・BS2の映画番組で成瀬巳喜男監督の「めし」や「山の音」などが上映され、モノクロなのが、かえって若き日への郷愁をさそう。小津安二郎監督の作品もそうだが、原節子の憂いに満ちた眼差しと、その品のいい物腰、何よりもその言葉の美しさに惚れ惚れする▼今の若者たちにはそのテンポは馴染めないだろうが、シニア世代にはその波長が共鳴するのだ。時代の流れとはスピード感で、それが生活様式や言葉使いをも規制していくようだ。今の若者言葉にはついていけず、美しい日本語とは縁遠いもののように思う▼しかし略語などは意外に理屈に合っている。窪園晴夫神戸大教授の論を借りるが、「真面目」を「マジ」と言うのには抵抗があるが、「気障り」を「きざ」、「ストライキ」を「スト」と言われればなるほどと思う▼「金時芋」「包丁刀」「田楽焼き」がそれぞれ「金時」「包丁」「田楽」に変わった。「むつき」を「おむつ」、「つむり」を「おつむ」、「鳴らし」を「おなら」に変化させたのは宮中の女房言葉だという▼だがここからは困難を感じる。「マクる」はスカートをまくるのではなく、マクドナルドに行く、の略。「カフェる」「モスる」はどうなる?語の後半分を残す略語もある。「(新)宿」「(アル)バイト」「(喫)茶店」「(友)達」などである。「ジュクでダチとマクる」とは?簡略しすぎで、スピード感でもあるまい▼よく言われる「ら」抜き言葉、「ミミザワリが良い」なども定着したか。ずれる日本語、美しい日本語はどこへ行く。

(2005/09/23掲載)

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