行雲流水

 「補充兵我も飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし島よ8月は地獄」。この歌は、1981年8月2日の「朝日歌壇」の第一席に選者の近藤好美により選ばれた短歌で、その年の「朝日歌壇」秀作十首にも選ばれている。作者は、戦争のとき、宮古島に駐屯した元兵士で、現在92歳、千葉県に在住する高沢義人氏である▼去る大戦で、宮古島には3万人の兵士が駐屯したが、そのうち2千数百人が、死亡している。民間人における犠牲者数は今なお不明である。被弾等によるのもあるが、大方は栄養失調と風土病マラリアによるものだった。氏はその惨状と不条理を短歌で告発し続けている▼氏は7年前、52年ぶりに当地を訪ねたときに詠んでいる「半世紀夢寐(むび)にも忘れ得ぬ戦友の墓に生き残り兵の長き慟哭」、「宮古渚の珊瑚屑踏めばざくざくと亡き戦友の呻くがごとし」▼同じように城辺の花切に駐屯、狩俣の浜から復員した一兵士は書いている。出発のとき、野原の丘に忠魂碑が白く見えた。兵隊たちは期せずして頭を下げた。今となっては帰還の喜びも知らずに散っていった三千の霊に申す言葉もなく▼6月10日、冒頭の歌の歌碑を建立するための実行委員会が結成された。この歌碑は個人の感慨を越えて、この地で戦争の悲惨さを経験したすべての人々の思い、とりわけ無念の死を遂げた人々の悲しみを語り続けることになろう▼「戦争は人の心に始まる」と言われる。戦争の体験を風化させることなく、心に平和の砦を築く私たちの決意のモニュメントとなることだろう。

(2005/06/15掲載)

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