行雲流水

 この話の導入としては大仰な言い回しだが、稲作文化を持った人々が宮古島から大きな島を求めて北上し、ついに日本列島にたどり着いたという仮説が柳田國男の「海上の道」である。この発想は氏が学生の頃(明治30年の夏)、伊良子崎で流れよる椰子の実を見たのが、そもそもの始まりであった▼それはさておき戦前の抑圧的な社会では育たなかった琉球文化だが、自由で民主的な社会の到来と共にその文化のよさが見直され全国的に拡散し始めている▼チャンプルー文化へは一種の揶揄もあろうが、ゴーヤーに代表される食材や食文化がブームとなり、今また「かりゆしウエア」が本土定着を目指している。ソフトなスタイルを求める時代や社会のニーズによるものであろう▼「海上の道」の稲作が大陸文化であったように、「かりゆしウエア」の源流もハワイのアロハであろう。だが今や「かりゆし」の名のごとく、その仕様は進化した、まさに沖縄文化なのだ▼沖縄担当大臣のきもいりで内閣府での着用がきまった「クール・ビズ」、ノーネクタイ、ノー上着をビジネスと結びつけたこの名称も省エネに配慮したよい名だが、幸せや豊かさを表す「かりゆし」のほうが時代感覚にぴったりではないか▼「お堅い」官僚らは大胆なデザインや色合いに二の足を踏んでいると聞くが、「本土仕様」などといわず、小泉総理もお気に入りの「かりゆしウエア」をお勧めしたい。宮古上布や芭蕉布は最高の素材だが高価すぎようか。だが需要あれば供給ありである。

(2005/06/03掲載)

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