行雲流水

 最近は「父性」「母性」という言葉は敬遠され、「育児性」や「親性」という言葉が使われているという。「父性」「母性」は固定的な役割分担につながるからだという。育児や家事も男女平等ということは理解できるが、「父性」「母性」の否定は行き過ぎたジェンダーフリー思想の表れではないか▼以前にもこの欄で触れたが、ジェンダーフリーは「性差別の否定」であって「性差の否定」であってはならないと思う。子どもの教育には父性・母性は不可欠であり、父性・母性を差別だということになれば家庭教育は成り立たない▼母親が父性的、父親が母性的な家庭もあろう、それはそれで一向に構わぬではないか。父性原理、母性原理という言葉で言い換えてもいいのだが、なんともぎすぎすして味気ない。ところで「親性」という言葉は広辞苑や他の辞書を探しても見つからないから造語であろう。どこかに無理があるような気がするのだ▼全国紙毎日新聞の「余録」(本紙にも転載)に述べられた痴漢防止・女性専用車両についての見解に共感した。以前からこのことに疑問を持っていたが、これはまさに男性差別でもある▼また女性専用車両ができたことで、女性が一般車両に乗ることを躊躇せざるを得なくなり不便を囲うことはないのか▼ジェンダーフリーの立場ではこの問題をどう捉えるのであろうか。痴漢が多いというのも異常だが、短絡的な「隔離政策」も正常な社会とはいえまい。

(2005/05/20掲載)

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