行雲流水

 囲碁にはさまざまな側面の哲学がある。「攻彼顧我」(彼を攻めるに我を顧みよ)は、彼我の距離を測り、自分の弱点を補いつつ攻めよとの教えで、外国との外交もまたしかりであろう▼清少納言の「枕草子・第百五十四段」に男女の機微を碁にたとえるくだりがある。少々皮肉っぽいが面白い▼ぐっと打ち解けた男女の仲を、「手をゆるしてけり」(先手を取られたらしい)とか、また「結(けち)さしつ」(駄目を打つ・男が女をわがものにしたことを碁の終局に駄目を打つことにたとえている)などである。その棋力は知る由もないが、才気煥発なれば当時としては、今日の女流棋士にも相当していたであろうか▼ところで知念かおりも才気煥発の棋風が増した。5期ぶりの女流本因坊のタイトル奪還だが、何よりも昨年2月に女流棋聖を失って以来、無冠となっていた寂しさを払拭してくれた▼ヤンキースは3連勝の後4連敗、オレ流の中日は逆王手をとられ50年ぶりの長蛇を逸した。2勝1敗で迎えた第4局、逆王手をかけられぬよう祈った▼女流では当代随一の小林泉美6段を撃破しての復活である。かつて子を生んで強くなる棋士といわれ、平成9年の女流本因坊を奪取したときは臨月の身重だった。逆境に強い勝負師の境地は一層の厚みと才気を増したようだ▼祝杯をあげながら聞いた多くの評から、「逢危須棄」(危うきに逢わばすべからく棄つべし)捨石の手筋の妙手が決め手とみた。今後のタイトルラッシュに期待したい。

(2004/11/12掲載)

top.gif (811 バイト)